羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ビックリ! 野口体操の世界制覇!?

2017年01月02日 11時27分00秒 | Weblog
 正月2日、イスラエルから電話をもらった。
 今年8月に二週間の予定で、イスラエルの舞踏ダンサーで身体系のさまざまな学びをしている女性が、野口体操を学ぶために来日するという話が始まっていた。
 今朝、概要が見えて、驚愕したところである。

 なんと一日6時間、二週間継続してパーソナルレッスンを受けたいという話だった。
 ある方に相談してみた。
「それはですね、舞踏のワークショップのやり方で、ある期間に人里離れた空間に缶詰状態にして、徹底的に集中レッスンを行うことを体験されていて、そのイメージで申し込まれているのではないでしょうか」
 奨学金をもらって来るのだと言う。
 そのためにどのくらいの費用が必要かを事前に知りたいという。
 そういわれても、スタジオ代や助手代や、指導者への謝礼は拘束時間のみなのか、といった問題が浮上する。
 どのように計算をするのだろう。
 まともに考えたら、相当に高額になるのは必須であろう。それでいいのかな?

 そもそも身体パフォーマンスを生業としている人は、はじめて野口体操を習ってもそこそこの動きができてしまう。
 そこそこ動けてしまうと、常識的な意味での誤解と錯覚で「理解できたー!」と思われることも問題である。
 野口体操には言葉の理解もあってこそ、本当の理解なのだから、そこをどのようにクリアするのか、ただし、そのことを真剣に問題にすると日本に数年以上に渡って住みながら学んでいただかないとならない。

 難しい。
 かといって最初から海外からのこのような申し出を排除してしまう、というのも世界を狭くすることになるわけ。
 思案のしどころではあるけれど、発想を変えていかないと、たちどころにこの話は終わってしまうことになる。

 理解とは何か。
 学ぶとは何か。
 からだでわかるとはどういうことなのか。

 伝える立場から言うと、
 理解してもらことは可能なのか。
 学ぶためにこちらが出来ることは何か。
 からだでわかってもらう手だてとはどうしたものか。
 野口体操のスタンダードなど、つくることができるのか。

 スパッと断りきれない何かがあるのは、なぜ?か。
 世界制覇を狙っているわけではないけれど、閉じてしまうのも何かなー。

 Oh my God!

 正月早々、天を仰いでいる私である。
 お力をお貸しください。
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エア・綱引き

2017年01月02日 05時28分00秒 | Weblog
 昨年末、12月24日が、朝日カルチャー土曜日クラス、2016年最後のレッスンだった。
 そのときのエピソードをひとつ。

『原初生命体としての人間』第一章 「体操による人間変革」ー『状態の「差異」を感覚する』に次のような記述がある。
 以前、某大学の体育の先生から質問を受けたことがある。
「からだのなかに差異をつくる、とか状態の差異ってなんですか!?」
 そのとき野口先生が例にひかれる「綱引き」からご説明を申し上げた。
「綱引きの話はわかるけれど、からだの動きの実感は、どうもねー、わかりませんがねー」
 次の授業開始の時間がせまったので、話はそこで立ち切れでしまった。

 さて、岩波現代文庫をお持ちの方は、19頁をお読みください。

《前略 大勢の若者が盛んな応援のもとに、歯をくいしばり満身の力をこめて綱を自分の方へ引こうとする。ところが、なかなか綱はこちらへきてくれない。いったいこれはどうしたことなのだろうか。理由はきわめて単純明快、相手もまた満身の力をこめて反対方向に同じくらいの力で引いているからである。この場合。たとえそこに働くエネルギーの総量がどれほど強大であったとしても、綱一本自由に動かすことができないのである。》

 24日のレッスンでは、参加している方を二手にわけて、教室を斜めに使って「エア・綱引き」を行った。
 皆さん、急にやる気満々。
 腕まくりする人、手につばを付ける人、四股を踏んで足腰の力をこめる人、それぞれに準備OK。
 綱があると思う。
 真ん中の位置に私は立つ。
「ヨーイ、はじめッ」
「よいしょ、よいしょ」
 猛烈な力で引っぱり合う。

「はい、では左側の方がまず一人、抜けてください」
 そしてまた、引っ張り合う。
 力の互角はあまり変化がない。
 一人抜け、二人抜け、三人抜け、……。
 ここで、人数が減った組が相手側にドンドン引き寄せられていくはずだった。
 ところがこれがエア・綱引きの弱点だった。
 ものすごい勢いで汗をしたたらせ、夢中で演じるものだから、片方に残った人のからだがどんどん後ろに引けてしまう。
 気迫負け状態である。
「なんだか綱が伸びてるー」
 ある人が言う。

 結局、実験は不成功に終わった。
《動きが成り立つための絶対必要条件はエネルギーの総量ではなくて、同一の系の中において「差異」があることなのである。綱引きにおいては相手が一人やめても引くことができるし、相手が全部やめていなくなれば、こちらは一人でも引くことができる。》同書

 このことは野口体操の動きの理論のいちばん核のことがらである。
 それをやってみたかったのだが、何が楽しいって、「綱引き」なのである。
 満身の力をこめて演じる綱引きを、片方のグループのメンバーが楽しみすぎてしまった、という落ちである。

 この話は「腕立て伏臥の腕屈伸」つまり「腕立て伏せ」のとき腕の筋肉の働き方に繋がっていく。
『極端な言い方をすれば、いい動きをいたければ、半分の筋肉は休んでいる』ことが肝要であると先生はおっしゃるわけだ。

『本気でその気になる』とは、野口先生の名言だが、エア状態ではなく、本物の綱を用意すべきであった、と反省仕切りの羽鳥であった。

「疲れたー。でも楽しかった」
 しかし、本末転倒であっても、全員を楽しさの渦に巻き込んだエア・綱引きは、忘れることのない記憶として刻まれたことだろう(笑)。
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