羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

2014年最後のレッスンで……

2014年12月28日 09時53分14秒 | Weblog
 昨日、12月27日(土)朝日カルチャーセンター、年内最後のレッスンが終わりました。
 野口三千三生誕百年のメモリアルも、一昨年8月から始めて、一応の区切りがつきました。
 対談や講演会を行うにあたって、野口三千三の足跡を辿り、体操の教師として真っ当な道を歩かれたことがはっきりと見えてきました。
 ひとつに体育教育の戦前と戦後を通して欧米諸国から取り入れたスポーツが、日本独特のあり方をしてきたなかで、野口三千三は独自の道を模索してきたことがはっきりとしました。
 それは世界に類がない身体文化として野口体操は歩み続け、晩年にはひとつのことばに集約されていきます。
「自然に貞く からだに貞く 自然直伝
 この言葉は、1996年1月7日、岩波書店刊「同時代ライブラリー」『原初生命体としての人間』を再刊するにあたって付録として掲載するための「インタビュー」をおこなった時、野口の口から溢れ出た言葉でした。
 集められた鉱物・化石・隕石等々の石に囲まれた西巣鴨のご自宅で、その部屋からは多種多様な植物がイキイキと育っている庭がよく見えました。
 地球生命体としての人間の「からだ」を真っ正面に据えた体操を探り続けた83年の生涯でした。

 その思いを受けて、これからの野口体操を続けていけることを願ってやみません。
 年末にあたって昨日のレッスンではお伝えできなかった言葉をここに記しておきたいと思います。
 
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 野口三千三は地球環境空間の連続性と、生きものの進化という時間の連続性なかで、感覚と運動を一体化する独自の理論を展開し、独特のアプローチで動きの方法を探りました。
 殊に、重さ(重力)を中心におく動きの追求は、力を抜くことの重要性とその実践を具体化するものでありました。「丁度良く力が抜けたときが丁度良く力が入るとき」。
 力の抜き方にも、力の入れ方にも、それぞれに大きな幅があり、タイミングとリズム感が大切な要素となることを、野口体操を体験することによって実感として捉え直しが可能です。
 柔軟性を求める動きやマッサージにおいても、からだの重さが生きる“力が抜けた状態”をいかに自分のからだの内側につくりだせるかが、重要な鍵になります。
 柔らかな身体に柔らかな心が宿る可能性を信じて、滑らかな動きを求め続ける体操は、少子高齢化の時代に、さまざまな場で生かされて欲しいものと思っています。
 からだで感じ、からだでわかることが、これほど問われる時代は、かつてなかったかもしれません。

『からだの実感に根ざす判断は、人間がつくったおしきせの価値観・道徳律ではなく、人間をつくった大自然の原理、即ち「自然律」を感じ取る道に通じます。自然律に即した体育は、外側からの命令に服従するのではなく、それぞれが内側からの「促し」によって自立できる、真に創造性豊かな人間を育てる、と私は信じ実践し続けています。』(野口三千三)『教育をどうする』「からだの実感の復権」1997 岩波書店編集部編 岩波書店刊より
 
 これからも野口のこうした思いを受け継いで、「からだとの対話」をもとに、授業を、レッスンを、続けていきたいと考えています。
 一年間、熱心に御受講いただきました。
 野口三千三生誕百年の年に、皆様に出会えたこと嬉しい限りです。
 お一人おひとりに心から感謝いたします。ありがとうございます。

  2014年12月           野口体操の会  羽鳥 操
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