めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

素晴らしい日本人

2014-11-13 15:03:40 | 日本人

先日、11月になると恒例の大鳥神社のお祭りが在りました。
近所である事もあって、夕食後妻とぶらりと出かけて来ました。
20年ほど前は、目黒通りの歩道に並ぶ屋台が、先が見えない程
長々と続き、歩く事もままならない狭い坂道を、美味しそうな匂いに
導かれる様に歩いたものです。

しかしながら、最近は何もかも縮小してしまい、以前の様な人波も無く、
屋台の数も、ほんの5分程歩けば途切れてしまう規模となり、
所々、歯が抜ける様に隙間が開いた道筋は、寂しさすら感じます。

とは言うものの、本殿の参拝を待つ人の波は、警備員が何人も出る程の状態で、
数列に並んだ人々が、まるで満員電車に乗る様な光景でした。
側には大きく山の様に積まれた大小の熊手が一年の役目を終え、
人々の願いがいかに強いものかを感じさせています。

私達日本人は、万物に神を祭ってきた民族です。
単に、神社仏閣だけでなく、海にも山にも、更には、家の中にも神を祭り
恐れと畏敬の念をもって生きて来ました。
さすがに、最近の若者たちは変わって来たのではとは思ってのですが、
心の底には日本人としての思いは変わらないようで、
海外から見た日本人の優しさの原点を見る様でした。

日本人の考え方は、世界の国から見ると特別の様に思われがちですが、
遠い昔から大自然からも世界の国々からも分け隔てなく取り入れた結果
創りあげられた国民性でもあるのです。

伝統の文化も、もとはと言えば、海外から取り入れられたものが多く
それを改良し進歩させて、より素晴らしいものに作り変えてきたのが
日本人の生き方なのです。

正月になると、明治神宮で参拝した後、浅草の浅草寺に行ってお参りしても
何の違和感が無いのが日本人でもあるのです。
神頼みをしながらも神様に頼らない、お寺にお参りしても、日常に仏教が
存在しない人も多いのです。

手のひらを合わせ、自分の幸せを願いつつも、世界の平和を願っている日本人は
どんな国々とも一緒に平和な社会を作れ、大自然に対しても心から
畏敬の念を抱ける民族と言えるのです。



熊手を求める人々



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