羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

師走そして防犯

2011年12月01日 08時57分16秒 | Weblog
 本日から師走。
 今年は何もしないうちに一年がたってしまったような気もしているが、振り返って見ると収穫の多い年であった。しかし、その実感が薄いのは、なぜだろう。やはり東日本大震災、巨大津波被害、原発事故が常に頭の上を覆い、さらに政治への失望感が失せないことにある。

 今週は、来年度のシラバス編集連絡が次々入ってきて、できるところから仕上げている。
 今年の前期は、計画停電と余震によって授業回数が減ったこともあり、それに加えて気持ちの不安定さが、授業内容を変更せざるを得なかったことがあった。後期には落ち着きを取り戻したものの、例年の雰囲気とは異なっていることを感じる。
 ともかく東京も震災への現実感が鮮明になり、暮らしを、仕事を、見直さざるを得なくなっている。一瞬にして日常が失われる恐怖感が、日々、無意識あるいは非意識、あるいは本能をぐらつかせて、これでよいのか?という問いかけが身体の根底で発せられ続けてそろ九ヶ月にもなろうとしている。
 そんな中、私はと言えば、せめて出来る時くらいは、町内の防犯パトロールに参加しようと、昨日は二回目、前回とは違う班の見回りについてまわった。
 驚くほど細い道の奥に木造アパートがひしめいていたり、郵便受けにチラシが溢れていて空き家であることがはっきりしている家がある。そばには手入れされていない庭木が隣家にせり出し、茂った葉が家の中を暗くしたり人が隠れやすい情況を作り出したりしている。町の中には危険が潜んでいることをこの目で見ることができた。
「火の用心、ご用心」
「振り込め詐欺にもご用心」
 一人暮らしのお年寄りを目に浮かべて、夕方に声を張り上げてくまなく歩く。
 通りすがりの人には挨拶をし、知的障害がある人にも用心を促し、ここには「人の目がある」ことを知らせることで防犯になることは間違いないと実感した。年末の夜回りにも一回は参加しようと思っている。はじめて地域社会に目を向けるようになったのも、今年こそであり、おそらく私だけでなく、そうした意識が芽生えた人も多かろうと想像している。
 こうしてじわりと価値観の転換が起こりつつある2011年も残すところ一ヶ月となった。 
 出来ることは少ないけれど、ひとつ一つできることをやっていくしかなさそうだ、というのが得られた教訓である。ちょっと固い言い回しの〆になってしまったが。
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