めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

たら、れば、の解説ばかりのコメンテイター

2017-04-13 16:35:14 | 日本人

日本周辺の緊張感が高まっているにもかかわらず、日本国民は
太平の世を謳歌している様に、全く危機感も無く過ごしています。
この事態の緊急性は、幹部やリーダー達には良く解っているのに、
一番犠牲になってはならない国民に対しては、何の説明も対策も無く、
上層部でのやり取りで、国民は蚊帳の外と成っています。

連日、テレビ番組で取り上げられるものの、出て来る知識人や
コメンテイターは、ただ、推測を述べているだけで、見ていても
何の進展もありません。
もちろん、有事と成れば、様々な事が予想さえるでしょうが、
なった場合、国民は、如何に自分達の命と財産を守って行けば良いか
なんの提案も指示も無く、ただ、状況を見守っているだけの
リーダー達の無神経ぶりが伺えます。

もし、突然、ミサイルが日本の都市に着弾した時、膨大なる犠牲者が
出た時、一体誰が責任を取るのでしょうか。
またもや、想定外と言って逃げるのでしょうか。
当然に、その時には、日本の首脳陣は皆、身の安全と財産の確保を行い
決して危害を受けない状態になっているのでしょうけれど、国民を守れず
自分達の保身に駆けずり回っている様では、本当に情けないです。

またもや頭の固い人ばかりで、現行の縦割りの執行しか出来ず、
緊急の事態に対処できないのかもしれませんが、それにしても、他国の力で
日本人の命を守ろうと考えているのなら、上に立つ資格は有りません。
軍事力は無くとも、しっかりとした日本の指針を世界に示す事と、
国民に具体的な安全策を提案しなければ、もしもの時、被害を最小限に
留める事は出来ないのです。

何も、具体的な軍事力を増すだけが国力を増す事では有りません。
一番大切な事は、国民がしっかりと日本国土を守ると言う意識を
持つことです。

これは、日本に住んでいるならば、どの様な立場に居ようと同じです。
日本を愛し、日本人を慈しむ気持ちを高める政策はとれるはずです。
経済的に豊かであっても、個人個人の欲望ばかりが目立つ国家では
有事の時も災害の時も、本当に助け合う事は出来ないのです。

国を守ると言うのは、自国のみを良くすれば良いと言うのではありません。
自分達の国の存在が、世界の国々に認められて初めて意味が有るのです。
世界にとって、日本の存在が無くてはならない様でなければならないのです。
独占的な利益を求めている様では、いずれ、多くの国々から反感を買い
国民にその付けが回ってくるのです。

本当に日本を愛しているのなら、国土を傷つけることも汚す事もなく、
大切な日本の宝を未来に繋げようとするものです。
個人的な利益のみならず、国民全体の財産である日本の文化自然を
慈しみ守ろうとするはずです。

もし、その様な大切な宝を傷つけたり破壊したりする危険性が出て来たら
当然、守るべく運動を起こさなければならず、国は、率先して国民の命や
財産のみならず、日本国土の全てを守る義務があるのです。

メディアに、想像と推測ばかりをさせ、無駄な不安を駆り立てさせない様
しっかりとした国としての見解を示す事が重要です。
今やネット社会と成り、国民の多くは、国にただ管理されるだけであり、
個人的な欲望は追及しても、日本国民としての日本を愛する気持ちが
薄れがちです。
学校教育も、社会活動においても、個人的な欲を求める事が目的になっても
私達の生きている日本への思いは、ほとんど無くなっているのが現状です。


自衛隊は、仕事として日本を守ると言う気持ちは強くとも、一般の人は
自分の欲望しか考えていないのが実情です。
そんな時、突然、日本の各都市で火の手が上がって、多くの人々が
傷つけられ殺害された時、残されて人達は、一体どうしたら良いのでしょう。
次は我が身と、恐ろしさでパニクッてしまうのでしょうか。

本当に、親方アメリカは、日本を守れると思っているのでしょうか。
戦争は、そんなにも甘いものでは有りません。
アメリカが、日本に軍事基地を置いているのは、日本を守る為ではなく、
日本を防衛線としてアメリカ本土への被害を防ぐ為なのですから。
アメリカにとって利益が有るから基地を撤廃しないのは明白です。

もし、戦況が悪くなり、派遣したアメリカの兵隊に被害が及ぶように成れば
何も躊躇わず、日本を棄て、日本を犠牲にする事は明らかです。
つまり、日本国土は、戦地と成って荒廃し、大きな犠牲を払う事は
否定できないのです。
日本が置かれている立場は、日本人に生きるか死ぬかを選択させるような
危険な状況に在るのです。

もし、安全であると言う値が、90%を超えていたとしても、残りの10%は
多くの人々が不幸になる可能性があると言う事です。
安全で平和と言うのは、100%であることが、日本国民が、枕を高くして
眠ることが出来る条件なのです。

しかし、今の状況を100%安全と言える指導者たちは何人いるでしょう。
もしかして、もしも、と言う可能性を殆どの政治家たちは思っている
と考えられます。
にもかかわらず、国民に対してなんのケアも無く、ただ、マスコミで流れる
たら、ればのコメンテーターの実り無い解説を放置しているだけなのです。

災害も戦争も、客観的に見ているのと実感するのとでは、雲泥の差です。
戦争の体験も無く、単なる知識でもっともらしい解説を聞いたところで
どれだけ国民が納得するでしょう。
ただ、不安感をかき立てられるだけで、国民の心は益々晴れません。

