食の文化と言いますが、本当に多種多様であり、
人々に好き嫌いが有る様に、その土地の食習慣は
他の地域からすると、脅威と言える場合も有ります。
私が大学生の時、インドネシアから留学していた
同級生を食事に招待し、カレーライスを作った時、
皿に盛られたカレーを見て、彼が激怒したのを
いまだに思い出します。
彼は、カレーに入っている肉を指さし、これは何の
肉かと言ったので、豚だ、と答えた瞬間、彼の顔は
硬直し、もしこれが国で同じ事が有ったら、殺されても
文句は言えないと言いました。
彼は宗教上の理由で、豚肉は一切口にせず、もし
豚を食べさせたとなると、最大の侮辱と成り、
彼の国であったなら、私はその場で殺されても文句は
言えないとの事でした。
豚を食べない国が有れば、牛を食べない国もあり、
世界の国々や地域には、私達が想像し得ない食習慣が
文化として根付いているのです。
私達日本人でさえ、各地の食習慣には、驚かされます。
学生時代の友人は、沖縄出身で、子供の頃から
オヤツとして蝉を食べていたと言いました。
冗談だろうと思っていましたが、最近、テレビを見ていると
沖縄出身のタレントがやはり同じ事を言っていました。
この様に、食べた事の無い人からしたら、脅威であり
驚きの食べ物も、その土地の人にとっては、生きる為の
大切な食料であったりするものです。
近年、クジラを代表とする、食に対する偏見とも言える
圧力が日本にかけられています。
動物愛護団体であったり、感情的な理由であってあり
殆どの場合、その土地の食の文化を考えない、
一方的な考えからの身勝手な考えと言えます。
牛や豚は家畜だから殺して食べていいと言いますが、
彼等は、牛豚を宗教上の理由で食べたり食べなかったりする
国に対して、どの様に説明するのでしょうか。
感情的に、生き物を殺す事は可愛そうと言う人は、自国の
あらゆる場所で日常的に行われているトサツ場を見れば
恐らく半分以上の人が牛豚を食べられなくなると思います。
私達は、生物として生きて行くには、他の生物の命を頂き
子孫を育てて行かなければなりません。
この基本理念は、地球上に住む生き物が太古の昔から
変わらず続けてきた行為であるのです。
どの生き物から命を頂くかは、それぞれが住む地域や
環境によって違います。
しかし、いかなる土地に於いても命の糧を得て来たからこそ
今私達は生きながらえているのです。
その方法は様々であり、他の方法で生きて来た人々が
自分の食の摂り方と違っているからと言って、批判したり
否定する事は、極めてナンセンスであり、身勝手です。
人にはそれぞれ生き方が有る様に、食生活もそれぞれが
長い間培ってきた基準が有るのです。
御互いに、相手の生活や文化を尊重し認める事が
この地球上で生きながらえて行く大切なルールです。
人々のトラブルの多くは、自分のルール、生き方に
無理やり従わせようとした結果起こることが多いものです。
自分の主張も大切ですが、先ず、相手の事を認める事が
御互いの幸せにとって大切な事ではないでしょうか。
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