めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

自分以外を信じられない日本社会

2018-07-25 21:17:41 | 日本人

確実に、ここ数年の異常気象は、日本人の生活を狂わせ、日本人の感性に
悪影響を与えています。
ただでさえ、消費経済国家で生きる事にあくせくしている国民が、生きる為の
拠り所としていた日本の大自然を工業化で破壊され、されには、地球自体の
気象変化で、日本人のDNAに刻み込まれた、万物に対する豊かな感性が
狂いを生じ、四季の移り変わりと共に、心豊かな生活をしていた歴史が
殺伐とした、だだ、自分の事しか考えられない、かつて日本人が最も嫌った
生き方を強いられる様に成って来たのです。

外見的な豊かさ、自分達の欲望の為に、自然とも人間とも関わり合いを絶ち
ただ、欲求を満たすために生きる人生は、如何に幼稚で惨めで、人として
あまりにも見苦しいと言わざるを得ません。
常に、周囲の人の気持ちを考え、お互いに幸せに成る方法を常に考える事に
努力をしてきた日本人が、いつの間にかに、自分の欲望を叶える為にしか
努力をしなくなって来ているのです。

しかも、自分以外の人からは利益は得ても、それに似合った還元は考えず、
欲しい物は無理やりでも奪い取る事を良しとた考えが横行しています。
持たざる者は、持っている人から奪い、より豊かな生活をしている人達は、
自分達を守る事に専念する、日本人同士がお互いに信頼がおけない社会は
いずれ、アメリカの様に、各自が銃を持ち、自らを守らなければいけない
殺戮と暴動の社会と成ってしまいます。

正に、人を見たら泥棒と思え、と言う、人を信じられない最悪の社会です。
少し前までは、夜道を子供や女性が歩いても、何の心配もなかったのですが、
今や、日本中で弱者が傷つけられる事件が頻発しています。
しかも、一般の社会に於いても、パワハラ、セクハラは当たり前であり、
日本社会は、ただ経済的に豊かに成れば良いとする、我儘な人間が溢れ
社会全体が殺伐として来ました。

人々は、お互いに他人と関わらない生活をしている事から、自分以外の人が
一体何を考えているのかが解りません。
子供の頃から、ただ、与えられたものを熟し、大人の言い成りに成っている
生活を続けている事から、他人との心のやり取りが解りません。
その為、公共機関や多くの人が集まる場所では、ともかく、お互いに関わらないで
被害者にも加害者にもならない様に心掛ける事しか出来ず、時に、大きな誤解を
生んだり、思いがけず人を傷つけてしまったりすることが多くなっているのです。

かつては、世代の違いで、考えが合わなかったり、相手が何を考えて居るか
理解できなかったりしたものですが、現在は、同世代で有っても、たとえ家族でも
お互いの気持ちを察する事が出来ない人が非常に増えています。
その為、自分自身の生き方考え方に自信を持つ事が出来ず、社会の動きや流れに
簡単に迎合したり、メディアに登場するタレントや有識者の話を簡単に信じ
騙される人がとても多いのです。

この事は、子供の頃から、個人的な人間性を高める教育と言うよりも、大人や
社会に都合の良い子供を作る事が教育の中心となっている事に依ります。
学校や社会の方針に従える子供は優遇され、社会の中心に置かれる様になります。
つまり、社会に出ても、社会を動かしている人達を守り、より豊かにする人材が
常に求められているのです。

その為、上の地位の人にとって都合の良い人間になる事は有っても、他人や
自分の周囲の人には何の反応を示さないのです。
たとえ、多くの人が集まる大都会で有っても、殆どの人が孤立している理由が
日本社会の実態で有り、消費経済社会の姿といるのです。

縦社会から生まれた日常は、自分の関わる人達とはやり取りが出来ても、
自分と関わり合いの無い他人に対しては何の反応も示さず、例え、自分以外の人が
突然目の前で倒れたとしても、何の具体的な行動もとれない人が多いのです。

しかし、そんな日本人でも、生きて行く為には、仲間を増やし、家族を持って
生活して行かなければ生きていけません。
所が、家族も仲間も、世の中からすれば、ほんの小さな微々たる存在とは言え
家族を守り、仲間と喜びを得る為には、この殺伐とした社会から利益を得て
行かなければならないのです。

何故、日本社会は、多くの人にとって生き辛いのか、それは、自分以外の人が
自分に対して何の関心も無く癒しも与えてくれないからです。
日本人と言いながら、日本人としての絆も信頼も無ければ、日本にいながら
何処か知らない国の人と暮らしている様なものです。

経済的に豊かであれば、煩わしい人間関係は必要で無いとする人が増えていて
経済的に豊かな人達と、日々の暮らしに苦しむ人達とは、経済的以上に、
全く別の人種であるかのような関係が出来ているのです。
今や、日本社会は、豊かな人達の社会と、そうでない大多数の人達の社会に
分かれていて、よほどのことがない限り、お互いにテリトリーを分け合って
生活しているのが現状です。

公共の機関でお互いの社会の人々がすれ違っても、まったく無関心を装い
生活の殆どが、其々のレベルに応じた社会体形と成っています。
子供の頃から、生きる環境が違っていて、お互いの社会に関わる術を
持たないで大人に成って行くのです。

