めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

バラ色の老後は、新入社員の気持ちで

2016-03-15 16:12:13 | 高齢化社会

誰もが定年の年代を迎えると、新たなる人生を
考えるものです。
それまで、現役として、第一線で戦って来た日常と
全く異なった、未知の世界が始まるのです。

人は、何十年も何かの事に打ち込んでいると、
身も心も、全ての生活がその事を中心に回っていて
例えそれまでの人生が苦しくとも、心の支えとして
生きて来た毎日であった為、新たなる生活のリズムに
順応して行く事に苦慮します。

しかしながら、残りの人生を幸せに楽しく生きる為には
生活が保障されれば大丈夫と思いがちな所に、
老後の落とし穴が待っている事を知らなければなりません。

特に、老後の資金、保険保障が有れば、素晴らしい日々が
待っていると思っていると、いつの間にかに、人生の悲哀を
味わい、老いる事の悲しみを噛みしめる事ともなるのです。

現代の様に、世の中が不景気であり、老後の資金を得られない
周囲や国からの保証を受けられない人々が多い時代は、とも角
元気で幸せに生活できるには、少しでも資金が有ることと
考える人がとても多いです。

でも、世の中には、思いもよらない事が起こるものです。
特に、老後の資金も保障も十分な人達が、毎日の生活に苦しみ
将来に夢を抱けない方々が増えています。

最初の問題として挙げられるのは、それまでの仕事をリタイヤし
毎日、全く違った趣味や運動に打ち込もうとして起こる、一見
老後を楽しもうとしている様な方々に生じるストレスです。

多くの方々が、自分の好きな事を毎日出来るバラ色の日々と
考えがちですが、楽しい事は、直ぐに飽きてしまう物なのです。
どんなに美味しいものでも、三日も食べ続ければ飽きてしまうのと
全く同じです。

例え長年の趣味であっても、忙しい日々の合間を使う事に因り
その楽しさを味わっていた事も多く、いつでも出来るとなると
途端にその興味は色あせてしまう事が有ります。
お金が有れば、なんでも手に入るし、何処でも好きな所に行ける
と言うのも、しょせん数年の間だけの気持ちで、直ぐに飽きて
何も興味が無くなる方が多いのです。

こんな時、一番の問題は、定年までの心を支えた仕事が無くなり
ストレス解消に役立っていた、趣味や旅行と言った、憧れの目的に
興味が無くなって来る事です。
残りの人生を夢見ていたのに、次第に興味も関心も無くなって来ると
次に現れるのは、心や身体の病です。

幸い、沢山の保険に入っていたり、生涯資金が有ると安心かと
思われますが、その資金や保険は、病を癒す為に使われて
その間、少しも自分の心を癒してはくれないのです。

老後の楽しい日々を送る為の資金が、閉ざされた部屋の中で、
例え、完全看護であっても、白い天井を眺める為に使われるのでは
長生きする喜びも、老後の楽しみも自由も無くなってしまうのです。

では、老後に楽しさを見出し、死ぬまで心も身体も健全に生き生きと
保っていくにはいったいどうしたら良いのでしょう。
仕事に追われた現役当時、その仕事は、何のためにしていたか
考えてみれば、どうしたら良いのかのヒントが浮かんできます。

つまり、自分が食べて行く為より、家族や仕事仲間を生かすために
頑張って来たと思われます。
仕事は、会社と言う組織と言うより、そこに働く人々と協力して
御互いを生かすために頑張っていたはずです。
また、その見返りとして、家族を育て上げる事も出来、定年の時は
仕事仲間や家族からその労いの言葉を受けたと思います。

つまり、私達は、現役であろうが引退しようが、誰かの為に誰かが
喜ぶ為に生きてこそ、自分の楽しみが生き、更には自分自身の
存在価値が出てくるのです。
大切な事は、家族であり、周囲であり、自分の周りの人々との
絆を失わないで、自分が周囲に何が出来るか、出来る事は何なのかを
考える事です。

人生の中で、自分と周囲の人達との関わり合いは、キャッチボールの様に
御互いに関わり合い、思いを投げかけなければならないのです。
良いボールを投げれば、良いボールが返って来ます。
現役当時は、力強い投げ方だったかもしれません。
しかし、気力や体力が衰えれば、同じボールは投げられません。
でも、投げる事に意味が有り、その投げられたボールに人は答えてくれます。

問題は、ボールを投げなくなってしまい、投げてくれる事を期待する事です。
確かに、沢山お金が有れば、良いボールを投げてくれる人は多いかも
知れません。
しかし、その返ってきたボールは、見返りであるお金を期待しています。
そんな見てくれの商売的な答えは、人生のベテランには無意味です。

年を重ねれば、身体は衰えて行くのが自然の姿です。
しかし、心はより豊かになり、様々な経験の元、本物を欲するものです。
残り少ない人生、今、自分がこの世に生きている意味が有るのか価値が
有るのかが、高齢者の心にいつも浮かぶものです。
どんなに豊かな生活をしていても、どれだけ自分の存在を喜んでくれる
人々がいるか、それは、人々と関わることでしか得られないのです。

今や、様々な勧誘が高齢者の日常に付き物と成っています。
どの謳い文句も、人生の喜び、老後の楽しさを並べています。
しかし、それらは、全て、生活は豊かにできても、心を豊かにできる
とは言えないのです。

年を重ねると何もできないと思うのは、本当の老人病です。
生きているという事は、なんでも出来る可能性が有り、
出来る事が存在価値と成るのです。
ただし、現役の時と同じ事が出来るとは限りません。
例え、出来たとしても、昔と同じレベルは不可能です。
それ以上出来るとしたら、もう今まで遂げられているはずです。

今まで経験した事の無い事をチャレンジする事が大切です。
未経験の事は、当然一年生ですが、必ず進級して行くものです。
つまり、上達するのり代が十分あるという事です。
そして、新たなる人間関係を築く事に因り、そこでの存在価値を知り
喜びが得られるのです。

定年をして新たなる時代を迎えるという事は、新たなる自分を作れる
チャンスと言えます。
学生時代を経て、社会人になった時の様に、新鮮な気持ちで頑張れば
人生が二倍楽しめると言えるのです。








 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