おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

老いの才覚

2011-02-24 14:11:30 | Weblog

曽野綾子の「老いの才覚」を読んだ。
 
書かれていることは相手は作家でも二歳違いの同年代であるせいか、殆ど常識で何を今更と思はぬでは無いが、才覚についてきちんと立て分けがなされているので一応心に留めて置く事にした。
 ①自立と自律の力
 ②死ぬまで働く力
 ③夫婦・子供と付き合う力
 ④お金に困らない力
 ⑤孤独と付き合い、人生を面白がる力
 ⑥老い、病気、死と馴れ親しむ力
 ⑦神さまの視点を持つ力である。
改めて考えてみると私の場合4番迄はクリアしている。
 今後の課題は5、6、7、の3項目である。先ず5は毎朝起きると予定表を書くがその消しこみに追われて孤独を感じている暇が無い。人生を面白がる為にお顔のマッサージをして皴をのばし白髪隠しにかつらをつけて一人旅に出かけよう。
 6は老い、病気、死これには、困ったものだ。人間誰にも訪れることで最近私も物忘れが多くなった。人の名前や月日を思い出すのに半日かかったりする。瓶の蓋が開かずにお湯やガスであたためて空けたり、缶詰めのブルタブを引っ張るにもボトルの蓋をねじるにも真剣勝負だったり
する。
 果ては病気、死ときたらいさぎよく容認しなければならない。  7の神様を容認する力は若い頃賛美歌が歌いたくて教会通いもしたが、私に聖書は似合はなかった。
 今は日蓮正宗創価学会に入っている。此の地区では最古参の方で教学に至っては助教授補の資格を持っている。座右の銘に御書全集は離さない。いざと言う時は題目を唱えて往生するばかりである。
 ただ信、行、学のうち行は化他行といって人を感化させたり折伏したりすることである。それが出来ないのが珠に傷である。政教分離を歌いながら立ち上げている党の推薦母体であるところも片腹痛いので自分流の信心をしている。 などと書いているところへ人生の先達であるN先生から
森於菟の「耄碌寸前」が面白いよと言ってきたので早速図書館へ予約を申し込んだ。
   
     俳句 ほろにがき来し方なりき蕗の薹
          
早春の旅の約束東大寺

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取 捨 選 択

2011-02-19 06:03:02 | Weblog

二月三月ともなると国で定めた期末と言う事に、一般人もいろいろと縛られる事が出来てくる。
 町の自治会も年度替りに向けて毎年三度の役員会を行う。今回は十年来自治会長をしてくださったМさんが引退して家を売って転居されるというので、引継ぎも例年よりは、
やっかいになりそうである。
 ならばそれ以前十年くらい自治会長をしていた夫のそれに伴った書類も私の一存で始末しようと、ダンボールの箱を開いてみると、趣味に関した他のものも出てきてそれらを前にしてしばし思いにふけってしまった。
 平成十年三月二十一日岩崎城歴史記念館発行の「移り行く自然ふるさとにっしん」は大正時代の日進村の田舎の風景が何枚か載せてある。ここで生まれここで育った牧公氏の碧玉という石も緑や黄色赤色など五点が載っている。
 夫が石の美しさに魅せられた端緒はこの方の薫陶によるものだったことに思いを馳せる。
 次に昵懇になった方は佐野好石氏で土岐石愛好会を結成されている。発行されている「土岐の風雪」は三十号までがここにある。こちらの愛石家達ははんぱではなく大勢が一人一点の写真をずらりと載せていてそれらは宝石のように素晴しい。
 夫は「探石」が雅号で、毎年桜の頃に名古屋城の前の会館で展示会が開かれ、訪れた愛好家と楽しんでいた。
 先日中日新聞の県民版に主催の好石氏が愛石家として大きい写真で出ていたのでお慶びの葉書を出しておいた。
 我家にはそれぞれ名前をつけた碧玉が三点ばかりあるだけで磨いたり撫でたりしていた割りには親戚や知人にあげてしまっていたようである。
 そんな影響か、孫が大学で石と関係の深い地質学を専攻した時には門外漢の私は吃驚したものである。
 他には牧先生と花井先生との三人は、良く夫の車で道標を訪ねる旅を東濃や三河路や南信などへ出かけていたが齢の順番に皆亡くなってしまった。
 A5版の「伊勢路」(伊勢より熱田へ)を紐といてみると実に緻密に道標や常夜灯などが写真入りで細かく収録されている。此の本の編集は花井先生であろう。
 これらは先の自治会の印刷物とは違って捨てがたいし、又捨ててはいけない同好の士達との最小限の足跡であると、今しばらくはそっとしておく事にした。
   
   俳句 門灯の梅ほころぶをみていたり      
      湾景を遥かにのぞみ梅日和

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春 立 ち ぬ

2011-02-08 15:28:41 | Weblog

あの寒さが嘘のように、節分で本当に季が分かれた。
 頬にあたる風も今までと違ってむしろ心地よく、知らぬ間に春一番も吹いたらしい。
 そうした自然界の風より今日一番の風は、隣の政令指定都市名古屋の市長選や愛知県知事選、名古屋議会解散是非のトリプル選挙の強風であろう。
 なんでこんな茶番劇みいたいなことをするのかと、にがにがしく思っていたが昨今では地方選挙から国の政争に至るまで一筋縄では行かなくなってしまったようだ。
 名古屋市長と愛知県知事と組み合ってどんな土俵の相撲が期待出来るか。地方発信による新しい政局の全国展開に興味津々である。
 ところでそ
の相撲界は八百長の問題でゆれにゆれている。大阪場所やら地方巡業も中止となり、大相撲はこの先存続だきるかどうか深刻な様相を呈してきている。 私は相撲大好き人間だが、興行であるからには勝負事につきものの八百長なども人情的に多少水面下でそれがあったとしても仕方がないと思っていた。
 しかし、相撲を見に来てくれるお客やテレビで熱心に見ている真面目な視聴者のことを考えれば許されないことである。こともあろうに幕下力士の消去した携帯電話からの発覚では上層部としては深刻な問題であろう。いつどうやって再開が計られるのだろうか。
もっと大事な 政局も波乱に満ちている。国会の討論会をみていても施政方針演説や国会答弁にも他党間の潰し合いのヤジだけが乱れ飛んでいるだけ、揚げ足をとられてはと文書棒読みの総理大臣が続出で、周りを思っての論陣をはる熱血漢は絶えて久しい。良くも悪くも田中角栄までであった。
 保身一杯の小沢をかかえて離党勧告も出来ない紳士づらの菅首相の国会運営が行き詰まらないよう、胸を張れる政党として、早急にマニフエストの実現を達成するように願っているが、 私自身は此処へきて一つの達観をしていささか冷めている。
 それを言えば終りであるが、人間社会、動物、自然世界、住環境などすべて「変化」の一語につきると思う。「絶えず儚く変化してしまう」
 そう言っている間にも窓の外には緋梅が蕾をふくらませ椿も、木瓜も今に咲き出しそうで、家の中に活けている蝋梅や福寿草などは芳香を漂わせて爛熟の態である。

   俳句  付き合いにせいを出す日々日脚伸ぶ 
     森羅万象音ひそめたる深雪晴れ

コメント (4)
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