羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

Apple Ginza そして 通夜へ

2011年02月05日 07時57分20秒 | Weblog
 昨日、午後3時から「ONE TO ONE」の二回目のレッスンを受けた。今度は、iPadの使い方について、いくつかの質問を用意していった。
 さて、今回も思ったことがある。銀座はすでに国際化して久しいということを。
 Appleストアに入ったときから、中国人家族旅行者たちと一緒だった。春節休暇を海外で過ごす中国人が増えた、というニュースを見ていたが、ここにもそうした人々が集っていた。
 で、レッスンの担当者は、多分アフリカ系(?)アメリカ人で肩書きはクリエイティブとある男性だった。米語まじり、米語なまりの日本語でのやり取りである。いくつかの質問に的確に答えてくれたが、ノートをしっかりとることを忘れていた。こちらの日本語も乱れてきて、ときどきカタカナ英語単語を発しているのだったのには、自分で驚いた。
 あの場がそうした雰囲気なのだ。割合こそ日本人が多いが、アジア系を含めて白人系も混じり合っている店内だが、国際的に変貌を遂げた街に身を置く高揚感は特別にない。最初は違った。が、しばらく前から、すでに慣れてしまっている自分なのだ。

 それから4時半には自宅に戻った。
 喪服に着替えて、再びJR中央線で東京駅から東海道線に乗って、川崎へ。そこからバスで15分ほどいったところの斎場へと向かった。
 知人の奥さんが急死された、という連絡を息子さんからメールでいただいたのが、一昨日のことだった。
「これからも父をよろしくお願いします」という最後の一行に、知人の悲しみが伝わってきた。なにがなんでも駆けつけたかった。
 そして、通夜の斎場で焼香の順番が回ってきた。
 四人が同時に焼香するのだが、喪主にいちばん近いところに、私がたつことになった。
 すでに私の存在に気づいてくれていた知人はすぐさま「よく来てくださった」と手をとった。
 思わず発した言葉が「大丈夫……」だった。こんなときはお悔やみを言うべきなのに、こともあろうに「大丈夫」はないだろう、と思う気持ちも起こらなかった。
 その言葉をうけて、私の手をしっかりと力強く握ったまま離そうとしない彼の目には涙があふれそうになる。グッとこらえている様子に、迫るものがあった。目頭が熱くなる。
 遺影は若い。末娘は成人式を今年迎えたばかりらしいことが、亡くなった方の知り合いらしき女性たちの会話から察せられた。五十代半ばの急逝であった。
 
 予想通り、多くの弔問客で会場はいっぱいだった。
 家族葬が一般化した昨今に、500名はくだらないのではないか、と思う葬儀は珍しい。家業を継ぐ子供には、これだけの人々との関係をつなげていくのは、大変だ。
 しかし、背負わなければなるまい。地域社会のために。
 知人が握りしめた手の力強さに、希望を託そう。
 
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