電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

村上もとか『JIN~仁~』第10巻を読む

2012年01月16日 06時03分34秒 | 読書
幕末にタイムスリップした現代の脳外科医が活躍する、村上もとか著『JIN~仁~』の続きを読みました。昨年から引き続き、すでに第10巻になります。表紙は、ヴェールをかぶりブーケを手にした花嫁姿で、元花魁の野風さんでしょうか。

本巻の物語は、燼の章その11「横浜の風」から始まります。腰椎ヘルニアの手術をした濱碇定吉の一座が横浜で公演をうつことになり、南方仁先生と咲さんは横浜へ出かけます。今はルロン夫人となった野風と再会、野風の治療所も見学しますが、折からの横浜の大火に出くわし、急遽、火事場の救急治療にあたります。一段落した頃、野風から診察を請われますが、乳ガンの再発でした。余命はと問われ、生存率は二年で五割と答えると、野風は二年も生きられるのはうれしいと言います。切ない喜びです。残された命で、新しい世界を見てみたい、と。野風の結婚式では、花嫁のブーケは咲さんに手渡され、次に結婚するのは仁先生と咲さんだと祝福されますが、旅立つ野風を見送る仁先生の心中は複雑なものがありました。
ところが、ペニシリンの偽薬で患者が死亡したという訴えがあり、奉行所が南方先生を取り調べるという事態が発生します。さすがに今度は揚がり座敷という牢で、食事も本膳というものでしたが、仁先生を陥れようという悪計は終わりません。今まで対立してきた本道(漢方医)の医学館と蘭方(西洋医学)の西洋医学所も、今度は長年の確執を乗り越えて、仁先生の救出に努力します。牢屋敷内でも治療にあたるところへ、横浜にいる外国の医師や各国の領事・公使が連名で嘆願書が幕府に提出されます。さらに決定的だったのは、フランスのナポレオン三世の名で出された、南方仁先生をフランスへ招待したい、という申し出でした。たしか、薩摩は英国、幕府はフランスとの結びつきが強かったはず。これは、幕府も断れませんね~。
山田先生などは、フランスへ行きた~いと期待するのですが、結局、坂本龍馬の救出という大きな課題を残していますので、招聘はお断りすることに。おしろいに由来する鉛中毒で、田之助の足も切断しなければならなくなります。無事、足の切断手術も成功します。

野風さんの花嫁姿、咲さんとの記念写真など、女性を描く作者のペン画は実に清楚で、漫画に独特の、瞳の中に星がまたたくような(^o^)表現は皆無です。それどころか、切れ長の目で流し目をする様子などは、独特のものがあります。写真は、本巻の表紙で、野風の花嫁姿です。村上もとかという漫画家の絵はなかなか魅力的で、扇子じゃなかった、センスがありますね~。

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モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を聴く

2012年01月15日 07時26分36秒 | -オーケストラ
久しぶりに、クーベリックのモーツァルトを聴きたくなって、交響曲第41番ハ長調K551、いわゆる「ジュピター」交響曲を聴きました。CDを取り出し、Linux 上の Rhythmbox というソフトウェアでパソコンに取り込み、コーヒーをいれているうちに完了。エンドレスに流しておりました。クーベリックのモーツァルトは、ほんとうに馥郁と香りたつような演奏です。そういえば、「ジュピター」交響曲は何種類の演奏を持っているのだろうと調べてみたら、
(1) ハンス・ユルゲン・ワルター指揮ウィーン・プロムジカ交響楽団、LP:MS-1007-AX
(2) ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮チェコフィル、CD:GES-9210
(3) ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団、CD:FDCC-50125
(4) カール・ベーム指揮ベルリン・フィル、CD:UCCG-3771/2
(5) ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、(エアチェック)
と、五種類ありました。ふだん聴く機会が多い、優美でやわらかなクーベリック盤と、かつてスタンダードとされていたベーム盤、そして力感と明暗の劇的な対照を見せるジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏をパソコンに取り込み、日常的に聴けるようにしていますが、クーベリックとセルの演奏に最も多く手が伸びます。

