羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「200Q」の民主党、日経新聞・風見鶏

2009年11月02日 18時56分15秒 | Weblog
 十一月一日付けのこの記事は、小澤幹事長批判・民主党の今を憂いている。
 ただ憂いているだけの文章ではない。
 ビシッと論じているが実に巧妙に、だ。
 
 何が巧妙かというと、村上春樹のベストセラー『1Q84』を引き合いにした見事な文章であるから。
 思わず切り抜き、その記事を手元に置いたのは昨日のこと。

 さて、その主旨となること。
 小説の女主人公である青豆が別世界に入り込んで、その世界を「1Q84年」と呼んだ。そこで彼女自分の身を守り生き延びるために「疑問符付きの世界のあり方に、できるだけ迅速に適応しなければならない。……その場所のルールを一刻も早く理解し、それに合わせなくてはならない」と、『1Q84』から引用して、見事に小澤党運営強化によって引き起こされている民主党内の息苦しさが強まる日々に警鐘を鳴らしている。

 内容はもちろんのこと、「1Q84]に「200Q」を懸けた見事な筆者の筆に‘星五つ’を差し上げたい。
「青豆さんにならって、野党時代の2009年の民主党と区別する意味で、現在の姿を200Q年の民主党と呼ぶことにしたい」
 凄い、凄すぎる。
 筆者の名は、編集委員 西田睦美氏。
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新・根津美術館で思うこと

2009年11月01日 08時41分23秒 | Weblog
 三十数年前、まだ東京藝術大学で授業をされていた野口三千三先生に導かれて、中国古代世界に出会った。
 古代中国の‘青銅器文化’である。
「これを見なければ絶対ダメよ」
 野口先生の強引ともいえる言葉で、さっそく見に出かけた。
 上野にある東京国立博物館で開催された‘中国青銅器展’は圧巻だった。
 第一室に展示されていた巨大な‘鼎’をはじめ、殷墟に眠っていた多くの礼器や祭器が迫ってくる。

「金文は青銅器に鋳込まれた古代文字だよ。そこを見るのも忘れないでね」
 甲骨文字と共に、漢字の源流をたどるにあたって、この青銅器群は見逃せないどころか、中国文物の華なのであることを教えられた。

 強い動物のいちばん強いところを集めてつくり上げた想像上の神獣をかたどった饕餮文の目が口が鼻が耳が手足が胴体が……、見る者を威嚇する青銅器だ。
 博物館に古代世界が出現した様はエネルギーに満ち満ちて、古代中国に生きた人々は巨大肉食恐竜が闊歩した中生代を知っているのではないか、と錯覚させ幻惑させるイマジネーション豊かな造形が身の毛がよだつ空間と時間を見せつけてくれたのだった。

 その後は、青銅器文化のなかから音楽をつかさどる楽器を出土した‘曽侯乙墓展’で「編鐘」等々を見たことがある。
 低音は二人して撞くほどに大きな鐘であった。
 その楽器から奏でられる音は、悪霊を払い、国家の威信を見せつける、いや轟かせるものだった。

 それを最後に、青銅器にお目にかかる機会を逸していた。
 ところが「新・根津美術館」で所蔵の青銅器が見られることを日経新聞の「春秋」で知った。
 昨日、さっそく南青山に訊ねた。
 丁度「新創記念特別展・国宝那智瀧図と自然の造形」が開催されていた。
 そのほかにも名品ぞろいの展示物である。
 しかし、今回のお目当ては、なんと言っても『【展示室4】古代中国の青銅器』である。
 期待は裏切られなかった。
 
 根津美術館では主に‘酒器’を中心に収集されていると言う。
『殷周の青銅器』鑑賞シリーズ10 根津美術館によると、新しい美術館を建てるにあたって青銅器を展示するために「世界一の展示室」を作ることに邁進されたそうだ。
 確かに落着いた空間に美しく展示されている。
 しかし、美しさと交換に殷代文物の荒々しさが失われてしまったことは致し方ないのかもしれない、と心中をなだめた。
 太陽の輝きから蝋燭の明かりまでコンピューター制御できる‘LED照明’に細心の工夫が凝らされている。
 裏方の美術館員のご努力は大変なものがあると新聞でも読んだ。
 ただ、贅沢な注文をさせていただけば、そうすることによって見るものの自由が束縛されてしまったような気がする。
 つまり、以前国立博物館で見た文物は、自然光に頼るところものこされていたこもあって、焦点が当てられていない分、見るものの自由度が高かった。
 物から発せられるエネルギーがダイレクトに伝わってきた。
‘観る事’への選択が、観るものに十分に残されていた。たとえ見えにくいところがあってもだった。
 発光ダイオード(LED)は、展示物を光線から守るには優れた発光体らしい。それは重要であるに違いない。しかし、しかし、なのである。

 そしてもう一点。
 青銅器に鋳込まれた‘金文’の文字を見ることができないのは残念である。 
 甲骨文字が亀の甲羅や動物の骨に刃物で刻みつけることによって出る鋭い線によって生まれる文字世界に対して、鋳込まれた文字のふくよかな丸みを帯びた文字世界を実際にこの目で確かめたいのだ。
 中国文化は‘文物’である。文字(漢字)と物は切っても切れない関係にある。その始まりのひとつが‘青銅器文化’なのである。

「金文が見られない。あなた、それは欲ってものよ!」
 そう自分を叱りつつ、愛すべき美術館が、南青山に地に三年超の歳月をかけて改装された空間に再び美術品を甦られたことに感謝している。
 鳥のさえずり、古木の勇壮な立ち姿、鬱蒼とした庭に点在する美術品も含めて……。
 東京は素敵な街だ!
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