日本は、経済大国として、先進国の1つとして数えられれますが、
それ程にも豊かに成った様に見えて、日本国民は、その多くが
現実の辛さを感じています。
何でも手に入る世の中に成っているのに、いつまで経っても満足できず
ただ、新たなる魅力あるものを手に入れたり、美味しい物を食べる事にしか
喜びを見出す事ができないのです。
そう、日本社会は、人の価値が、より経済的に社会的に地位が高い事で決まり
其々の人間性や個性は二の次になっているからです。
より高い地位にあると言う事は、より多くの欲求を満たす事が出来、自分の欲望が
叶えられると思っているからです。
つまり、社会的地位が低ければ、欲望が満たせず、幸せでは無いとする考えが
潜在的に在って、いつまで経っても欲求不満の状態なのです。
他人よりも我儘が出来る事が、人間としての価値を示し、そうなる事を目指す事が
人生の目的であるかのような人が実に多いのです。
人間性の豊かさは大事であると思っていても、常に、外見的な社会的な価値が
自分の目的であり、対人的な思いは、自分の欲望の為には消されてしまうのです。
特に、自分よりも下と見なす者には、横柄な態度を示す方が少なく無く、
日本社会から、様々なハラスメントが無くならない理由でも有るのです。
多くの日本人の困った点は、子供の学校成績と同じく、社会的に地位が高ければ
人間的に優れているとする思い込みです。
人間の価値は、社会的な豊かさな価値で見なされ、外見的なパフォーマンスや言動に
簡単に騙されてしまいます。
また、少しでも地位が上がれば、他人よりも優れた人間に成ったと勘違いする人がいて
様々なハラスメントを平気で行う人が後を絶ちません。
日本の現代社会は、高度成長期に於いて、人間としての成長を忘れ、経済的に豊かに成る事に
偏った社会を築き上げて来た事に依って、経済的に豊かな社会と成っても、人間関係で
トラブルが絶えないのです。
問題は、国民の問題と言うより、そういう社会を作って来た経済社会優先を連呼して来た
リーダー達に有ります。
自然を破壊し、人間関係を経済性で差別する社会を創り上げて来た、自分達の欲望だけを
考えて来た人達が日本国民を不幸にしてしまったと言えるのです。
国民同士を競わせ、経済的に豊かに成る事がステイタスであり、人間的な価値であるかのような
社会を創り上げた事で、社会的に地位のある人達の横暴や様々なハラスメントが
横行するようになったのです。
子供達のイジメの様に、直接危害を加える様なものはまだ可愛いもので、大人に成ってからの
差別やいじめ、経済力を使った圧力や暴力は止まる事を知らず、外見的に豊かな社会の
実態とも言えます。
外見的に出立たない様に人を傷つけたり圧力を加えたりすることは普通であり、
より地位が高く経済性に富んだ方々の多くの人々に対するハラスメントは、メディアが取り上げる
個人的な物とは比べ物にならない程酷いものです。
組織を作り派閥を作り、お互いに足を引っ張り合い、欲望を叶える事が社会の目的と成り
見た目の華やかな大都会で有っても、人々にとっては、熾烈を極める争いの場と成っているのです。
しかしながら、誰もが同等に社会的経済的力を持っているならいざ知らず、現代社会は、
一部の権力者と一部の富裕層によって牛耳られているのが大きな問題です。
殆どの人々は、彼らの望む社会をより豊かにする為に働かされ、資産を削り取られ続けるのです。
消費は人生で最大の喜びであるかのような社会風潮を作り、常に消費経済社会の安定を図り
自分達の豊かさを堅持して行くのです。
所が、この豊かさが、人々の喜びになるなら良いのですが、殆どの国民が、消費し続ける事で
資産を失い、豊かさに浸る事無く、常に働き続けなければならないのです。
常にお金持ちになれない、欲求不満の状態に国民は置かれていて、どんなに働いても、全て
豊かな人達に吸い上げられるシステムが、日本経済社会の実態でも有るのです。
その為、多くの人達は、幸せになる為には、より地位の高い生活を求め、その為には、
周りの事など構ってはいられません。
そう、日本人は、子供の心からテストの点数を上げる事と、社会に出て、お金を儲ける事を
同じレベルでしか考えられなくなっているのです。
つまり、大人に成っても、どんなに沢山の知識を身に付け、経済的に豊かに成ったとしても
