子供の頃、凄く美味しかった物を、大人に成って食べると
エッ!こんな味だったっけ!? 大して美味しくないな!
と思う事が結構あります。
更には、ネットやテレビ番組で紹介された料理を食べた時
思った程ではなかったという経験のある方は多いと思います。
そもそも、私達の味覚は、かなりいい加減なもので、
その時の生活状況、年齢、健康状態、認識度でかなり変動します。
自分が物凄く美味しいと思う事は、えてして、誰もが共感せず、
そこそこ美味しいとなると、賛同者が増えるものです。
つまり、味というものは極めて個人的な感覚であって、
誰もが同じように感じていると思うのは、錯覚であるとも言えます。
有名な料理評論家や食通が美味しいと言えば、無条件に
美味しいと思ってしまったり、否定的な見解が述べられれば
多くの人が絶対に食べようとしません。
この傾向が、困った事に年を重ねて行くと、自分の中で起こり、
今自分が食べているものに対する評価が、現実の味ではなく
記憶の味に取って代わっている場合が有ります。
人生を長くやっていると、大抵のものは何度も食べています。
もちろん、世界中には食べた事も見た事も無い食物が山とあります。
そんな中、自分が食べる物はだいたい固定化されるのですが、
その味は、いつの間にか、自分好みに変えられている場合が有るのです。
特に、潜在的に刷り込みがある食品などは、例えば、神戸牛の
サーロインステーキと言えば、極めて個人的で申し訳ないのですが、
食べる前から、最上級の味がすでに舌先にセットされています。
滅多に口にすることが無い事から、その味わいは、脳の中で
思い込みと共に数段の相乗効果が生まれ、絶品のランクとなります。
しかし、本当にそんなにも素敵な味なのでしょうか。
もし、テレビ番組では有りませんが、よく似た和牛の、数種類の
ランクの肉を同じ料理で出されたとき、きちんと味分けが付くかは
とても断言できるものでは有りません。
同じような肉であれば、どれでも、ほんのちょっと気の利いた
御品書きが添えられれば、すぐに順位が付けられるのです。
私達人類は、猿人から進化して、長い年月を経て今の形体となりました。
その間、食生活も著しく変化し、世界の様々な物を食してきました。
地球上にあるものをすべて味わう程の雑食性の生物が人間です。
沢山の食物を自分にとって有益な物として選ぶ為に味覚は鋭敏になり
次第にそのランク付けも成される様になりました。
しかしながら、いつも目的の食料が手に入るとは限りません。
美味しいものは誰もが求める為、自分が食べられる機会は少なく
それに近いもののを代用するようになりました。
この時、この本物でない食料を否定すれば自分は飢えて死んでしまう為
人間の頭脳は、自分自身で味のランクアップをしたのです。
つまり、この肉は最高の肉だ、依然と同じ素晴らしい肉だと。
私達の脳は、本当の味わいではない味わいも同じものとして
記憶できるようになったのです。
しかしながら、料理もしたことのないADの作った料理を
料理の鉄人が作ったと嘘の情報を与えると、日本でも有名な
食通が料理を褒め称えるのは、いまだ原始からの私達の脳は
変わっていないのか、と笑ってしまいました。
最新の画像[もっと見る]
- 空しい緊急アラートの音 7年前
- 何故、失言暴言を悪びれないのか 7年前
- 散って、なお美しく 9年前
- 散って、なお美しく 9年前
- 華やかな春の喜びに水を差す目黒川 9年前
- 春はそこまで、桜と富士と、インコ!? 9年前
- 春はそこまで、桜と富士と、インコ!? 9年前
- 諦めていた天体ショー 13年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます