羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

びびびッときましたね!

2011年09月28日 11時46分13秒 | Weblog
「OSXLionの美しさ」にメールをいただいた。
 Mac-Win貧乏を自認されている方からである。
 一部をここに書き取らせていただく。(無断でごめんなさい)

『すばらしい文学作品や音楽に接した後に、街が輝いて見えたりする。
 それと同じ「異化作用」をMacは持っていると思います。
 それはJobsの美学が具現化したものです。

 Jobsはコンピュータによって世界を変える、世界をよりよくする、といっていましたが、世の中にウィンドウズしかない世界を想像するとぞっとします。
 まちがなく、Jobsは世界をいい方向に変えたと思います』

 ここだけではありませんが、びびびッときましたね。
 自分のうちにあっても、まだ言葉にならなかったことが、少し言葉になりそうな気配がしている。
 
 実は、大学の教養体育は、大雑把に三系統にわけられる、と最近になって分かってきた。
 いちばん盛んなのは、体育会とは別のスポーツ系。この授業をとおして体力はもちろんのこと、リーダーシップ、リスク管理、コミュニケーション力、絆を深める力、目的遂行にチームをまとめる人格形成、等々を養う。いや、単に楽しいだけでもいい。
 二番目には、フィットネス系がある。現代の健康観によって元気で健全な身体を作り上げる。医学的根拠を大元にして数値化し、処方し、健康な身体になるべく管理の仕方を学ぶ。先進国に生きる教養ある人間として「良い体を作る」ことが主眼となる。(それだけでない教師もいます)
 三番目には、二番目と重なって線引きが難しいという前提がある。ごく最近の傾向として、或る民族が文化のなかで長年培ってきた健康法や武術や舞踊(クラシック・バレーやコンテンポラリーもあるが)。ここには身体文化という枕詞がついてくる。たとえば体育会系とは異なるニュアンスがあり、スポーツということで、体育の中にも入れやすかったものとして日本の剣道や柔道などもある。ご存知のように、正統な日本の武術や武道・日本泳法や日本馬術等々は、戦後GHQのなかのCIE(民間情報教育局)の強い意向で、教育の世界からは遠ざけられた経緯があって、学校教育や大学教育にあっては、日陰者的な複雑な立ち位置を強いられてきた。それも少しずつ揺るんで「身体文化」としても体育に入っている。
 この三番目には社会のグローバル化に伴って、文化人類学的な視点を持つこと、つまり非言語系の民族文化理解の重要性から、日本及び異民族の歴史のなかの身体観や身体運動(舞踊や武術)を学ぶことになる。(このことについては以前、ブログに書いたことがある)

 では、野口体操はどこに入ってくるのか。
 第二番目の西洋医学的なフィットネスではもちろんない。どちらかとい言えば「養生」(←については、カラダの語り部、ときどきギタリストの「カラダにいいこと何かやってる?」を参照してください)に入っている。しかし、厳密に考えれば、丸ごとどっぷり浸かっている東洋的フィットネス(大学ではこのような位置づけもある)とは言いきれない。
 では、第三番目に属しているのか、と言えば言えるかのしれない。しかし、そこにも居心地の悪さを正直なところ感じてる。長年にわたって、日本民族が培ってきた身体文化というには、大きな無理があるからだ。
 こうしたことは、十年間、大学の教養体育で(追い出されないように、多少とも気遣いながらも)野口体操を指導しなければここまで明確にはならなかった、と思う。そして、今まで誰にも話すことすら出来ずにいた。むしろ言葉での表現が難しかったからだ。
 そういえば、プラスアルファとして「アウェアネス・ワーク」という系統もあるが、しっくりこない。
 
 それらのなかでひとつだけ居心地がいいところ挙げれば、(藝術)表現の基礎としての身体をみつめる、ということではある。あることはあるけれど、それだけにしぼって「括弧」に括ることはしたくないのが本音だ。むしろしてはいけないと思う。

 しかし、この数日間で、キタムラさんのブログで頭の中が整理され、話題にしている方からのメールによって、一気に重い雲が晴れて来たような気がしている。
 メールには、「……岐路に立ったときは、多数派に乗っからずに、どうしたら、その他大勢とはちがう存在でいられるか……」彼には、Macがあった。
 更に続けて「そのことによって世に少しでも貢献できるか、ということを考えてきました」彼は、Jobsの思想と美学とによって、ご自身が育てられたことを実感しておられる。
 こうした明快な言葉で語られると、一気に気づきが訪れるのである。
 無理を承知でいってみれば、私にとってのMacは、野口体操だった。
 こちらの田に無理にでも水を引込めば、私とってのJobsは、野口三千三だった。……と……。

 今後の活動の一歩は、次のことを深めることから始めたいと思う。
 敗戦後、1960年代から70年代にかけて結晶させていった『原初生命体の発想』は、野口の意図や真意と離れて、あるイデオロギーに染められすぎたきらいを感じていた。そのことが、今年、資料を整理するなかで、日々、明瞭になったように思う。ここを文章化することが、これからのひとつのテーマでもあるようだ。
 おかげさまで、かなり先が見えてきました。

 ということで、まとまりのないブログですが、今日のところは感謝で結びたい。
 キタムラさん、近藤さん、ありがとうございます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« IMAGE2011 国際ミネラル... | トップ | おひさま 最終回 そして…… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事