スタニスラフスキー関連の本のページをめくっている。
ノートをとりながらひたすら我慢の日々。
そこから見えてくるものは、って必死になっていた。
人は、産んでくれる親を選べない。
人は、生まれてくる時代も国も選べない。
産まれてしまったら、必然と偶然が入れ替わり・立ち替わる経糸と横糸に、“魔物”という得体の知れない糸を絡めて織り続ける。
どこまでいっても織り上がらない。
織り続けながらも一生を生き通せれば幸せ。
そう言える人もいれば言えない人もいる。
スタニスラフスキーにとっての魔物は芸術
野口三千三にとっての魔物は体操
スタニスラフスキーは50代で政変を経験
野口三千三は30代で敗戦を経験
その年齢を比べることはあまり意味はない、と思う。
変化の後をどう生き延びたのか。
前と後の絡み合いはもっと複雑になっていく。
そして魔物の化け方が面白くなる。
存在は個(ユニーク)でありながら、そこからある種の普遍が見えてくる? こない?
今はまだ、わからない。
うつらうつら
夢見ながら
目覚めた