めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

豊かな日本社会の実態

2018-09-21 14:59:55 | 日本人

私達の生活は、何時から、金でで守られなければならなくなったのでしょう。
確かに、生きていく為にお金は大切ですが、そのお金は、私達の人生を豊かにし
この世に生きている喜びを得る為であったはずです。
お金によって手に入れる様々な生活物資や環境によって、人々がお互いに
信頼し合い、助け合って、人としての喜びを感じる為に有ったはずです。
世の中には様々な人種がいて、同じ人種であっても、個人個人の考え方は
様々であり、お金の力は、そんな違っている人間同士の絆を高める為に
便利な道具として生まれたはずです。

太古の昔から、お金を通じて、自分の欲しい物を手に入れ、お互いに心も身体も
健康で豊かな気持ちになる事が出来たのです。
つまり、お金は、個人だけでなく、多くの人達を幸せにする為に存在していたのです。
所が、近代社会では、お金は、人の価値を図る道具と成り、個人的な我儘を通す為の
欲望の道具になってしまったのです。
より多くの資産を持つものは、持たない者に対して、圧力を掛けたり我儘を主張できる
と言う社会的な常識が生れていて、少しでも地位や財産が有る者の考えが、自分より
下と思われる人達に一方的な我儘が出来ると言う風潮が生まれています。

その為、人の上に立てば、自分の思い通りになると言う考えから、対人的なやり取りも
人としての尊厳の在るものではなく、単に、自分の欲望を叶える為の情報交換に過ぎません。
他人を心から思いやると言うのではなく、便宜上、丁寧なやり取りをしているだけで、
対人関係とは、利益のやり取りに過ぎない世界が生れているのです。
人間としての存在価値は失われ、お金が人の価値を決めている様な、我欲だけが目立つ
殺伐とした人間関係が多くなっているのです。

しかし、たとえ社会的に地位が上がって、多くの所得を得れれる様に成ったとしても
人としての魅力を感じられないのですから、お金を失えば、簡単に人々から見捨てられ
苦渋の人生を歩まなければならない人も多く、多くの国民が、生活すべてをお金に縛られ
必至に生きているのが現状と言えます。
こんなつまらない人生しか送れない国民にしてしまったのは、明かに、経済至上主義を
訴えて来たリーダー達であり、彼らを利用して暴利を貪って来た一部の富裕層と言えます。

自由平等と言いながら、実際には、国民を自分達の利益の為に消費者として位置づけ
格差社会を確立する事で、いつの世でも、豊かな生活を維持して来たのです。
戦争を起こしたのも、高度成長期に日本中の自然を破壊し多くの人々の健康を奪ったのも
全てが、自分達の利益の為であったのは否めません。
日本国民は、いつの世も彼らにとって奴隷の様な存在であり、様々な豊かな生活物資を与え
幸せな国民であるかのような錯覚を起こさる事で、真綿で首を締められている様な
息苦しい生活を送らなければならなくなっているのです。

今や、多くの国民は、様々な企業から生み出される消費物資すらも手に入れられない程
汲々としているのです。
華やかな街角を歩いても、自分の欲しい物を何でも手に入れられる人はごくわずかです。
消費者のニーズに合わせて、様々な商品を取りそろえる事に依って、定額所得者からも
膨大なる利益を得る事が出来、消費者の階層に応じて、くまなく利益を得る様に作られた
日本社会は、多くの国民にとっては、いつまでも楽に成らない社会であり、豊かな人には
濡れ手に粟の状態の笑いが止まらない社会なのです。

日本社会は、先進国の中で、一見、人権が守られ、国民が幸せに成れる素敵な社会が
築かれていると思われがちですが、現実は、まるでピラミッド構造の様に、国民の幸せが
全て、頂点に吸い上げられる様に作られている、商業的独裁国家と言えるのです。
沢山の商品を買い求める事が出来れば、幸せであるとする教育と洗脳は、国民全てを
利益の為の道具に作り上げているのです。
欲しい物を手に出来れば幸せに成るのならいざ知らず、手に入れても更なる消費を続け
無ければ、満足できない様な社会システムは、明かに国民を幸せには出来ません。

生きていく為の基本的な福祉政策が成されないで、消費ばかりが促されても、国民は
常に心のどこかに生活不安が生れて来るものです。
消費の楽しみは、基本的人権が守られ、一生生活が保障さえてこそ成り立つものであり、
日々の生活が不安定であったり、健康不安がある状態での消費の促進は、国民を
益々苦しめるだけなのです。

しかしながら、国民の事を考えなければならない人達は、一生不安の無い生活を送っていて
国民の心の中が解らないのが現状です。
自分の欲望を叶える事だけしか考えず、周囲の人達を蹴落して地位を築き上げた人達は
どんなに国民の代表と言っても、しょせん、自分の事しか考えられないのです。
この我儘三昧の様な人達が、今の日本社会を引っ張ているから、国民が幸せに成る事は
あり得ないのです。
もちろん、東京オリンピックも、国民の為では有りません。
膨大なる利益を得るために、国民や選手を利用しているのであって、殆どの国民は
純粋に、平和の祭典として、健気に選手を応援するのですが、その陰で、どれ程
利益を得ようか、その日を、欲望の眼差しで待ち構えている人がいるのです。

オリンピックは、平和の祭典、戦争は、人類最悪の憎しみ合い、しかし、いずれも
最高の利益をもたらすものと考えて居る人達が、過去100年以上に渡って、日本を
引っ張って来ている事実が有るのです。
一見、資本主義社会の消費経済社会は、素晴らしい人類の発展を予想させますが
現実は、一部の人の莫大なる利益をもたらし、多くの国民を苦しめるのです。
過去も現在も、日本には、自由平等の世界と言うのは有り得なくて、
華やかで豊かに見える偽物の世界で、国民は覚まされ続けていると言えるのです。

 



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