殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

見える子

2012年06月18日 08時19分50秒 | みりこんぐらし
毎週水曜日の午前、夫の実家の前には、魚屋さんの車が訪れる。

魚屋さんは、気さくで明るい70代の夫婦連れだ。

近所のご婦人がたが魚を買いに集まり

買物の後は、桜の木陰でおしゃべりをするのが長年の習慣である。


今週の水曜日、義母ヨシコと一緒に魚を買いに出ると

隣の石野夫人が駆け寄って来た。

「みりこんちゃん、待ってたのよぉ!」


御年88才の石野夫人、ネックレスの留め金が壊れて

どうしてもはずれないと言う。

首の回りに密着したチョーカータイプなので

頭からスルリとはずすわけにいかないのだ。


「私も主人もお手上げで…。

 はずせるのは、みりこんちゃんしかいないと思って

 朝が来るのを待ちこがれていたのよ…」

この近所は、平均年齢78才くらいの高齢化地区。

どなたも老眼で、目がよく見えないのだ。


「奧さん、この子、見えるのよ」

ヨシコがちょっと得意げに言う。

そうです…私はまだ見えるんです。


    「すてきなネックレスね」

「どうしてもはずれなくて、犬になったような気分だったわよ。

 切るしかないとも思ったんだけど、大事な人からもらったものだから…」

    「夜中でもいいから、困った時にはすぐ電話してよ。

     人数だけはいるんだから」

「ありがとうね。

 日頃は、元気で長生きが一番の願いだけど

 こんなありさまになっちゃったら

 とにかくはずして解放されたいというのが、一番の願いになるのねえ」

    「同じ、同じ」

なんてことを話しながら、留め金を動かしていると

ネックレスは、ほどなく夫人の首を離れた。



その日の午後、近所の山本夫人がヨシコを呼びに来た。

「ちょっと、ヨシコさん、うちの庭に来てくださる?」

ヨシコが行ってしばらくすると

「みりこんちゃん、ちょっと来て」

外から、ヨシコの声がする。


行ってみると、山本夫人とヨシコが庭石の前にたたずんでいた。

牛が寝そべったくらいの大きさの庭石である。

どうやら、テーマは石の模様らしい。

石の前には、小さな花束が置いてある。


ヨシコは、朝と同じ口調で言った。

「奧さん、この子、見えるのよ」

    「えっ?!」

山本夫人と私が聞き返したのは、同時だった。

マジっすか…?

 
    「見えん、見えん」

「見えるじゃないの。

 私は昔から、あんたは見える子だと思ってるわ!」

ヨシコは、半ばムキになって主張する。


「じゃあ、見て、見て!

 この石に浮き出ているの、何だかわかる?」

夫人は私にたずねたものの、待ちきれずに言った。

「亡くなった実家の母が、お地蔵さんを信仰していたの。

 このあいだから、だんだん顔がくっきり浮き出してきてね…」

     「はあ…」

「うちの主人は、私に何かと厳しくてうるさいでしょう。

 私がこんな年になってもつらい目に遭ってるから

 心配した母が、お地蔵さんになって現われたんだと思うの。

 だからこうして、お花を供えてね…」

夫人はいとおしそうに石をなで、供えた花を整える。


何十年も前に他界した母親が、80才の娘を心配し

お地蔵さんに変身して、娘の家の庭石に現われる…ありえんだろ。

地蔵組合(あるのか?)に掛け合って

一般死者から地蔵に昇格させてもらうほどの交渉力を持ち

石に浮き出てやろうと考えるほどの企画力を持つお母さんだったら

娘を苦しめる口うるさい娘ムコを永遠に黙らせるとか

その実力をもっと合理的に使用していると思うのだが。


おそらく歳月の流れで石の色が変化し、埋まった土が落ち着いて

今まで隠れていた部分が出てきただけだ。

彼女がお地蔵さんだと主張する部分の下を掘ってみたら

全然違う形だったりするんだ。


「よく見たら、このお地蔵さん、実家の方角を向いているのよ」

夫人は感慨深げに言うけど、夫人の生まれたN町とは

かなりずれているような気が…。

そして、正確に実家の方角を向いていたとして、それが何になるのか…。

しかし老い先短い夫人に余計なことを言うより

このまま“お母さんと一緒”を楽しんでもらおう。
コメント (21)
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