めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

戦争で思う、人類絶滅への不安

2018-01-10 15:09:20 | 日本人

今、私たち日本人が怖い物は一体何でしょう。
人それぞれ違うとは言え、多くの人の心に常にあるのは、
もしもの事態ではないでしょうか。
1つは、未曽有うの天変地異、つまり、大地震の様に、
社会全体を襲う恐怖です。
そして、もう一つは、人為的な物、そう、戦争です。

殆どの日本人が体験した事の無い人類が起こす最悪の不幸は
人類が創り上げた歴史には必ず付いて回って来ました。
例え、平和な時が続いても、それは、次の戦争への一時の安心であり、
新たなる争いへの序章に過ぎません。

世界中の国々の歴史に於いて、国内外を問わず、戦争が行われなかった
と言う国は、殆ど無いと言えます。
例え、国家や地域の争いでなくとも、人間が集団で住むと言う事は
常に争いが絶えないと言う事です。

しかしながら、半世紀以上戦争を行ってこなかった我が国は、
戦争体験者が高齢化し、殆ど、戦後生まれの国民と成りました。
国民の殆どが、知識では解っていても、現実の体験は無く、
自らがその惨禍に投じられるとは思ってもいません。

この事は、戦争が起こる前の平和な時期を過ごした人が
誰もが思う気持ちであり、心の半分以上は、今のままの
平和な日々が続いて行くと信じています。
今や、私達日本国民は、そのどちらとも言えない状況に
如何に対処して良いのか、未来への希望を抱けない不安に
悶々としていると言えます。

しかし、戦争や大災害が、本当に私達が恐れる物と
言えるでしょうか。
確かに、そのどちらも、その結果は惨憺たるものであり、
私達が恐怖を覚えるに十分な不幸と言えます。
数年前に発生した東日本大震災の甚大なる被害、更には
連日メディアが伝える世界中の戦地からの悲惨なる状況。
また、突然飛び込んでくる卑劣なテロ行為と、そのどれを
とって見ても私達の心を締め付けます。

何故、自分が被害を受けていないのに、それ程にも
恐れを抱いたり、悲しみや苦しみを感じるのでしょう。
もちろん、当事者にとっては、正に地獄に居る様なもので
自分達が平和に暮らしていた頃から比べれば、筆舌に
尽くし難い恐怖と怒りに包まれている事と思います。

私達人類は、太古の昔から、大自然の脅威から身を守り、
子孫を残していく為に、お互いに協力し合って生きて
来ました。
一人では対処できない事に、大勢の力で立ち向かう事で
様々な危機を乗り越え、多くの富を得る事が出来ました。

つまり、人間は、一人では生きられず、お互いの力を
集め合って、様々な難局に対処して来たのです。
少数ではとても対処できない事でも、多くの人々が
力を合わせる事で、問題を解決できることを学びました。
一人でも多くの人の力と知恵が集まれば、より多くの富を
得る事が出来、多くの難題を解決する事も出来たのです。


この事は、現代に至るまで、人類の生き方の原点とも言え
人類の歴史を刻むと言う事は、人と人との関わり合いを
より豊かに強くするかというのが重要といえたのです。
その為、人々は、お互いに他人の考える事行動する事に
深く関心を持ち、常に、お互いの行いに反応し合って
生活をして来たのです。

この事は、人類が起こす様々な行為に対して、たとえ
自分が関わっていない事でも、まるで、当事者であるかの様に
その状況や心境を共有する事が出来るのです。
それ故、大災害であったり、戦争という非常事態に、敏感に
反応し、自らの心にその悲惨さを感じてしまうのです。

良い事も悪い事も、人は、お互いに心の中を共有するものであり
出来る事なら、常に、楽しい事を共有したいものです。
生きている間、楽しい事ばかりであれば、どれ程楽しい人生が
送れるかと思うのですが、残念ながら、次々に、思いもしない様な
アクシデントや不具合が生じるのが人生でも有ります。
特に、私欲が絡んだ人間関係は、増々こじれてしまい、
解決の糸口を見つける事すら難しくなる事も有ります。

私達は、日常的に、自分に都合の良い様にいつも考えて生きています。
ほんの些細な事であっても、自分のルーティンの様に、スムーズに
進んで行く事を望みます。
しかしながら、同じように、周囲の他人や家族も、同じような思いで
生きているのです。
その為、お互いのルーティンが交錯すると、様々なトラブルが生じ
時に争いと成ってしまうのです。

とは言え、日常的には、その都度、お互いの回避方法を見出して
殆どの場合、トラブルとなることは無いのですが、実際は
心の中で、少しづつその解消として使われた心の緊張が、心の
疲れと成り重荷となって、心と身体を傷めるのです。

