めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

いつまで経っても幸せに成れない私達

2018-01-09 14:06:26 | 日本人

果たして、私達日本人は、幸せな民族なのでしょうか。
世界でもトップクラスの経済成長を遂げ、便利で豊かな日常生活は、
日本人が理想とする毎日と言えるのでしょうか。
発展途上国から見れば、日本の様な経済発展を遂げれば、豊かで幸せな
生活が送れると思うのでしょうが、実際の日本人の心の中は、外見とは
全く違って、心も身体もストレスに晒され、日々生きて行く事でせい一杯
と言える人が実に多いのです。

この事は、所得の有る無に関わらず、日本人の心に余裕がなく、たとえ
自分の生活に対しては余裕が有っても、周囲の人達に対する安心感は
年々低くなっているのが現状です。
今や、人を見たら泥棒と思え、自分以外は信じられないと言った感覚が
日本人の心に広がりつつあるのです。
自分の家族財産健康を如何に守るかが日本人の生活の主体であり、
周囲の人々と協力しながら関わり合って行くと言う、かつての日本人の姿は
遠い昔の事と成り、今や、常に誰よりも秀でる事を考え、自らの価値観を
周囲との外見的な比較にでしか考えられない、まるで守銭奴の様な日本人が
日増しに増えているのが問題です。

その為、自分自身に常に自信を持てず、常に、自分の生活が誰かに脅かされないか

びくびくして警戒心を高めている人々が多いのです。
この事は、単に、個人的な生活力が増したとはいえ、周囲の人々や環境にたいして
身を委ねる余裕がなく、自分が、他の人を押しのけて生活して来た事も有って、
自らも誰かに蹴落とされなれないかという不安を生んでいるのです。

また、寄らば大樹の陰と言う様に、絶対的な権力や地位に憧れ

自らがその様な環境で生活できることを望む人達が多くなっています。
より強い権力や経済力を求めるのは世の常と言えますが、自分の思いの中心を
常に強者に委ねる事に依り、安心安全は勝ち得ても、自分自身の存在価値や
本当に望む人生を歩めなくなる可能性も有るのです。

世知辛い世の中、ともかく、安心できる人生を選択しようとするのでしょうが、

安心と思える生き方は、誰かの傘の下にあるだけであって、決して自分自身が
望んでいる人生でない事を知らなければなりません。
私達は、一国の中で、多くの人々と協力して、経済を発展させ生活を豊かに
して行く為に、同じ思いを抱く事も大切ですが、それ以上に、其々の考えが
全体の未来に正しく導く方向に使われなければなりません。

それこそ民主主義であり、個人の人権が守られる事と成るのです。

強い権力に身を委ね、その考えや方向性に身を任す事は、ややもすると、
安心できると思われた組織や権力から、有無を言わせず排除されたり
危害を受ける事も有るのです。
現に、今日本人が置かれている状況は、生活の多くを、一方的な考えに従わされ
その良し悪しを考えるまでも無く、豊かで便利な生活という甘い蜜によって
管理されている事実が多いのです。

日常的にメディアを通して伝えられる幸福への条件は、私達の生活を幸せにする

というパフォーマンスの陰に、莫大なる利益を目論んで作られた企業の策に
はまっていると言えるのです。
更には、この社会形態を維持すべく、我々の代表である政治家の多くは、
選挙の時以外は、利益を目論む人達の方に顔を向けています。

つまり、今の日本は、一部の豊かな人々の為に造られているのであって、

一般大衆の生活を守る為には作られていないのです。
外見的に世界が注目する素晴らしい経済成長も、多くの国民の豊かさを象徴
するものでは無く、一部の豊かなる人達がより豊かになる為に創り上げた
富の象徴の様なものであり、国民の多くが必至になって支えていると言うのが
事実なのです。

明治の文明開化に始まり現代に至るまで、様々な産業の発展も、社会の進歩も

その道筋は、全て、日本を代表する大手企業やそれに準ずる政治家や経済人により
作り上げられたものであり、たとえ、幾度となく国民に犠牲を強いた戦争も
思いは、自分達のより豊かな生活を目指すものであったのには変わり有りません。
国民の多くは、その事業を完成させるための道具であり奴隷であり頭数であり
豊かな人達をより豊かにする為の道具に過ぎないのは、今に始まった事では
有りません。

とは言え、人間社会というのは、誰もがリーダーとなって働くわけではなく

全ての人々の生活を考えられる人がその長と成り、方針方向を定めるのが常です。
その形態は、原始社会であっても、現代社会であっても同じであり、
どんなに文明が進んでも、その関係は存在するものです。

しかしながら、社会が円滑に運営されるには、リーダー達の働きが、常に

民衆の生活を豊かに安定させることが条件であり、国民の多くが
将来に不安を感じ、日々の生活に苦しんでいると言うのは、由々しき事態です。
豊かな人達はより豊かに、貧しい人達は益々苦しい生活を強いられている現代、
もはや、私たち国民の代表と言える人達が社会を動かしているとは言えず、
単に、個人的な欲望を満たそうとしている我欲の塊の様な人々が、
多くの国民を苦しめていると言えるのです。

