殿は今夜もご乱心

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現場はいま…しばしの平和か・5

2022年06月07日 10時29分28秒 | シリーズ・現場はいま…
最年長の社員、シュウちゃんが辞める…

これは我々にとって非常に残念な出来事である。

無事故無違反の働き者で、常に明るく社員を引っ張ってくれる彼には

永遠に来てもらいたかったし、彼も続けるつもりだった。

だが問題は、7月で75才になるシュウちゃんの年齢。


本社には元々、70才以上の高齢者を雇わないという方針があり

役員だけはこの方針から除外されるが

他の人たちはそれに従って退職する決まりになっている。

が、シュウちゃんだけは特例。

彼が息子たちのスカウトで入社した時には、すでに68才だった。

若い運転手が来るまでの繋ぎとして、2年をメドに採用したが

我が社を担当する河野常務が、運転手としての優秀性を認めていたからである。


常務はたまにしか来ないし、来ても夫と話すだけですぐ帰る。

運転手と接触することはほとんど無く、各自の仕事ぶりを目にする機会も無い。

が、日々の売り上げデータや請求書に必ず目を通している。

現場で一緒に仕事をしなくても書類や画面で…いや、書類や画面だからこそ

相手の印象に惑わされることなく様々なことがわかるというのは

私も経験しているが、確かにあるのだ。


常務は、誰の車両に支払いがいくら発生したかをあまねく把握していて

それによるとシュウちゃんのダンプは修理の請求がほとんど無い。

車検や点検は皆と同じだが、ちょっとぶつけた…ちょっとかすった…

などの細かい修理が滅多に発生しないのだ。

ぶつける時は誰でもぶつけるし、起きたことは仕方がないという大前提はあるものの

凡ミスで余計な経費を使わない運転手は、そのまま運転技術が高いということになる。


もちろん、高齢の彼を厄介な現場へ行かせないよう

息子たちがカバーしているという実態もあるにはある。

しかしそれを差し引いても、シュウちゃんの優秀性が変わるものではない。

楽な現場へ行ったって、ぶつける人はぶつける。

特に加齢で視力が衰えると、あちこちぶつけるようになる。

視力が衰えると、感覚が狂うからだ。

修理が頻発すると高齢の運転手は自信を失い、それを機に引退するものだが

視力が現役バリバリのシュウちゃんには、誰も引退の必要性を感じなかった。


他にもシュウちゃんの優秀性を証明するデータはある。

売り上げ伝票、出勤簿、タコメーター、運転日報その他…

これらを照らし合わせたら、運転手一人一人の働き方や心がけは一目瞭然。

例えば我が社の誇る筋金入りの怠け者、佐藤君のものと比較した場合

暇な時期には張り切って出勤し、忙しくなると何だかんだ理由をつけて休む彼と

月に一度、奥さんを病院に連れて行く以外は休まないシュウちゃんとでは

年間の売り上げに大差が出ている。


誰のダンプがどれだけ稼ぎ、修理や経費でいくらマイナスになるか…

もちろん数字が全てではないが、運転手の良し悪しは数字にちゃんと現れる。

人を見る目なんてあやふやなものより、数字の方が正確かもしれない。


そんなわけで常務も我々も、シュウちゃんにはずっと勤めてもらいたかった。

しかし、高齢者の起こす交通事故が社会現象となった昨今

事故の規模が大きくなりがちな大型車両の運転手に

高齢者を雇うのは非常識という風潮が業界に浸透しつつある。

常務は、シュウちゃんの年令を気にせざるを得なくなった。


心配なのは事故だけではない。

彼が仕事中に倒れでもしたら、労災だ。

後期高齢者を現役と同じに働かせていたとなると

責任の所在はうちだけでなく本社にも及ぶ。

いくらスーパー爺ちゃんでも、明日の保証は無い。

よってシュウちゃんには、後期高齢者未満の74才のうちに

退職してもらうことが決まったのである。


常務からその件を内々に告げられた夫は、もちろん継続雇用を求めた。

しかしそれは、シュウちゃんに対するせめてもの誠意に過ぎなかった。

室内の仕事ではなく公道を走るのだから

何かあったらゴメンでは済まないのが運転手という仕事だ。

この5月から後期高齢者の免許更新制度が変わり、多少難しくもなった。

「今回は更新できませんでした、明日から働けません」

急にそんなことになっても困る。

会社は、人情だけでは回らない。

シュウちゃんの退職は、どうにもならないことだった。


爽やかな五月晴れの日。

天気とは裏腹の重い心で、夫はシュウちゃんに退職の件を話した。

最初は驚いて嫌がったシュウちゃんだが

「力及ばず、本当にすまない」

夫が謝ると納得してくれたという。

夫の交渉と常務の温情により、シュウちゃんには手厚い退職一時金が支払われる。


けれども淋しさに打ちひしがれてはいられない。

急いで新しい運転手を決めなければならなかった。

探すのではない。

うちに入りたいと、よそで働きながら順番待ちをしている人が何人かいる。

その中から決めるのだ。


うちは、この業界では珍しい月給制。

これは、本社と合併する時に私が主張した条件の一つである。

本社の経理部長だったダイちゃんの宗教勧誘を断った際

報復のつもりだったのだろう…

「上に働きかけて日給制に変える」とさんざん言われたが

やれるもんならやってみぃ、拍手したるわい…

と思い、無視したまま現在に至っている。


ともあれダンプの運転手の多くは日給月給で

忙しい時は給料がそこそこあるが、暇な時は目も当てられない。

さらに盆正月、ゴールデンウィークなどの休みが続く時や

雨降りが多い時は出勤が無いので給料が少なく、文字通りの日干しだ。


その点、月給制はボーナスもあり、収入が安定している。

その割に仕事が楽な所が人気で、高望みさえしなければ

仕事を長く続けられる良い職場なのだ。

そのため、順番待ちが出ているのだった。

《続く》
コメント (2)
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