殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

続報・現場はいま…5

2020年09月24日 08時53分21秒 | シリーズ・現場はいま…
現場監督から、呼び出しを受けた藤村。

夫の話では、呼び出しを要請する電話の段階で

かなり怒られた様子だったそう。


それもそのはず、現場監督はオイル漏れを起こした運転手に

すぐに場外への退去、つまり帰ることを命令したが

運転手は帰らず、現場の中にある別の場所に移動して

自分の会社の上司に連絡を取った。

この行為によって、オイル漏れが2ヶ所になっただけでなく

後の方は大きい痕跡を残したからだ。


公共工事やチャーターに慣れていない運転手の中には

たまにこういう人がいる。

現場の人に帰れと言われても、それは自分の上司からの命令ではないので

本当に帰っていいのかどうか、判断を迷うのだ。


なぜ迷うかというと、日当の問題があるから。

午前の早い時間に帰って修理に入ったとして

自分の日当はどうなるのかが心配なのだ。

命令されるままに場外へ出てしまったら、再び入場するのは無理そうな雰囲気。

上司にたずねて、その辺をきっちりしてもらわなければ

気分的に落ち着かない。

そこで連絡を取ろうと別の場所へ移動して、さらなるドツボにはまる。


周囲にかける迷惑より、自分の日当が気にかかる…

この手の人物は点検や整備、つまりダンプのメンテナンスに無頓着なもの。

だから次男はチャーターを呼ぶ時に、こういう人物を避ける。

日頃から一緒にあちこちを駆け回り、苦楽を共にする人々でなければ

信用しないのだ。


また、次男はチャーターと一緒に働くことで

運転手の人柄と、それぞれが乗るダンプのコンディションを把握している。

運転手の性質や経験値といったソフト面に加え

ダンプの車種、型式、年式はもとより、性能と排気量…つまりパワーランクや

過去の故障歴、現在の状態といったハード面を考慮して

それぞれに向いた現場へ振り分けるためには必要な情報だ。

次男が優秀だからそうしているのではなく、これが配車の常識である。


この常識が無ければ、配車はただの博打になる。

うまく行くも行かぬも人任せ、運任せでは

現場に穴を開けたり、取引先に迷惑をかけることが前提となり

今回のような予期せぬアクシデントに右往左往して、信用は失墜する。

現場を知らず、知ろうともせず、そもそも大型免許を持たない藤村に

できる仕事ではないのだった。



「行きとうない…」

長い電話を終えた藤村は、真っ青な顔でつぶやいた後で夫にたずねた。

「代わりに行ってもらえんかな…」

夫は黙って首を振った。

ストップさせられたダンプが、次々と会社へ戻って来始めており

夫は彼らから伝票を受け取ったり

突然、仕事が終了してしまった彼らを別の現場へ行かせたり

希望者は帰らせたりといった、事後の対応で慌しかったのもあるが

絶対に尻ぬぐいをするものか…という決意もあった。

藤村は、ションボリと現場に向かった。


そして2時間後、戻ってきた藤村は事務所へ入るなり

「クッソ〜!」

と叫ぶ。

よっぽど酷いことを言われたらしい。


激昂した藤村は

「こんなもん!」

と言いながら、夫が机の上に重ねていた伝票の束をつかんで二つに破り

クシャクシャにしてゴミ箱に捨てた。

1回の納品で終わった、問題の現場の伝票である。


「何しよんね!バカタレが!」

夫は立ち上がって怒った。

夫が逆上するのを初めて見、怒鳴り声を初めて聞いた藤村は

驚いて固まったという。


「伝票は金じゃ。

相手のサインが入ったこの伝票が、金に変わるんじゃ。

あんたは今、札束を破って捨てたんで?

商売するモンが、絶対やったらいけんことよ」

夫は藤村に言い聞かせつつ、ゴミ箱から伝票を拾い

セロハンテープで貼り合わせた。


それを呆然と眺めていた藤村だったが、落ち着いたのか

やがてボソリと言った。

「ありがとうございます」

何に対しての礼なのか、夫にはわからず呆然とするしかなかった。


それを聞いた私は、不器用な夫が

はたして伝票をきちんと貼り合わせることができたかどうかを案じつつ

大笑いして言った。

「礼を言われても、ほだされたらいかんで。

あいつには、そげなところがあるんじゃ。

周りがびっくりして、それ以上は何も言えんのよ。

その隙に逃げて、また別の悪さをするんよ」


わかっとる…夫は言った。

「おまえの言う、民族性の違いじゃろ?」

ほうよ…私は答え、夫と息子たちに

この民族性の違いをもっと詳しく教えなければと思うのだった。


藤村はもしかして、メイド・イン・ジャパンじゃないかも…

そう思い始めたのは、52才で本社に中途採用された彼が

こちらへ赴任して間もない頃だった。

早くも大手企業の言いなりになって接待に明け暮れていた彼は

10何人分だったか、夫に焼肉屋の予約を頼んだ。

しかし前日になって、急に接待の相手が別の食べ物を要求したという理由で

キャンセルさせられたことがあった。


塩の効かない田舎者が、大手を相手に太鼓持ちの真似をすると

こうしてバカにされて遊ばれることが、ままあるものだ。

藤村がそんなことすら知らずに

いっぱしの営業をしているつもりなのはともかく

彼があまりに平然としていたため、夫も私も驚きが先に立って

しばし怒りの感情を忘れた。


以後は仕事であんまり無茶苦茶をするのと

信じ難い厚かましさから、常識の無い人間と認識してきた。

しかし細い三白眼などの外見から、ふと感じるものがあったのは確かだ。

身の程を知らない権力欲や、見てきたようにつく嘘

根拠のない逆恨みなども、私の知る人々に酷似している。


ただ、姓名からの判断ができなかった。

かの国が好む文字が使われていないからだ。

よって結論は保留していたが、対応はその方面の人々への策に切り替え

この方面では初心者の家族にも講習を重ねてきた。

日々の講習によって夫や息子たちは

彼の言動に振り回されなくなったと自負している。


そしてこの夏、夫が年金エイジを迎え

それを機に人事権と配車権を始めとする数々の権限が藤村に移行した。

これですっかり社長気取りになった彼は、事務所を禁煙にすると言い出した。

藤村も夫も、来客の大半も喫煙者だが

彼にはそうしなければならない理由があった。


タバコが身体に悪いのは誰でも知っている。

しかし、どこもかしこも禁煙となった昨今

自由に喫煙できる事務所は、来客にとってのオアシスだった。

このオアシスに愛煙家が集うことで

仕事の話がまとまることが多いため、あえて喫煙所として解放していた。

我々の業界は、いまだ昭和が息づいているのだ。


藤村は、この来客が気に入らない。

夫の客は、彼を相手にしないからだ。

来客に長居をさせないため、わざとそうするのだと

藤村は夫にはっきり言い

用意していた禁煙のプレートを壁に貼り付けた。


夫は、何も言わなかった。

なぜなら、そのプレートに書かれた文字が日本語ではなかったからだ。

ハングル文字の下に、小さく日本語で禁煙と書いてある。

あんまりびっくりして、何も言えなかったのだった。

《続く》
コメント (8)
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