羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

エア・綱引き

2017年01月02日 05時28分00秒 | Weblog
 昨年末、12月24日が、朝日カルチャー土曜日クラス、2016年最後のレッスンだった。
 そのときのエピソードをひとつ。

『原初生命体としての人間』第一章 「体操による人間変革」ー『状態の「差異」を感覚する』に次のような記述がある。
 以前、某大学の体育の先生から質問を受けたことがある。
「からだのなかに差異をつくる、とか状態の差異ってなんですか!?」
 そのとき野口先生が例にひかれる「綱引き」からご説明を申し上げた。
「綱引きの話はわかるけれど、からだの動きの実感は、どうもねー、わかりませんがねー」
 次の授業開始の時間がせまったので、話はそこで立ち切れでしまった。

 さて、岩波現代文庫をお持ちの方は、19頁をお読みください。

《前略 大勢の若者が盛んな応援のもとに、歯をくいしばり満身の力をこめて綱を自分の方へ引こうとする。ところが、なかなか綱はこちらへきてくれない。いったいこれはどうしたことなのだろうか。理由はきわめて単純明快、相手もまた満身の力をこめて反対方向に同じくらいの力で引いているからである。この場合。たとえそこに働くエネルギーの総量がどれほど強大であったとしても、綱一本自由に動かすことができないのである。》

 24日のレッスンでは、参加している方を二手にわけて、教室を斜めに使って「エア・綱引き」を行った。
 皆さん、急にやる気満々。
 腕まくりする人、手につばを付ける人、四股を踏んで足腰の力をこめる人、それぞれに準備OK。
 綱があると思う。
 真ん中の位置に私は立つ。
「ヨーイ、はじめッ」
「よいしょ、よいしょ」
 猛烈な力で引っぱり合う。

「はい、では左側の方がまず一人、抜けてください」
 そしてまた、引っ張り合う。
 力の互角はあまり変化がない。
 一人抜け、二人抜け、三人抜け、……。
 ここで、人数が減った組が相手側にドンドン引き寄せられていくはずだった。
 ところがこれがエア・綱引きの弱点だった。
 ものすごい勢いで汗をしたたらせ、夢中で演じるものだから、片方に残った人のからだがどんどん後ろに引けてしまう。
 気迫負け状態である。
「なんだか綱が伸びてるー」
 ある人が言う。

 結局、実験は不成功に終わった。
《動きが成り立つための絶対必要条件はエネルギーの総量ではなくて、同一の系の中において「差異」があることなのである。綱引きにおいては相手が一人やめても引くことができるし、相手が全部やめていなくなれば、こちらは一人でも引くことができる。》同書

 このことは野口体操の動きの理論のいちばん核のことがらである。
 それをやってみたかったのだが、何が楽しいって、「綱引き」なのである。
 満身の力をこめて演じる綱引きを、片方のグループのメンバーが楽しみすぎてしまった、という落ちである。

 この話は「腕立て伏臥の腕屈伸」つまり「腕立て伏せ」のとき腕の筋肉の働き方に繋がっていく。
『極端な言い方をすれば、いい動きをいたければ、半分の筋肉は休んでいる』ことが肝要であると先生はおっしゃるわけだ。

『本気でその気になる』とは、野口先生の名言だが、エア状態ではなく、本物の綱を用意すべきであった、と反省仕切りの羽鳥であった。

「疲れたー。でも楽しかった」
 しかし、本末転倒であっても、全員を楽しさの渦に巻き込んだエア・綱引きは、忘れることのない記憶として刻まれたことだろう(笑)。
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