羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『時層の断片』日々の歩行の途上で……佐治嘉隆 写真集

2014年12月18日 08時27分39秒 | Weblog
 それは日常の何気ない風景、何気ない情景、何気ない出来事、何気ない心情、何気ない行為、何気ない願望、何気ない欲望、何気ない逃走、何気ない飛翔、何気ない満足、何気ない期待、何気ない有縁、何気ない無情、何気ない呆然、何気ない非情、何気ななく撮られた驚愕、何気なく撮られた歓喜、……、どれもがいつかどこかで目にしているはずなのに、殆どの人が気付いても通り過ぎるか、あるいは当り前すぎて“無・視している”ことさえ気付かない。
 
 日常を、近距離で中距離で遠距離で、切り取りながら非日常の彼岸へと、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚……まだ経験したことのない未知の感覚へと誘ってくれる。

 はたと、気付きましたね。
「これって、分る人にしか分らない。分る人はとっても少ないわね」
 《p.11 2005.07.02 府中》
「何が府中なの?」
 多くの人はきっとそう思う。
 野口先生がご存命なら、そして昨年12月に旅立たれた井上さんも、心の中でつぶやくに違いない。
「そうそう、これこれ、アトミックスよ」
 他にも処どころに「これは何?」と立ち止まるシュールな断片が差し込まれて、不可思議の奥行きを添えている。
 
 それはそれとして、どの写真も美しく時を止めている。
 静かな色調の表紙の滑らかさは格別だ。
 そしてページをめくる度に鼻腔に届けられる紙に溶け込んだ印刷の匂い。
 全てが混ざり合って、懐かしい生命の記憶が呼び覚まされるようだ。
 全てが日常、これが日常に起こっている現象なのに、次第に非日常との幽けき境界が見えてくるような曖昧な気分に浸される。
 そう、本でなければダメよ、だめだめ、ダメなのよ!

『この六年間に二度、彼岸へと川を渡りかけましたが、幸いにも二度とも辺りの景色を眺める余裕もなく、短時間で此岸に戻ってくることができました』
 最初のページの言葉に胸がキュンと締まりかけました。
 
 よい本を出されましたね、佐治さん。
 ありがとう。
 では、明日、写真展でお目にかかりましょう。

    *******

『時層の断片』佐治嘉隆 写真集 2014年12月1日 eyesight シリーズ 009 
 http://balian.p1.bindsite.jp  
コメント (2)
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