イルカの追い込み漁で捕らえられたイルカを、全国の水族館や
アトラクション施設で使用する事ができなくなりました。
イルカは、哺乳類の中で人間に近い頭脳を持ち、イルカ漁で
漁獲される様は、残酷で可哀想と言うのが欧米諸国の人々の
見解とされますが、この、一方的で表面的な感情で、一国の
長い伝統を否定するという事は、あまりにも幼稚で軽薄な判断です。
そもそも、私達は自然界の様々な生物のお蔭で命を繋いでいます。
陸の生物から海の生物まで、多岐に渡って私達はその命を頂き
この地球上に繁栄してきました。
この、命を得るための手段は、世界中に多種多様あり、
その方法は、その国々や地域の長い歴史となって人々を支えてきたのです。
イルカ漁のみならず、様々な方法で私達は生き物を殺め、その命を
食として頂く事によって生きながらえてきたのです。
このイルカ漁に於いても、何百年にも渡って行われてきた命の儀式であり
これに関わる多くの人々は、イルカのお蔭で生きてこられたのです。
このイルカ漁が江戸時代に行われていた頃、西欧諸国は、膨大なる数の
クジラを北大西洋と北太平洋で捕獲し、その油を取る為のみにクジラの
皮をはぎ、皮下脂肪を取るだけで、その後は殆どの部位を海に捨てていました。
この暴挙は、北大西洋と北太平洋のクジラ類を殆ど絶滅させるほどで
あった事が記録されています。
日本に江戸末期に開港を迫った大きな理由の一つが、捕鯨船の補給基地と
考えての事であったことが知られています。
私達は、いずれにせよ、生きて行くためには多くの生物の命を頂くことが
宿命とも言えます。
感情論に訴える人々は、その歴史や、携わる人々の気持ちを全く無視して
自分たちの表面的な感情のみで多くの人々を苦しめている事を考えていません。
太一町の人々は、子供の頃からこの漁を見て育ち、いかにイルカたちが
自分たちにとって大切なものであるかを知っています。
もし、イルカたちを捕獲して、誰も見る事が出来ないところで殺していれば
可哀想でも残酷でもないのでしょうか。そう、今世界中で行われている
牛や豚の処理の仕方の様に。
イスラム教徒とヒンヅー教徒は、お互いの食が全く異なります。
方や牛を敬い、方や牛を食べる生き方、また、豚をけっして食べない人々と
ごく普通に食卓に並べる人々、この食文化を誰が否定するでしょう。
お互いに相手の食を認める事によって、共存できているのです。
欧米諸国の牛や豚のト殺場面をテレビで公開してみて下さい。
少なくとも、何百万人の方々が二度とその肉に手を出さなくなります。
牛豚は家畜だから、イルカは賢い哺乳類だからと、訳の分からない言葉を並べ
他国の文化を否定する人々は、自分たちの食文化を否定している事にもなるのです。
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