羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「哲学する身体」へのラスト・ステージ・・・・ある体操教師の生涯

2024年03月20日 09時20分32秒 | Weblog
三宅坂・砂防会館ホール800席は観客で埋め尽くされていた。
野口三千三56歳。
仕立て上がりのスーツに新しい靴を履き颯爽とステージに立った。

1970年1月20日「山本安英の会」主催「ことばの勉強会」
『3分間スピーチ』 演題は「“ことばと私”」
前回の大成功を意識しながら、野口は原稿に目を落として話し始めた。
ところが目の中に文字が入ってこない。
あたふたとしながらも、上の空でチャラチャラ(本人の弁)と話し続けた。
そして時間切れとなった。

野口ノートには
「大失敗!」
記されている。

20日の夜から21日の朝まで眠れぬ一夜を過ごす。
その日の夕方には、山本安英から慰めの電話が入ったらしい走り書き。
登壇した翌日の21日から23日まで、びっしりと書かれている文字は、苛立ちながらもしっかりとした筆跡。

23日夜から発熱。
高熱にうなされてほとんど記憶喪失状態になって、そこから復帰して自分を取り戻すまでに3日間。

15ページにわたって、この経験から考えられることなどが書き付けられている。
その言葉の多くが『原初生命体としての人間』第5章 「ことばと動き」に反映されている。

(この事実を知って、この章の意味がようやく理解できるように思える)

******

他人の日記を読むことはあまりにもスリリングであった。
最初は、ためらいがあった。
一旦はノートを閉じた。
日をあらためて読み返した。
今度は、読むことを止められなくなった。
このことは「野口三千三伝」に書かなければなるまい。

31歳、敗戦という「負の体験」
56歳、大失敗という「負の体験」
2段醸造された「野口体操」のしぶとさを書かねばなるまい。

一時は “舞台(演劇)芸術” に生きようとまで思った野口は、1970年1月20日を境に、“体操の教師” へと戻っていった。

体操を通して「哲学する身体」ラスト・ステージへの階段を登り始めたのだ!

これこそが私が書く「三千三伝」の肝だと思った。

群馬師範学校屋上 野口・二十代後半
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