殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ああ、アツシ城

2012年09月16日 15時46分38秒 | みりこんぐらし
            ヨシコが今回の入院でおぼえた“くす玉”。

            同室の患者に教えてもらったそうです。

            直径8センチくらい。

            カラフルでかわいいので、欲しがる人がけっこういます。





「アタシ、もう知らん」

7月2日の昼下がり…

夫の姉カンジワ・ルイーゼは、この一言で会社の経理すべてを投げ出した。

我々にとってはヤブから棒だが、ルイーゼにすれば

ちゃんと予定された日であった。


彼女の亭主は、3年前に銀行を定年退職し

そのまま銀行から病院の会計へ出向していたが

持病の鬱が悪化し、6月末をもって完全退職したのだ。

亭主が無職になるので、ルイーゼは老人ホームの厨房の仕事時間を増やした。

そっちが忙しいため、つぶれそうな会社の経理なんか

やっていられないのだった。


ルイーゼが肌身離さず持ち歩いていた会社の実印と帳簿一式を渡されて

私は途方に暮れたか…。

暮れなかった。

「来るべき時が来た」と思っただけである。


この会社はもう持たない…何年も前から確信していた我々夫婦は

今年に入ってから税理士の知恵を借り、準備を進めていた。

望んでいた、都市部の大手企業と合併する手はずも整った。


寄らば大樹の陰…こちらだけでなく

向こうにも多少のメリットがあるうちに、傘下に入る。

同時に新会社を立ち上げ、そちらへ業務を移行する形で

今の会社を廃業に持ち込む…

それが我々の計画であった。

このご時世、無理して一国一城の主を気取っても仕方が無い。

会社というのは続けてナンボではなく、儲けてナンボ。

いよいよ決行の時が来たのだ。


提携とか合併となると、経理の引き継ぎが必要になる。

合併する企業の人々立ち会いのもと、引き継ぎを行うはずだったが

ルイーゼは、その席を二度すっぽかした。

自力での生き残りをあっさりあきらめた我々の方針が気に入らないとか

明るみに出ると困るものがあるとか

彼女なりの理由があるようで、約束の時間になっても現われなかった。


「あの子には夢があるからね」

ルイーゼの公認報道官である義母ヨシコは、私に弁明する。

「夫婦で老人食の宅配サービスを始めるために

 あの子は今、頑張っているの。

 だから会社のことは、もうできないのよ」

無職の亭主と一緒に、起業すると言いたいらしい。

さすがルイーゼ、57才にして壮大な夢をお持ちだ。


夢はいいから、後始末をちゃんとせい!と言いたかったが

これを恨まず、責めず、笑って受け容れられるかどうかで

後の流れが決まってくるというのを

ほどなく実感することになる。


とにかく「お姉さんは逃げた」ということになった。

「大丈夫、彼女の仕事は元々ずさんでしたから」

と、税理士が難しい数字の作業を代行してくれたのは、僥倖であった。

二度も待ちぼうけをくらわされた合併先の企業は

不信感よりも“何も知らずに捨て置かれた田舎夫婦”

といった境遇の我々をあわれむ気持ちのほうがまさったらしく

各方面のエキスパートを送り込んで、至れり尽くせりの手厚い支援をしてくれた。

私は家事の合間を縫って、教えられるままに残務整理を続けた。

けっこうハードな日々であった。


そんな中、ヨシコが倒れた。

病名は脳梗塞と低血糖。

旦那が社長でなくなる…

自分が奥様でなくなる…

信じた娘の無能をあばかれる…

憎たらしい嫁に采配ふるわれる…

ストレス続きの日々に、すっかり参ってしまったと思われる。


アツシの入院している病院へ運んだら、そのまま半月ほど入院することになった。

これが大正解。

ヨシコが家にいないので、手がかからないったらありゃしない。

見舞いも一カ所ですむ。

暇ができて、残務整理は一気に進んだ。


思えば私や子供達を食べさせてくれた、ありがたい会社ではあるが

また、私を苦しめたのも、この会社であった。

会社があるばっかりに、内情を知らぬ夫の女達は

次々とあらぬ白日夢を見、私を排除しようとした。

夫の浮気相手をこっそり入社させ、私をとことんまでコケにしたのも

この会社があればこそであった。


こんな所が、いつまでものうのうと存続するはずがない…

それがこの世の道理っちゅうもんじゃ…

私はずっとそう思っていた。

しかし理屈としては、そこで困ったことになる。

会社が無くなれば、たちまち食いっぱぐれるじゃんか。


何をしてでも食べて行けるよう、心の準備はしてきたつもりであるが

現実問題として、心意気だけではどうにもならないこともある。

しかし、どんな結果になっても喜んで受け容れると腹をくくった者には

思わぬ奇跡が次々と与えられるように思う。


難航はしたものの、義父アツシが半世紀に渡って君臨したアツシ城は

消滅の運びとなった。

私には、アツシ城そのものが、今となっては幻だったのではないかと思える。

成り行きとはいえ、自分が幻の幕引き作業の一端を担ったことに

すがすがしい感慨をおぼえる。

この役目のために、今まで生きてきたような気さえする。


新しく生まれた会社で、私は今、そのまま事務員みたいなことをやっている。

このまま続くのか、適当なところで誰かと交代するのかは、まだ不明である。

この不明が、楽しい。


つい先日、ヨシコが私に言う。

「こすず(ルイーゼ)は、老人ホームの仕事がつらいんだって。

 あの子はやっぱり、事務のほうが向いてるみたいね。

 今度の会社では、人はいらないのかしら」

夢はどうした、夢は…と言いたいところだが

それが公認報道官としての伝達なのか、母のつぶやきなのかは

不明ということにしておこう。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする