羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

SONYが鳴っていた時代……枕詞“懐かしい”を冠する“昭和”

2012年02月25日 12時29分41秒 | Weblog
 保存機器の話をこのブログに書いた。思えばPANASONICやSONYの凋落とAppleの台頭が、そのまま我が家の暮らしの質を変えていった歴史でもあった。昨日の国会中継でも問題に上がっていた「TDK」だって、ずいぶんとお世話になった。

 かれこれ40~50年前には、音楽会に足しげく通うだけでなく、自宅でもレコードやNHKのFM放送等で音楽をじっくり聞いていた。
 ピアノパート伴奏を引き受けたり、遊びだったりして、ヴァイオリンや声楽や管楽器の友達が来て、アンサンブルを楽しんだりもしていた。
 試験が終わった時や学期末の休みには、ピアノ科の友人とは連弾などしていた。とくにシューベルトやドヴォルザーク、ドビュッシーには、ステキな連弾曲がたくさんあったし……。

 もちろん詩や文藝の本を読み、解りもしない哲学書など小脇に抱えていたことなども懐かしい青春の一こま。
 当時は、時間がもっとゆっくり流れていたような気がする。グランドピアノを浜松のYAMAHAまで選定に行った時代でもある。
 その後、ウォークマンにはなぜか乗れなかった。音楽を持ち歩く発想が、そもそも欠如していた。それでもSONYは私のなかで特別な存在だった。
 
 もうひとつ思いかえせば、「野口三千三授業記録の会」で、野口先生のレッスンをビデオ撮りして残していた頃、1988年から98年だけれど、SONYやPANASONICはまだまだ健在だったのだ。
 それがである。この凋落ぶりは、円安や震災やタイの洪水の問題ではない。
 
 子供の頃は「明治は遠くなりにけり」という言葉が囁かれていた。今や「昭和は遠くなりにけり」で、“懐かしい”という枕詞が“昭和”に係るようになった現代を生きる実感は、私の場合“Apple”によってもたらされた。
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