前回の戦争にしても、多く体験者が他界し、その恐怖と絶望感を伝える
生き証人が非常に少なくなっています。
その言葉は、余りにも重いものですが、そんな事実も、彼らの体験の
ほんの一部であり、言葉にすらできない事が毎日有ったのです。

戦争からたとえ生き残っても、心の傷は一生残ります。
遠い昔の災害であっても、あの時の悲惨さは、幼い頃とは言え、
いまだにトラウマと成って心に残っています。
人は、強い苦しみや悲しみを体験すると、その後の人生に於いて
様々なトラウマを背負うものです。
どんなに大きな戦争であっても、国民すべてが傷つき殺されると言う訳
では無いにせよ、残された多くの国民も、苦しい思いを抱き続けるのです。

第二次世界大戦に於いて、周辺の多くの国々に、苦しみと悲しみを
与えたことが、現代の日本が置かれる苦しい立場を作ったとも言えるのです。
そんな国の1つが、今や、その報復ともいえる手段を取ろうとしているのです。
決して行ってはならない行為ですが、その種をまいたのが我が国であると
素直に受け取れる日本人がどれだけいるでしょう。

今や、世界中の人々を震撼させるテロ行為も、その原因は、過去に於ける
深い悲しみと苦しみ、そして憤りが原因と成っているのです。
現在、頻発するテロ行為そのものは、決して肯定されるものでは無いものの
その原因を探ると、如何に、欲望に任せた争いが、人々を不幸にするかが
良く解ります。

この様に、人類の歴史は、戦争の歴史と言ってもいいと言えます。
傷つけ合う事に依り、より憎しみを生み、更なる争いを生んでいます。
この途切れることない不幸の連鎖は、人類が生み出した、最悪の恥部
と言え、いかなる文明の進歩も人間の進化も否定される程と言えます。

もし戦争と成ったら、日本が巻き込まれたら、と言った、仮定に基づく
身の無い話し合いは、あくまで想像の域であり、人々の不安を取り除いたり
未来への夢を繋げる物では有りません。
何故、戦争を行ったらいけないか、それは、この危険をはらんだ状況を
新たに作り上げ、次なる世代を不幸にしてしまうからなのです。

戦争を知らない人々に、想像もできない恐怖を感じさせる原因が、
前回の戦争に在る事が一番の問題なのです。
平和な社会に生まれ、戦争を知らないで育ってきた人々が、突然、戦争の
恐怖を味わなければならないか、これこそ、本当の不幸なのです。

幸せの絶頂から、突然、地獄に落とされるのが戦争です。
その原因が、これまた、戦争に在るのです。
人を憎しみながら人生を生きなければならない不幸は、我が国を敵視する
周辺国に多く有ります。
戦争で受けた悲しみや憎しみを、戦争を知らない人々が受け継ぎ、
更なる戦争への切っ掛けを作っているのです。

お互いに憎しみ合う事が無くなれば、戦争は起こらないのです。
その為には、魅力的な国を作り人を育てなければなりません。
他国から見て、憎しみの対象と成るか憧れの対象になるかは、国民にとって
天国か地獄の差と言えるのです。
いま、日本を憎しみの対象としている国が、周辺に有ります。
何故、我が国が憎しみの対象に成っているかを、深く考え、
その原因をしっかり受け取る事が重要と言えます。

我が国にミサイルが飛んで来るなんて、在ってはならない事です。
では、何故、そんな危険な物が飛んでくるのか。
その原因は、何なのかをしっかりと認識できることが大切です。
将来の日本と日本人が、世界の国々にとって、魅力的な存在と成れば
戦争は起こらないのです。
幾ら軍事力を高め、周辺国を威嚇したとて、本当の平和は訪れず、
下手すれば、機を見て攻撃を加えられるのが落ちなのです。

戦争とは、自国の存在を、力を持って示す事です。
その事で、多くの人々を傷つければ、憎しみを生む事で、いずれ
同じ痛みや苦しみを受ける事と成るのです。
周辺国に、これほどまでに憎まれ嫌われる原因は何なのか、
その事を認めない事が、更なる憎しみを生んでいる事は否めません。

しかし、戦争は、勝っても負けても多くの人々を傷つけ苦しめます。
原因を追究し、一方的に非を認めさせても解決するものでは有りません。
何故なら、双方に悲しみ苦しみを背負ってしまった国民が多く居るからです。
何処かで、この悲惨さに気づき、お互いの国が、未来に於ける信頼と尊敬を
抱ける存在と成る道を見つけることが一番大切と言えるのです。

もし、今回、日本本土にミサイルが着弾し、多くの日本人が死傷したとしても
この事で、一体誰を、憎しみの対象にするかによって、日本人の未来が決まり
幸せになるか不幸に成るかが決まります。
残された多くの国民が、憎しみを募らせ、何十年もミサイルを発射した国を
呪い続ければ、いずれ、我が国から、同じように、ミサイルが放たれ、
多くの人々が傷つき殺される事でしょう。

この悪夢の様な連鎖を、日本人の歴史として積み重ねて行って
良いのでしょうか。

ミサイルが発射されないだけでなく、何とか、事が収拾される事を
心から望みたいものですが、戦争に成ろうが無事事が収まろうが、
未来に向かって、日本が他国から憎しみの対象にならない国となる為に
どの様な努力を行って行けば良いか、たら、ればを考える以上に
日本人にとっては大切な事と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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