殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

縁の使用法

2015年04月07日 20時23分30秒 | みりこんぐらし
『今年の桜をどうぞ』

家の前の桜です…今はもう散り始めています。




先月のことになるが、夫婦で本社へ挨拶に行った。

義父アツシの葬儀で、色々と心配りをしてくれたお礼のためである。


社長と歓談し、帰ろうとしたところへ

経理部長のダイちゃんが追いかけてきた。

「帰り道、駅の近くまで乗せてってよ」

銀行へ行くそうだ。

その前に、忘れ物を取りに自宅へ寄りたいと言うダイちゃんを車に乗せ

会社から徒歩3分のダイちゃん宅に向かう。

勤務先の近くに住むのが究極のエコだと主張する

節約家の彼にふさわしい距離である。


田舎から1時間以上かけて出て来た我々は、都会の地理にうとい。

ダイちゃんに案内されて、会社から出てすぐの角を曲がり

道の脇に車を停めた。

「すぐ戻るから、ここで待ってて」

家へ走るダイちゃんを見送るついでに周囲を見回して

あっ!と声をあげる私。


目の前は小さな公園だ。

遊具やベンチのある今どきの公園ではない。

こじんまりした敷地に古い鳥居や石碑のたたずむ、慰霊的なスペース。

そのためなのか、開発の手がつけにくかったらしく

マンションや店が立ち並ぶ都会の一角で

その場所だけが取り残されたように存在していた。


私がつい声をあげたのは、この公園に見覚えがあったからだ。

今から44年前、母親が亡くなった小6の時に

祖父に連れられて確かに訪れた。

その公園の入り口に、祖父と祖母、母が暮らした家があったからである。


「お母さんはここで生まれて、育ったんだよ」

今は道路になっているが、当時はまだ残っていた家の前で

一人娘を失ったばかりの祖父は懐かしそうに言うのだった。

しかし私はうわの空。

「家の前の公園で、丑の刻参りをした女の人がいてね…」

母から生前聞いたことがあり、どの木にワラ人形を打ちつけたのだろうと

興味しんしんであった。


つまり本社と母の生まれた家は、道一本をへだてたご近所さん。

同じ市内の同じ区というのは知っていたが、ここまで近いのは知らなかった。


その公園の名は「三田公園(仮名)」

入り口にそう書いてあった。

その昔、町のために頑張った三田さんという人の功績を讃えて

名付けられたらしい。


ここにも偶然が存在した。

この「三田」は、義父アツシが20代前半の頃

6才違いの兄と2人で興した最初の会社と同じ名前である。

社名の三田は、その時に尽力してくれた人の名字をもらったという。


始めた鉄工関係の会社は、大変うまくいった。

しかしうまくいっただけに、やがて兄夫婦に奪われる。

骨肉の争いを嫌ったアツシは三田を離れ、再び別の会社を作った。

それが50年続いて3年前に廃業した、建設資材の会社である。

最初に作った会社、三田は、今でも兄の娘夫婦が経営している。


母がオギャアと生まれた場所と、我々を救済してくれた会社が隣組でも

オギャアの家の前の公園がアツシの最初の会社と同じ名前でも

言わばただの偶然だ。

しかし半世紀以上も生きていると、偶然という現象は存在しないことが

だんだんわかってくるものだ。

「全ては縁で繋がっている」

時折出くわす偶然は、そのことをそっと教えるサインのように思える。


私の縁に対する考え方は、以前と今とで異なる。

振り返れば、半分以上が絶望と悲嘆で占められる我が半生。

しかし面白くない時ほど高揚するネタが欲しくなるもので

取るに足らぬ偶然を見つけては

どこかで聞きかじった“縁”という言葉に格上げし

やたらありがたがって喜び、寿(ことほ)いでいた。

あの心境は、ザンネンな自分でも何かに見守られ、導かれていることを

確かめたかったのだと思う。


もしやあのまま進んでいれば、目を細めて知ったらしくうなづきながら

何でもかんでも「ご縁」で片付けようとする

線香臭いおばさんになっていた気配、濃厚。

それも楽そうで、いいかもしれない。

だがしかし…中年になって、縁の量産はヤバいと痛感する出来事があった。

同級生のA子が職場の同僚にだまされ、多額の借金を背負わされたのだ。


A子をだましたのは、当時52才のおばさんだった。

勤めていた工場に、問題のおばさんが入社したのだ。

本人の弁によると死んだ母親にそっくりで、雷に打たれたような衝撃だったという。

それに加え、母親の死んだ年令と

出会った時のおばさんの年令が同じという符合は、彼女をとりこにした。


A子はマザコンではない。

高一の時に30代の男と駆け落ちし

音信不通でいる間に母親が急死した背景がある。

15才の子供を家から連れ出す30男なんて、およそ知れている。

待っていたのは貧乏くらいのものだ。

日々後悔にさいなまれる彼女は、死んだ母親を必要以上に恋い慕い

そこへ似た人が現れて、飛びついたのだった。


そんなある日、A子はおばさんを連れてうちへ来た。

お披露目ついでに、おばさんの売る下着を勧める目的もあった。

「ね!お母ちゃんにそっくりでしょ!」

この出会いを縁と呼んで見つめ合う2人を前に、私は返答に困った。

だってチリチリパーマの太ったおばさんなんて、どこにでもいるじゃないか。


おばさんが言うには、パート勤めと下着販売は世を忍ぶ仮の姿で

本当は全国消費者金融協会の調査員なのだそうだ。

あちこちのサラ金を回って実際にお金を借り

接客態度や違法貸付の有無を調査する仕事を手伝って欲しい…

報酬は借りた金額の8%、つまり借りれば借りるほど報酬は上がる…

毎月の返済は協会が責任を持って行うから心配ない…

成績によっては、正式な調査員として推薦できる…。

A子はこの詐欺にまんまと引っかかり

「縁に導かれて出会った、この世の母」と慕うおばさんに

いい所を見せようと張り切って借りまくった。


何ヶ月か経つとサラ金からの催促が激しくなり

だまされたと気づいた頃には

被害者がたくさん出てきて刑事事件になった。

おばさんは逮捕されたが、被害者が自分の名前でした借金はそのままだ。


何で知っているかというと、サラ金に追われるA子が

私に借金を申し込むために打ち明けたからである。

中学の時、私をさんざんいじめたA子の頼みなんぞ聞くものか。

その後、彼女がどうなったかは知らない。


この一件以来、縁に関しては慎重になる。

縁を連発するA子と詐欺女のねっとりした光景に、嫌気がさしたのだ。

以後、私にとって縁とはヤバい扱いであるから

偶然も符合も早めに打ち消した。


しかし40年、50年と人間をやっていれば

前に出会ったあの人が…

前に起きたあの出来事が…

ずっと後になって自分の運命に影響する事態をたくさん経験する。

その現象は年を追うごとに増えて

もはや我が人生は、縁を否定したら説明がつかなくなった。


そこで再び、縁を受け入れるようになるが

私も年を食って多少は練れたのか、縁の見分けがつくようになっていた。

出くわした偶然が縁のサインである時

大仰な驚きや興奮は無く、淡々と爽やかな印象が残る。


それを感じるのは、余計なことをウジウジ考えていない時。

老い先短くなってウジウジする暇が惜しくなったのと

人を見る目ができてウジウジ考える必要が無くなったため

近年はますます増加してきた。


優しい風、澄んだ水のような、さらりとした縁を感じると

「このまま歩いて行けばいいんだよ」

そうささやかれているような気がする。

よって縁は、道しるべとして活用している。
コメント (6)
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