依然として新コロナウイルスの自粛は完全には解けない。その頃には快復しているであろうと、句友の誘いの予定が入っていた日は、梅雨であったが、お食事会に連れて行ってくれた。
尾張旭市の「雅味」という食事どころである。道中車の中から四人と言って予約をされたが、着いて戸を開けると丁度十二時の事とて、満席であった。¥1200円ほどのランチを銘銘で頼んで、美味しく頂いた。
私はまぐろの刺身、海老や野菜の天麩羅、長いものとろろ、茶碗蒸し、野菜の煮物、に味噌汁とたくあんの漬物だったかなあ、四人話をしながら、完食をした。
車で乗せて行ってくれた男性一人のGさんは、自分では知っているであろう、いいところへ伴ってくれた。
臨済宗の妙心寺、同光院と書かれている大きなお寺の無人の縁に腰をかけて庭園を眺めた。土塀の周りに描かれた白線の数でその寺の格式が判るのだそうな。
石庭をかって二条城で見た時のような感慨で眺めた。並びの四礎とも苔むしている。二本の松も同じように枝を広げて格好がいいのを、Hさんは、松の針を見ながら肥料がよくきいているわと言った。背の高い泰さん木が終わりがけなのか、高い所に白い大きな花をつけていた。
低いところでは乱れ萩も新鮮である。庫裡へ行く道であろうか山際の石仏の並んだ姿をカメラに収めた。
人を案内して、これだけの説明のできる、この方の人となりはいつもながら、さすがである。
帰りの道中、」清水屋の「べら」でおいしいコーヒーを堪能した。
ちんちんという名古屋言葉の彼との無沙汰の二年余りの再会も懐かしかった。息子の結婚当初住んでいたマンションの前を通り、私が定年まで勤めた会社の前も通って楽しいドライブは満足、満足と終わった。
俳句 石庭の苔むす四礎梅雨晴れ間
泰さん木白き蕾や梅雨しとど
尾張旭市の「雅味」という食事どころである。道中車の中から四人と言って予約をされたが、着いて戸を開けると丁度十二時の事とて、満席であった。¥1200円ほどのランチを銘銘で頼んで、美味しく頂いた。
私はまぐろの刺身、海老や野菜の天麩羅、長いものとろろ、茶碗蒸し、野菜の煮物、に味噌汁とたくあんの漬物だったかなあ、四人話をしながら、完食をした。
車で乗せて行ってくれた男性一人のGさんは、自分では知っているであろう、いいところへ伴ってくれた。
臨済宗の妙心寺、同光院と書かれている大きなお寺の無人の縁に腰をかけて庭園を眺めた。土塀の周りに描かれた白線の数でその寺の格式が判るのだそうな。
石庭をかって二条城で見た時のような感慨で眺めた。並びの四礎とも苔むしている。二本の松も同じように枝を広げて格好がいいのを、Hさんは、松の針を見ながら肥料がよくきいているわと言った。背の高い泰さん木が終わりがけなのか、高い所に白い大きな花をつけていた。
低いところでは乱れ萩も新鮮である。庫裡へ行く道であろうか山際の石仏の並んだ姿をカメラに収めた。
人を案内して、これだけの説明のできる、この方の人となりはいつもながら、さすがである。
帰りの道中、」清水屋の「べら」でおいしいコーヒーを堪能した。
ちんちんという名古屋言葉の彼との無沙汰の二年余りの再会も懐かしかった。息子の結婚当初住んでいたマンションの前を通り、私が定年まで勤めた会社の前も通って楽しいドライブは満足、満足と終わった。
俳句 石庭の苔むす四礎梅雨晴れ間
泰さん木白き蕾や梅雨しとど