羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

巡礼……パール・ハーバー……『1941』という本について

2016年08月30日 07時55分22秒 | Weblog
 この夏「野口三千三を巡る旅」は、いよいよ戦中から終戦直後に迫った。
 それにちなんで、会って話を聞いておきたい数名の名前を、すぐにも挙げることができる。
 しかし、私事、要介護3の母を一人自宅に残して行く外出は、あまり遠出ができない。
 畢竟、一人で出かけ、先方との約束がなく、日時の勝手がきき、半日からそのプラスαで帰宅できる範囲で、野口ゆかりの場所を訪ねることくらいにとどめざるを得ない。
 そうした状況のなかで出来ることは、まず、資料や本を読むことに集約されてしまう。
 積ん読の山を崩し、一冊一冊を端から平らげるようにしたいところだが、これがなかなか思うに任せない。
 気が滅入るもの、歯がガタガタになりそうなもの、噛み砕くには時間がかかりそうなもの等々、しかたなく学生時代にやっていたタイプの違う数曲のピアノ曲を同時に練習するように、何冊かの本を同時並行で読み進めていた。

 その中で決して楽に読める本ではなかったが名著に出会った。 

 書名は 『1941 ー 決意なき開戦 現代日本の起源』
 著者は  堀田 江理
 出版社  人文書院

 まず「あとがき」にあった話を紹介したい。
 歴史教育には問題がつきものだ、という前提からはじまり、2001年9月11日の同時多発テロ直後のニューヨークの街中で聞かれたやりとりから、いささか極端な例かもしれないと著者は断って
《一人の男が言う。「なんてことだ。これじゃあ、まったくパール・ハーバーと同じじゃないか」。もう一人の男が聞く。「パール・ハーバーって何だっけ?」「え、知ってるだろ。ベトナムが攻撃してきて、アメリカをベトナム戦争に巻き込んだ、例のあれだよ」。》
 例のあれか?!(冷笑)

 この本には、米国民に日米開戦にまつわる新しい見方を提供する狙いがあったという。
「日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか」を説明する目的で、2013年末に、japan 1941 : Countdoun to Infamy という原題で書かれた。出版されるとたちまちニューヨーク・タイムスをはじめとして、米国内で発行されている各紙が称賛した、とある。その後、今年、2016年6月、著者自身の日本語訳で出版された本である。

 1941年の4月から12月までのおよそ8ヶ月間、「避戰」と「開戦」に揺れる政策決定の過程を、日本側に焦点を当てながら、丹念に史実をひも解き、克明に緻密に、細密画を描くように、さらに精確に記してゆく姿勢が(不適切な言い方かもしれないが)たいそう小気味よい。
 しかし、入り乱れる人間関係、切羽詰まった密な時系列のなかで起こる出来事の記述に、時に迷子になりそうなときもあった。
 それを救ってくれたのが、永井荷風の日記『断腸亭日乗』から、街の変貌や市井の人々を描きながら戦争の行く末を案じる作家の冷静な言説の挿入だった。
 読者は、要所要所で荷風が示す住所表示と時間を確かめることができる。日記の言葉の挿入が道標となって、迷い道から抜け出して本道へと戻してくれる、その筆のはこびは巧みで見事だった。
 たとえば、たてられている道標のひとつに、こんなエピソードがある。
 中国との戦争が泥沼化し、ありえない英米戦争が合法的にいくつもの会議を経た上で、最終的に国策としてのし上がってきた時のこと。
「結婚報国」の旗のもと「結婚奨励協議会」が活動を活発化させ、封建的な家にまつわるあらゆる概念を排除して「産めよ、増やせよ」と、計画された。求愛や結婚を取り巻く社会背景や制度が、不穏な時代に、急激な変化を遂げていく日本。この時代に、陸軍や海軍の恤兵部に届けられる慰問袋には、戦地の兵隊さんに宛てた手紙を入れるように奨励された。そのことから起こる出来事を見聞きして、荷風が拾い上げた挿話である。
『前略 未婚妙齢の女子をその親の知らぬ間に出征の兵士と手紙の往復写真の交換をなすものあり。中略 戦地より帰還し除隊となりし兵士の中には慰問状の住所姓名をたより良家の女子を訪問し、銀座通りにて会合するものさへあるに至りたればなり』『待ち合いの女中酩酒屋の女カフェーの女給らは帰還後の兵士を客にせむとて、それとなく慰問状を利用して誘惑する者もありといふ』
 良家の子女や女学生だけでなく、兵士もまた誘惑に落ちる者もいたわけだ。
 荷風は底辺で生きる女たちのしたたかさ、彼女たちの生命力の強さに、関心したという。
 ここの記述を読むと、帰還し除隊になった兵士がまだまだ相当数いただろうと想像できるその時点で、なぜ開戦を踏みとどまることができなかったのか、とさらにページをめくる手が速まっていた。
 
 この本のどこが凄いのか。
 日本がはじめた戦争は「勝ち目のない戦争」だと指導者たちはおおむね正しく認識していた、と書くところ。
 さらに「捨て鉢の戦争」であった、ときっぱりと書いたところだ。
 開戦への決意は、決してみごとなまでの一本道ではなかったことが、読み進む途上で次第にはっきりと見えてくる。
 そしてきわめて曖昧のまま突き進んだ結果が、1945年の敗戦であったことを描き出す。
 最後には、原発事故や新国立競技場の建設問題にまで話は及ぶ。
 
 圧巻は、エピローグ「新たな始まり」である。
 開戦と戦争の拡大に「一億總懺悔」せよ、ということは「すべての国民の責任だ」としたことによって、『ほぼ「誰も悪くなかった」と主張するのに等しいのだった。』と、著者は書く。
 刮目!である。
 
 この言葉にいたるまでの道のりを振り返って、今を生きる一人一人への問いかけの重さに圧倒されている。
 が、逃げてはいけない。
 時、今、この時にこそ、問題はつきものだと知った上で、歴史を自分の血や肉にして、個人として生きるからだに落とし込む作業をしなければならないのだろう。
 それは、生半可なことではすまされない。結構、しんどい作業だ。

「いっそ、ここまでで、やめてしまいたい」
 しかし……続けることが……、野口三千三を巡る旅をはじめてしまってからの躊躇いを、払拭するたった一つの道なのかもしれない、と、しぶしぶ思い直している。

 八月もあと一日を残すだけとなった。
 まだまだ暑い晩夏を、いかに過ごそう。
 
 本日は、この夏の備忘録として、この本のことをブログに残したい。
『1941 決意なき開戦 現代日本の起源』
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