羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「ヒカリ展」を見て想う

2014年10月31日 12時29分44秒 | Weblog
 朝一で国立科学博物館に出かけ、「ヒカリ展」を見てきた。
 丁度、中学生の団体と一緒になってしまった。
「間が悪い」なんてことは言いません。でも、音声ガイドのヘッドホーンを借りることで、彼らと彼女らの声とザワツキを回避しようと試みた。なんとも正解だった。

 歩きはじめてすぐにも、光なくしてこの世は存在しない、ってことを嫌ってほどに感じさせられる。
 しばらくすると、光学は宇宙に直結していて、日常感覚では捉えにくくはるかにスケールが大きい世界へとイマジネーションを開かなければならない、ってことを嫌ってほどに感じさせられた。

 もちろん生命体現象は光なくしてありえないし、私たちの暮らしは電磁波に支えられていることも同時に理解できる。
 最後の部屋では電磁波を使って時をはかる時代の到来で締めくくられている。なんでも世界初のレーザーは、ルビーから出た光だという。ルビーの赤は不純物のクロムの色。そこからさまざまなレーザーがつくられ、レーザーなくして、地球観測も宇宙観測も出来ず、国家間の安全保障も成り立たない現代なのだ。
 たとえばレーザー技術の発達によってつくられるこの時計は、セシウム以外の原子による光の周波数での共鳴を用いて、高精度の時計の開発を可能にしたのだという。
 使い方によって、これってすごく危険じゃないのかな?
 いやいや、すべての技術が、平和利用から軍事利用まで、日常的な便利さの向こう側で、両面裏腹の関係にあることがはっきりする展示物だ。

 ミュージアムショップで手に入れた『光マップ』を、今ひろげて見ている。
 電磁波がどのように利用されているのか一目瞭然の一枚である。たとえば近赤外線のところでは次のような記述がある。
《細胞手術では、近赤外線パルスレーザーに集光して、細胞内部を加工、刺激する》
 1μmから800nmの範囲に相当する領域だ。
 素人考えだけれど、おそらく生命科学実験を支える技術ではないだろうか。
 すぐその下には、こんな記述もある。
《さそり座のアンタレス(3,500°C)の黒体放射は800nm付近に赤く見える》
 よくわからないことだけれど、マップを見ていると極微から巨大まで、大きさの旅が並列した一つの時空におさまってしまう現象に見えて来る。
 実際に展示物を見ると、果てしない宇宙空間から極微の世界まで、空間と時間の違いが明瞭に感覚できるのだが。
 この「ヒカリ展」は、西欧科学の核心に触れる“宇宙から原子”までを網羅する「光学」の世界観の展示だ、ということは理解できた。
「神は光あれと言われた」
 光が世界を造るのである。
 メソポタミア・ギリシャ・エジプト・イスラムから、西欧近代への道のりに、どのような神の意思が働いたのだろうか。
 一方で、天照大神を祭る日本では、こうした光学的世界観と発想は皆無だったのは、なぜだろう。
 
 息をひそめて一歩ずつ進みながら、唯一、馴染めたものは、蛍光鉱物の石や蛍光蛋白質を持つサンゴ類の色と動き。
 そして蝶や昆虫の美しさには、おもわずホッとして普通の呼吸に戻された、というのが正直な告白だ。

 サルトルの戯曲名ではないが、科学の応用の中心核には悪魔と神が常に同居していることを忘れてはならない、と全体を見終わって寒気とともに感じていた。
 たしかに小雨が降っていた上野公園ではあったが……。
コメント (2)
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