私達人間は、お互いに協力し合う為に一緒に行動をするのですが、
その反目、一緒に動く事で、自分自身のルーティンを制御する事で
いつの間にか、多くの疲れが溜まって来るのです。
この言いようのない日常の疲労が健康を蝕んでいくのですが、
多くの人は、様々な解消法を知っていて、自分なりに、他の事で
欲望を満たす事に依り、自らの心を癒していると言えます。

ところが、この、人間の心の思いを国としての方針とした時
自国の利益を守るために、主張をする事に依って争いが起こります。
どちらも譲らなくなったとき、戦争が起こるのです。
基本的に、戦争は、人の心が生み出した物であり、人々の不満や不安
そして己の主張を顕わにした時、突然国同士の争いとなるのです。

戦争は、決して他人事ではなく、人間の誰もが持っている心の中の

主張であり、我欲であるのです。
つまり、お互いの国としての主張を認め合わないで、自国の思いを
主張しようとして起こる事であり、その結果、多くの国民が傷つき
国土が破壊されるのです。
戦争は、人々の争いの様に、お互いの主張を認めず、自己主張を
強引に押し通そうとする事なのです。

現実の世界を見ても、二人のリーダーが、お互いの主張繰り返す事で
一向に解決の糸が見いだせないのです。
問題は、悲惨な戦争が起こってしまわないか、と言う事ではなく
何処で、お互いの道を認め合うかと言う事なのです。

その為の様々な条件を出し合っているのですが、双方が納得せず

力を持って相手をねじ伏そうと脅し合っている事が問題です。
戦争は、憎しみ合って起こると言うより、お互いの考えを
理解できない事から起こる、ヒステリックな暴発なのです。

その結果、巻き沿いを食らうのは、一般の国民なのです。

第二次世界大戦に於いても、日本国民の殆どは、連合国側を
憎んでいたわけではなく、誰も戦争をしたいとは思っては
いなかったのです。
しかし、首脳部は、自分達の想いの正当性を生むために、
国民に、鬼畜米英と言った洗脳教育を行って、戦争する事を
納得させようとしたのです。
この事は、多くの国のリーダーが行う国民への洗脳行為であり
強力な独裁国家を築き、リーダー達の欲望を満たすために手段と
言えるのです。

人間は、お互いに協力し合って、多くの難題を解決してきましたが、
その一方で、自らの欲望を満たし、人々の長として君臨したがるという
困った性格が有るのです。
人々の思いを遂げる為のリーダーとして働く一方、人々を利用して
自分の欲望を叶えようと言うのは、時代を超えて現代に至るまでの
人類の歴史が示す通りです。

戦争は、人類が無くすことが出来ない、人間としての業であり、

地球の生き物の中で唯一与えられた戒めでも有るのです。
人の心に潜む、最も醜く我欲的な物と言えるのです。
人類は、地球に在るあらゆる資源を利用し、更には人間同士
奪い合い進化を遂げて来ました。

人類の中で、大きな権力を持った者が、欲望を達成する為に

争いを生み支配して行く構図は、今も昔も同じなのです。
この欲望からの支配は、決して戦争だけとは言えず、
平和な中でも、経済的な争いとして、あらゆる資源食料を
手に入れる事で、事実上の支配を行っているのです。

しかしながら、あらゆる生物の運命として、いずれ、絶滅する事が
地球に生きる動物の歴史と言えます。
殆どの場合、様々な天変地異を伴った気象異変や環境変化によって
絶滅をするのですが、人間の場合、自らの力で、自らの首を絞めると言うのが
ストーリーとして組み立てられているのかもしれません。
本来ならば、地球規模の大自然の脅威によって、絶滅させられるのでしょうが、
私たち人類は、自らの力でこの世を去る運命にあるのかもしれません。

既に、異常気象は未来の人類に警鐘を与え、近い将来、生き物として生きる糧を
得られなくなると考えられています。
地球の歴史の中での大絶滅が何度かありましたが、そのスパンは、数億年という
長いサイクルの下で行われてきました。
私達人類が生れて600万年程、その歴史は、地球の歴史の尺度からすれば
ほんお微々たるものです。

本来ならば、人類が他の生物達と同じように食物連鎖の下で生きていれば、

この先何百万年も生きながらえたのでしょうが、人類が、自分達の事だけを考え
地球の富を全て奪おうとした時点で、運命の歯車が高速で回ったと言えます。
自らの力で絶滅を導くには、核戦争が一番手っ取り早いと言えるでしょう。
上手く回避したとしても、地球温暖化に伴う気象異変や環境変化は、いずれ
人類だけでなく多くの生き物達の大絶滅と成るのは明らかと言えます。

私達の心が感じる悶々とした不安は、決して身近な戦争に対する事でなく

近い将来訪れる人類の絶滅への本能的な不安かも知れません。
戦争への不安は、具体的な人類の絶滅へのダイジェストに過ぎず、
世界中で頻繁に起こる大地震は、人類に対する警告なのかも知れません。

 

 



 

 

 

 

 

 

 



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