心は、成長していないのが問題なのです。
人間の心の思いは、千差万別であり、誰一人同じ思いは無いのですが、社会的地位を目指し
子供の頃から数字でしか人を評価できなくなっている方々は、そんな、他人の心の機微が
全く感じられないのです。
自分の言動行動が、どの様に他人に影響を与えているかが全く解らないのです。
その結果、多くのハラスメントが生れる結果と成るのです。
日本の文化の中に、他人の気持ちを察すると言うのが有ります。
自分の考えを主張する前に、相手がどの様な思いで有るかを感じる事に依り、最も適切な
対応が出来るのです。
相手の気持ちを考えない一方的な主張や行動は、人の気持ちを傷つけるハラスメントと言えます。
現在、多くのマスコミが取り上げる問題は、この相手を直接的に傷つけるハラスメントですが、
もう一つ厄介なハラスメントが横行している事に、多くの人達は気づいていません。
人を傷つければ犯罪に成ったり、社会的に批判されると言って、相手を傷つけない様に、最初から
批判を受けない様に、必要以上の丁寧な態度や言動を行う人達が少なくないのです。
丁寧な言葉や所作をすれば、他人を傷つけたり嫌がられたりはしないと、いかなる場面においても
最大限の友好的な態度で接しようとする人が多いのです。
多くのサービス業だけでなく、一般社会の人々の間に於いても見られる、慇懃無礼な態度です。
この事も、相手の事を察していると言うのではなく、ただ、トラブルを起こしたくない、クレームを
被りたくないとする利益を考えた一方的なへりくだりです。
この様な態度も、実は、やはり身勝手な自分の利益だけを考えた行動や言動であり、お相手の事と言うより
自分達の利益を考えて居るだけの心の無い行為に過ぎません。
人の心を察した結果ではなく、自分達の利益を損なわないがために、一番不満を抱かないと思われる方法で
利益を上げようとしているに過ぎません。
大切な事は、対人的な行動や言動と言うのは、お相手によって千差万別であり、その都度、体感しながら
一番適切な言葉や行動を選ぶ事が大切です。
今や日本人は、あらゆる場面でのハウツーは知っていても、その対処方法に、相手に対する思いやりを
入れる事を忘れてしまっています。
思いやりとは、ただ、相手が喜ぶだろうと言う事を並べただけでは、それは、苦痛でしか有りません。
本当に求めているのは何か、一体何をして欲しいのか、自分の考えとは何が違うのか等、
その都度、感じる力を身に付ける事が大切で有り、その為に小さい頃から様々な勉強をして来たと
言っても良いのです。
人間的に立派な大人となる為に、多くの人々から求められる社会人と成る為に勉強して来たのです。
テストの点数を上げる為、社会的地位を増すために頑張って来たのではないのです。
人は、誰からも愛されると生きている満足感を得られます。それは、自分の中に人々が求める物が
有るからと言うのではなく、多くの人達其々の心を理解し察する事が出来るから慕われるのです。
しかし、社会的地位や財産を築けば、多くの人から賛辞されると思っている人がとても多いです。
自分は、人の上に立っていると思っていても、多くの人は、ただ、社会的地位や財産を称えていて
人間としての本人の価値は、全く感じていない事が多いのです。
多くの経済的豊かな方が、次第に孤独に成って、生き甲斐を失っていく事の1つに、自分の周囲の人が
自分自身よりも、自分の社会的地位や財産に興味がある事に気づくからです。
また、自分は、その莫大なる資産を守る為に生きなければならない事に苦悩するのです。
いずれも、他人との関わり合いに問題が有る事が解ります。
長い歴史の中で、昔の日本人は、生きる為に最も大切な事は、大自然を敬い守る事、そして、対人関係を
豊かにすることを学んで来ました。富める時も貧しい時も、他人と自分との関わりを大切にする事で
幸せな一生を送る事が出来たのです。
今や、個人的に豊かに成る事が幸せと考える人が多くなって、他人を傷つける場面が増えているのです。
日本人の苦悩、それは、経済的に豊かに成っても、心が豊かに成れない事に在るのです。
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