問題は、社会全体を動かして行くべき地位の人達が、政治家の様に
例え庶民の間から選ばれたとしても、しばらくすれば、豊かな人達と
関わるも、自分を支えてくれた人達からは遠のいて行く事です。
地位が上がり豊かな所得に恵まれると、たとえ政治家であっても
利益を与えてくれる人達に、簡単に尻尾を振ってしまうのです。

いつまで経っても無くならない贈収賄事件、地位を利用した
利益供与は後を絶たず、政治家になると言う事は、私欲を満たす事である
と言っても過言では有りません。
当然、リーダー達がこの体たらくであれば、国内は、益々荒んだ社会と
なって行くのが当然であり、経済的な問題だけでなく、人間として
日本社会は生き辛いと言えるのです。

経済的成長は有っても、人間的成長が伴わない人達が増えているのは、
日本人が置かれている環境が、如何に子供の頃から、人としての教育と成長が
ないがしろにされているかが解ります。
テレビを始めとする外見的豊かさや美しさを求めるあまり、その裏に隠された
様々な人間模様を感じる事が出来ず、常に、誰かの考えや判断を仰がないと
自分の生き方が解らない人が増えています。

経済的な豊かさや社会的知名度でしか人を判断できなくて、著名人たちの言葉を
そのまま真に受けたり、身近な人達の真意が理解できずトラブルに成ったりと、
日本社会は、日本人の持っていた、豊かな人間性と感受性を育てる事が出来ず、
人との比較でしか、自分の幸不幸が判断できない寂しい人が目に付きます。

餌を投げられれば一斉に飛び付き、無くなれば、一気に散って行く池のコイでは
余りにも寂しいと言わざるを得ません。
人としての自分自身も他人の心も感じられず、自分に自信が持てず、常に周りの
評価を気にしている人生は面白いはずは有りません。
当然、常に誰に対しても批判的であり、著名人や自分より地位の上の人に対しては
簡単に迎合してしまう方が実に多いです。

人に対して礼義を尽くし、教えを乞う事はとても大切な事ですが、それは、その人の
人間的な価値に対してであって、社会的な価値や外見に対してではないのです。
しかし、人其々の心の違いを感じられない人が実に多く、簡単に外見で騙されたり
逆に、傷つけたりする場合が増えています。
その為、日本人の多くが、他人に対しておく病と成り、自分自身に対しては、常に
不安が付きまとい、心が癒されない方が多いのです。
しかし、その心の不安を、外見的な物で満たそうとする事で、一向に先が見えず、
一人苦しんでいるが実情です。

社会的な地位や名誉財産を身に付ける事で、そんな寂しい心を満たそうとして
苦しむ日本人がいかに多いか、例え、経済的に豊かな生活をしていたとしても
いつも孤立を感じている人は少なくないのです。
日本人の豊かな生活は、いまだ、外見的な豊かさに過ぎず、より経済的に豊かに
なる事に依って、自分の寂しい心を慰めているとも言えます。

人は何故、豊かな生活をしたいのか、素敵な人と巡り合いたいのか、楽しい家庭を
築きたいのか、多くの人から賛同されたいのか、この答えは、唯一
自らの存在価値を感じて、不安で寂しい心を癒したいからです。
人は、自然界に投げ出されたら、何も出来ない存在です。
身に着ける物、食べる物、生活必需品全てが与えられて初めて生きていけます。
身包み全てを取り去られたら、生き物として、最もひ弱な部類に入るのです。

しかし、人類がこれほどまでに進歩でき、地球上の生き物の頂点に立てたのは、
お互いに、足りない物を与え合って、満たされない心を満たし合う事に依って
今の大繁栄を勝ち得たのです。
人間の作り出した様々な便利で豊かな物が有ったから今の繁栄があったのではなく
より豊かな人生を送る為、より幸せな気持ちになりたいが為に、様々な物を生み出し
一人一人の心を癒して来たのです。

お金も地位も財産も、誰もが幸せに成りたいが為に生み出した物であり、
それらの存在が、私達を幸せにしているのではないのです。

経済社会に生きる多くの日本人が、本当の目的を見失ったところから不幸が始まったのです。
どんなに働いても、どんなに便利で豊かな生活をしたとしても、心の奥底には、不安が残り
本当に心から幸せを感じられないのです。

豊かな生活をする事で、多くの人達から祝福を得られるのならいざ知らず、豊かに成れば
逆に妬み誹りを受け、自らの地位や財産を守る事に専念しなければならない現実は、
消費経済社会の不幸と言わざるを得ません。
ただ、社会的に豊かで守られていると言うだけで個人の幸せと考える日本人が、
いつまで経っても、本当の豊かさと安心を得られないのが実情と言えます。

多くの著名人だけでなく、一般的に豊かな生活をしていると思われる日本人が
日々、心が孤立して、誰からも自分の存在価値を認めてもらえず、ただ、外見的な
社会的価値のみの好奇心で集まる人々に辟易している場合も多いのです。
人間が人間の中で生きる時の幸せとは一体なんなのか、見てくれの幸せに、安易に
身を委ねている日本人が、いつまで経っても本当に幸せに成れないと言うのは、
ある意味、仕方のない事なのかもしれません。



 

 

 

 

 

 

 

 



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