羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

初夢……賽は投げられた

2017年01月07日 09時15分52秒 | Weblog
 初夢でルビコン川を渡った。
 エッ、行ったことも、見たこともない川なのに。
 でもその川は多摩川のようだった。
 その脈絡の乱れが、夢なのである。

「賽は投げられた」
 夢の中で、何度もその言葉を繰り返して自分はカエサルか?
 いやいや自分は自分だと認識しながら
「賽は投げられた」
 舞台に立つ俳優が台詞をいうように繰り返している。

 目が覚めた。
 正月七日の早朝のことであった。

 川を渡らなければ破滅。
 ここは反逆の意味ではなく、投げられた賽の目はかえられない、と取ることにする。
 既に後戻りはできない、たとえ結果がどうなろうとも進しかない、と意味を取ろう。

 なんとも不思議な夢であった。
 というのも年末、日本橋三越で、一年に一度顔を合わせる江戸独楽作家の福島保さんとの会話が伏流となっている、と気づく。
「なんで賭け独楽は、一から順番に並んでいなんですか」
「エッ」
 福島さんは紳士だから、そんなこともご存じないの、という言葉は飲み込んでおられた。
「反対側と足してご覧なさい。どれも七になるんです」
 一の裏(向かい側)は六(向かい側)、二の裏(向かい側)は五、三の裏は四、どれも「七」である。
 なーるほど!

 偶数は「丁」
 奇数は「半」
 賭博は、二個の賽子を使うわけだから、八という数もあり得るんだ。
 などとあらぬ方向へと思いが遊んで、二人でニヤニヤ。
 独楽で丁半をやるとしたら、二個の独楽がいるってことなのね。

 はてさて「賽は投げられた」
 ルビコン川を渡る私は、今年、どこに向かおうとしているのか。
 何とも不思議な夢だった。が、もしや、不思議でもなんでもなく、かなり確立が高い今年の予想かもしれない。
 エッ
 野口先生に叛旗を翻すか?
 そんなことはあるまいぞ、あるまいぞ、あるまいぞ!

 丁度お時間となりました。
 五日おくれの初夢の一席で……。
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