羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

秋櫻花をゆらす風……かそけさ

2016年10月02日 07時47分52秒 | Weblog
 今朝はいつも通りに目覚めた。
 まだ暗い。
 暗い中、玄関の鍵を開け、郵便受けに朝刊を取りに行く。
 日経新聞も朝日新聞も、二紙ともすでに投函されていた。

 新聞を手に、鼻を少しだけ上に向けて、香りを探す。
 何日か前には金木犀の香りが朝の風に乗って、秋を告げてくれた。
 どうやら咲き始めだけがその存在を遠くまで運ぶらしい。
 鮮明な輪郭の香りは、到達してこない。

 しばらく新聞を読み、途中で電気釜のスイッチを入れ、朝餉のみそ汁の具、サツマイモを小口に切って水にさらす。次に、冷蔵庫からだし昆布とかたくち煮ぼしを水に浸した鍋を取り出しガスレンジの上に置いた。
 そこまで準備して、そっと襖を開けて母を見届ける。おそらく昨晩の動乱以後、一度も目をさまさずに熟睡しているのを確かめて、二階に上がった。
 ようやく半分ちかくに達した本を手に抱く。厚い、ぶ厚い、『苦海浄土』である。
 この本を読むことをずっと避けていた。しかし読みはじめてみると、悲惨な内容にもかかわらず、柔らかで穏やかな語り口の日本語に、なぜか引き込まれる。
「ゆっくり読みたい」
 日本の原風景は美しい。
 豊かな海は実に美しい。
 誠実に海と向き合い、海を慈しんだ暮らしを楚々としてきた人々を襲った禍い。
 まだ途中だが、避けていた理由と、避けてきた後悔を知る。

 本を閉じ、階下に降りて、みそ汁をつくる。
 野菜の煮物や夕べのうちにつくり置いた貝柱の佃煮。
 あれやこれやをちゃぶ台に並べる。
 耳も遠くなり、鼻もきかなくなっている。それでも気配を感じる力は失われていないようだ。
 母が起き上がって、一緒に食べるという。
 髪だけをまとめてパジャマのまま席につく。
 おもむろにみそ汁を口に含んで、満足そうに飲み込んでいる。ホッ!
 
 母の様子をみながら、本の世界に引き戻された。
『苦海浄土』にも、食の描写がたくさんあったっけ。
 なんといっても著者の日本語は、方言は、おそろしいほどに美しい。
 不知火海と天草諸島を水俣側に立って眺めたら、どんな思いが沸き上るのだろう。

 私は、欠かせない朝の一杯のみそ汁を飲みながら、情景を思い浮かべる。
 出汁の味をつくり出すのは、海の恵み。
 このごろ使っているいのは、瀬戸内海息吹島産だけれど……。

 朝食をすませ、狭山茶をすする。
 手早く朝の片付けはすませた。
 体操をしようと思って二階へ上がる前に、母を見るとソファにからだをあずけて微睡んでいる。

 おだやかな日曜日の幕開け。
 ベランダから、筋向かいの家に咲く秋櫻花をゆらす風をそっときく。
 かそけさ。
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