第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ、ハ長調、4分の4拍子、ソナタ形式。いかにも堂々たる曲の始まりです。シンフォニーが歌劇の序曲にルーツを持つことをなるほどと思わせるような、今からドラマが始まるぞと期待させるようなワクワク感があります。なお、サヴァリッシュ、クーベリック、セル盤は、繰り返しを実行しています。
第2楽章:アンダンテ・カンタービレ、ヘ長調、4分の3拍子、ソナタ形式。この交響曲全体は明るい曲ですが、この緩徐楽章など、転調の際にト短調の交響曲と兄弟作品であることを感じさせる痛切さを示し、時折ハッとさせる瞬間があります。とくにジョージ・セルの録音は、流麗なロココの音楽ではなくなっている、強い表現意志を感じさせるものになっています。
第3楽章:メヌエット、アレグレット、ハ長調、4分の3拍子。全体の中では最も短いものですが、ウィーン風の優美で典雅なものというよりは、どこか田舎風のところがある、リズミカルな三拍子の舞曲です。こういう音楽になると、クーベリックのやわらかな表現がたいへん魅力的です。
第4楽章:モルト・アレグロ、ハ長調、2分の2拍子、ソナタ形式。見事な三重フーガになっています。この楽章は、厳寒期のハードなドライブのお供になりうる音楽です。臆することのないリズム感と緊張感に乗って、つるつるに凍った路面の上を走る快さがあります。これまでは、厳寒期はもっぱらプロコフィエフの音楽の領域でしたが、「ジュピター」も冬の通勤の音楽に仲間入りです(^o^)/
とりわけ見事なのが、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏。速いテンポで疾走するさまは、まるで多くのスキーヤーが雪原を同時に滑降するようで、あらためて、これは素晴らしい!

かなりまとまった雪が降りました。当地では数年ぶりの大雪と言ってよいでしょう。雪かき等でくたびれて、早朝更新はならず。演奏データの実測も、ちょいと気力が続きませんでした(^o^;)>poripori
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高橋義夫『猿屋形~鬼悠市風信帖』を読む

2012年01月14日 06時04分40秒 | 読書
文春文庫の高橋義夫著『鬼悠市風信帖』シリーズ第三作『猿屋形』を読みました。著者の作品の中ではハードボイルドの系統に属すると思われるこのシリーズは、なかなかおもしろい作品です。

第1話:「けやき兄弟」。養子の柿太郎少年が正面に登場するお話です。若衆宿の若者たちのいじめにあい、内臓出欠で急死した親友の仇を討とうと、柿太郎は思いつめているようです。それをじっと見ている鬼さんの目は、厳しいがあたたかいものです。足軽組と小普請組の身分対立も背景にありました。
第2話:「めっけ小僧」。甘木湊に「めっけ小僧」という盗賊が出没するとのことで、足軽目付の竹熊の依頼で、鬼悠市は探索に乗り出します。どうやら、植えた隣藩の領民を助けるためらしい。1200両は戻りましたが、義賊は取り逃します。
第3話:「雪鬼」。大雪にあえぐ限界集落のような苦水村に伝わる「雪鬼」の言い伝えは、実は村の秘密に関わっていました。あやうく鬼も命を落としそうになります。命を落とした郡目付が、御奏者番の息子だったとは。ペーソスを感じさせます。
第4話:「羽織の紐」。足軽組と小普請組の対立は、病気でなくした息子の棺に紐のついた羽織を入れたと横槍が入ったことで、ひどく深まってしまいます。たかが羽織の紐、されど身分差の象徴である羽織の紐。
第5話:「おちかはん」。捨て子騒動の後ろには、間引きの悪習と、子どもを助けようとして強請られる産婆がいました。
第6話:「阿呆ばらい」。弓組の組頭が参勤で江戸詰めの最中に、内儀の浦が三男坊の精三郎と駆け落ちする事件が発生します。女25歳、男19歳。この二人を暗殺すべく動いているのを妨害し、殺させるな、というのが御奏者番の指示でした。鬼悠市と奏者番の家人・太兵衛爺さんとの二人は、ようやく逃亡中の二人を見つけ出します。しかし、「阿呆ばらい」という決着のしかたは、はじめて読みました。
第7話:表題作「猿屋形」。奏者番の加納正右衛門が病気とのこと。あまりの痛みで尻をつくことができぬ病気と言えば……痔ですね(^o^)/
温泉療法が少しずつ効いてきたのは良かったのですが、囮にされた鬼さんは、たいへんでした。