高度成長期で、国民全体が経済成長に踊らされて、挙句の果ては

バブル崩壊によって、全ての国民生活が惨憺たるものとなったのは、
経済成長ばかりを考え、国民の本当の幸せを考えられなかったリーダーや
企業家たちの罪であり、その失態の償いを、国民の負担とさせているのが
今の日本社会を包む苦しい現状を生んでいるのです。

バブルの崩壊以来、国民の多くは、自分の生活を維持するだけで精一杯の

苦しい生活が続いています。
仕事だけでなく、学校生活、日常生活の全てが、経済的負担に苦しめられ
この余裕の無さは、殆どの人々、世代に共通のものと成っています。
その為、国民の生活は、如何に、この消費経済国家で生きて行くかで
日夜ストレスに晒され、自分達の未来を考え構築して行く事が
非常に難しくなっています。

更に追い打ちをかける様に、少子化に伴い、国民の就労人口が減り

国家収入も減少しがちです。
国を運営する為に、あらゆる物に課税をし、国民一人一人から更なる
出資を強いる事で、日本国民は、ただ生きる事すら大きな負担となり
日本人の心が次第に疲弊しているのが現状です。

しかしながら、リーダー達は、そんな苦しむ国民の生活を豊かにするのは

より経済性を増す事と考え、人々の本当の苦しみが解りません。
と言いうより、自分達の生活に国民と同じ苦しみが無い事から、
どんなに頭の中で解っていても、それを政策として反映する事無く
更なる負担を国民に強いることしか出来ません。
つまり、政治家たちは、国民から選ばれた時は、私達の生活を
豊かにする為の有能な人物であったのですが、政治家になった途端
私たち国民にとっては、無能者と成っているのです。

もちろん、経済的に豊かな暮らしは、私達が生きていく上でとても便利で

安心できる要素が多いと言えます。
しかしながら、その安心と幸せを本当に感じられるためには、
同じ環境に住む身の回りの人々との信頼関係、共存関係が無ければなりません。
どんなに素晴らしい事を行っても、その事の素晴らしさを認めてくれる人が
身の回りに居なければ、本当の満足感は得られず、自分の存在価値も
自分自身への納得も、人々が自分に対してどの様に思っているかで
大きく変わってしまうのです。

衣食住が満たされ、何不自由ない生活が出来たとしても、その価値を

本人ではなく環境としてみなされれば、単に、世の中に生かされている
役に立たない動物に過ぎません。
私達は、朝、目が覚めた時から、様々な人と関わり合いながら一日を過ごし
人々の中で自分が行かされている事を感じます。

しかし、その存在を喜ばれているのか嫌がられているのかでは、本人の

心の中の安心感満足感は大きく違ってくるのです。
当然、親しく対応されているとしても、実際は、心の底から憎まれていたり
鬱陶しく思われている場合も多いのです。
誰からも親しまれているのであるのなら良いのですが、心の中では
憎しみの対象となっている事も有るのです。

社会に於いて、誰もが、親しくお互いの事を思って仕事をしているとは言えず、

多くの場合は、本音と建て前の違いに大きな隔たりがあるのが現状です。
しかしながら、経済的に豊かである事が人々の目的となれば、いかなる人物で
あろうが、経済力がありさえすれば、人々のリーダーとなり得るのが現状です。
つまり、日本社会が、経済性を人々の目的とする限り、国民の心は、常に
経済性のみを求め、他人の事を考えたり思いやる事を考えるより、
自分の欲望を通すために、より豊かな経済力を求める事と成るのです。

この日本人の一生を通じて求められる経済性は、人々の心の成長を失わせ

単に欲望と憎しみばかりを育ててしまうのです。
常に人に勝つことを求められ、勝つことで自分を認められるとする考えは
負けた人や弱い人への思いは有りません。
スポーツ選手が負けた時に発する、次回は必ずリベンジすると言う言葉は
自分の至らなさや相手の素晴らしさを称える以前に、自分の欲望のみを
満たす事に重きを置いた、スポーツマンとしては残念な姿と言えます。

勝った者、何かを成し得た者、他人より秀でた人にのみ価値があるとする

社会傾向は、人々の心を荒ませ、勝者のエゴイズムを育てます。
また、負けた時のケアの無さは、人々の心をより苦しめる事に成ります。
こんな、勝者のみが幅を利かし我儘三昧をする社会が、本当に日本人が
求めて来た社会では無かったはずです。

勝つこと、人を蹴落とす事にしか進路を見いだせない人達が

苦しむ国民の多くを心から気遣う事が出来ないのは当然とも言えます。
日本が素晴らしい経済成長を遂げたとされる陰で、どれだけ多くの
日本の自然が失われ、人々の心が傷つけられて来たかを感じられる
リーダーが非常に少ないと言えるのです。

弱者を労り、苦しむ人達の心に寄り添える本当の能力を持ったリーダーが

日本社会を築き上げてきたのなら、この惨憺たる日本の現状は生まれず、
数々に負の遺産に苦しむ事は無かったのです。
日本の国土も海も、私達が生きて行く環境の全てが、外見的な高度成長で
破壊されて来た事実は、世界に日本が恥とする部分でも有るのです。
今や、自然だけでなく、日本人の心まで苦しめ傷つけれられているのです。
経済成長が日本人の幸せと妄信する人々が権力を握っている限り、
日本人も日本の自然も本来の姿を取り戻す事は無いと言えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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