養子の柿太郎のまっすぐさ、養父・鬼悠市の厳しくあたたかい訓育、狂言回し役の竹熊、一筋縄ではいかない奏者番の加納正右衛門と配下の者たち。登場人物は、それぞれハードボイルドな物語を演じて魅力的です。このシリーズ、なかなかおもしろいです。

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外出先で文庫本と音楽CDを購入したこと

2012年01月13日 06時09分37秒 | 散歩外出ドライブ
過日、三連休の最終日に妻とお出かけした際に、某書店にて、文庫本と音楽CDを購入しました。文春文庫で、高橋義夫著『猿屋形』『どくろ化粧』『雪猫』の三冊、いずれも「鬼悠市風信帖』シリーズです。前にも『眠る鬼』『かげろう飛脚』の二点を読んでおり、ハードボイルド調の時代小説はなかなか面白いものでした。続きがどうなるのか、楽しみです。

音楽CDのほうは、いずれもナクソスのもので、コルンゴルトとゴルトマルク「ヴァイオリン協奏曲」と、ディーリアスの「ヴァイオリンソナタ全集」の二枚です。コルンゴルトもディーリアスも、ともにこれまであまりご縁のなかった作曲家で、初めて耳にする曲がほとんどです。こちらも、楽しみです。

せっかく出かけたのだからと、午後に山形市郊外の「ピザリア」というイタリアン・ピザの店に行ったら生地が売り切れてしまったとかで、まことに残念でした。ここのピザは美味しいので、実は楽しみにしているのですが。写真は、「ピザリア」の外観。

ところで、明日から大学入試センター試験が始まるのですね。受験生をお持ちの親御さんには、ハラハラドキドキの二日間となることでしょう。受験生の皆さんの健闘を祈りたいと思います。

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きょ、恐竜の足跡か?!

2012年01月12日 06時03分15秒 | 散歩外出ドライブ
こ、これは何だ!もしかして恐竜の足跡か?!



いやいや、人の足跡の大きさと比べると、それほど大きくはないぞ。



実は、毎年今頃の時期になると顔を見せる、裏の果樹園に棲息するつがいのキジのうちの片方が、屋敷内にも侵入してきた証拠です。我が家のアホ猫たちがぬくぬくと惰眠をむさぼっているときに、キジは堂々と散歩を楽しむのでしょう。恒例の(*)、冬の光景です。

(*):自宅でキジを見た冬の日~「電網郊外散歩道」2008年1月
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愛車の冬だけの困りごと

2012年01月11日 06時00分55秒 | 散歩外出ドライブ
通年でリッター20kmを越す優秀性を示し、居住性だけでなく運動性の面でもかなり満足している、愛車ニッサン TIIDA Latio ですが、たった一つ、冬だけの困りごとがあります。それが、この写真です。



ごらんのように、タイヤハウスの中に、雪をためこんでしまう習性があるようなのです。もちろん、停車したときに、靴先で蹴っ飛ばしてやれば、ズズッと落ちてくるのですが、うっかり放置して凍ってしまうと、ガリガリとスタッドレスタイヤを削りながら走ることに(T-T)
その原因は、どうやらこの写真:



タイヤハウスの下部に、平たい隙間があいており、そこに雪が詰まってしまうことがわかるでしょうか。ここに、どんどん雪が付着してしまい、大きくなってしまうようなのです。なぜ、こんなところに穴を作ったのか。どう考えても、合理的な理由がわかりません。たぶん、設計者は雪国を知らない。案外、そんな理由なのかもしれません(^o^;)>poripori
泥除けをつけて面を平らにすれば雪の付着は防げるのか、調べてみる必要があります。

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まとまった分量の筆記には、やはりA5判か

2012年01月10日 06時00分36秒 | 手帳文具書斎
日常的に携帯する備忘録ノートは、なんでも書き込み、貼り付け、気軽に自由に使えるものとしています。ごく少量の備忘メモのためには、文庫本サイズのA6判や、バイブルサイズのバインダーの大きさのB6判のノートが良いのでしょうが、演奏会レポートのような、ある程度まとまった分量の筆記には、小型のサイズでは器が小さすぎて、あっという間にページが変わってしまいます。大きめの判であれば、ページ内にまとまった分量の筆記が可能で、演奏会レポートも、最初から最後まで、詳しく記録することができます。ただし、持ち運びの便や、膝上で広げて書くことを考えると、バランスの点でA5判が限度かな、と感じます。

今年の備忘録は、よっぽどB6判に戻そうかと思いましたが、やはりA5判のままで行こうと思い直した次第。コクヨのキャンパスノート澪(80枚)と、三菱のジェットストリーム・ボールペンの組み合わせで、今年も記録魔ぶりを発揮しようと思います(^o^)/

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未読の本、未聴の音楽

2012年01月09日 06時05分19秒 | Weblog
私には晩酌の習慣がありませんので、夜はほとんど読書あるいは音楽の時間です。したがって、手元に未読の本、未聴の音楽CD等があるというのは、嬉しいものです。どれを読もうか、どれを聴こうかと、あれこれ手にするのは実に楽しいものです。

とくに、若いころに入手しそこねていた本や録音を見つけたりすると、たいへん幸せな気分になります。若いころに面白く読んだ本を再読するのは、視点が変化していることが感じられて、自分でも興味深いものがありますし、それがきっかけとなり、同じ著者の別の本を手に取ったりもします。同様に、若いころには良さがわからなかった音楽に、尽きない魅力を感じるようになったりもします。

あまり多くは望みません。愛読書、愛聴盤のかたわらに、少しばかり未読の本、未聴の録音があるというのが、実に幸せなことだと感じます。

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ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」を聴く

2012年01月08日 06時01分52秒 | -協奏曲
若いころは、2曲あるブラームスのピアノ協奏曲のうち、第1番を好んで聴いた(*1)ものでした。これは、全体に流れる青年期の詩情のようなものが好ましく感じられたことと、第2番のほうは、力作であることは認めるけれど、ちょいとうっとおしかった(^o^;)>poripori
ところが、中年を過ぎて、ブラームスのピアノ協奏曲第2番Op.83の良さがしみじみと感じられます。成熟期、全盛期の作曲者の、力と技術と経験を注ぎ込んだ、代表的な傑作と言えましょう。

完成したのは1881年の5月で、初演はブダペストで、同年の11月9日、ブラームス本人の独奏だったとのことです。Wikipedia(*1)の解説によれば、「最も難しいピアノ曲の一つ」だそうですから、自身が初演したという史実からみて、ブラームスのピアノ演奏技術の高さを推測できるのだそうです。若い頃は、ヴァイオリニストのレメニーと組んで演奏旅行をしたり、クララ・シューマンが激賞したりしていますから、演奏家として十分にやっていける技量を持っていたのでしょうが、様々な理由で、彼は作曲のほうを選んだのでしょう。興味深いところです。

楽器編成は、独奏ピアノとオーケストラは Fl(2)、Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)、Hrn(4)、Tp(2)、Timp、弦5部となっています。構成は、通常の協奏曲のスタイルである三楽章形式ではなくて、交響曲のように全四楽章からなります。
第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ、変ロ長調、4分の4拍子。ソナタ形式。深々としたホルンの響きによる第一主題が始まり、じきにピアノ独奏が分散和音でこれに答えます。木管と弦がこの動機を追いかけ、独奏ピアノのカデンツァがあります。そこからオーケストラの響きは力強く、かつ柔らかに変化していきます。ヴァイオリンによる第二主題以降も、音楽は大きなスケール感と繊細な感情とが共存し、しかも見事に統一されていると感じます。本当に立派な音楽です。
第2楽章:スケルツォ、アレグロ・アパッショナート。ニ短調、4分の3拍子。少し暗めの第一主題がピアノ独奏で始まる、パワフルな音楽です。中間部のピアノの歯切れの良い活躍も印象的で、ブラームスご本人は、「とっても小さなスケルツォつき」の「とっても小さな協奏曲」と手紙に書いたそうですが、これは明らかに冗談でしょう(^o^)/
第3楽章:アンダンテ、変ロ長調、4分の6拍子。ヴィオラと低弦を伴い、まるでチェロ協奏曲の緩徐楽章のように始まります。チェロの音が好きだからという理由だけでなく、当方お気に入りの音楽です。ピアノがゆったりと登場し、美しい旋律を奏で、管弦楽とともに展開されたのちに、夢のような美しい中間部!クラリネットとヴァイオリンとピアノとが奏でる音楽は、ほんとうに素敵です。そして始まりの主題が再現され、静かに曲が閉じられます。
第4楽章:アレグレット・グラツィオーソ、変ロ長調、4分の2拍子。ロンド形式。ドイツ風の重厚さだけでなく、イタリア風の明るさ、軽やかさのある見事なフィナーレです。イタリア旅行の影響が色濃く反映されている楽章かと思います。トランペットとティンパニはお休み。ジョージ・セル盤では、Cbのリズムがきわめて精確で、まるで一本のようで、驚いてしまいます。

当方、若いころは、翳りを帯びた暗めの曲調の音楽を好む傾向がありました。闇夜の中の灯火が美しく見えるように、暗さの向こうに明るい希望があると期待する辛抱強さも時間もたっぷりありましたが、ハイドンのような明るさの価値は、正直言って、よく理解できなかった。中年以降には、自分の残り時間が見えてきます。明るく快活でありたいというダンディズムは、人生の残り時間を意識したためであろうと推測します。
その意味で、この音楽の持つ力強い明るさ、リズム感、民謡風な素朴さ、舞踏的な運動感、独奏ピアノの技巧性、主題と変奏の緊密な構成感などに、強くひかれます。



これまで、もっぱら聴いてきたのは、ジョージ・セルとクリーヴランド管がバックをつとめたルドルフ・ゼルキン盤です。これは、アナログ録音時代の代表的名盤ですが、シンフォニックな堂々たる見事さに、思わず脱帽します。いっぽうギレリス盤のほうは二種類あり、私の持っているのは新星堂の RCA Essential Collection というシリーズ中のCDで、チャイコフスキーの第1番のピアノ協奏曲と組み合わせ(SRC-1012)。こちらは、たぶんライナーの意図だろうと思いますが、速いテンポで、胸のすくような快演です。1958年の録音ですので、音源はすでにパブリックドメインになっているのではないかと思います。もう一枚はLP(G,20MG-0399)で、オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管との録音(1972年)です。こちらは相手がヨッフムですので、ぐっとテンポを遅くとり、堂々たる演奏になっています。ギレリスが再録音した意図は、例えばこのテンポの問題のように、かつて「鋼鉄の」と形容された自分の音楽への誤解に対する、積年の不満があったのかもしれません。

■ルドルフ・ゼルキン(Pf)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管
I=17'05" II=8'35" III=12'37" IV=9'34" total=47'51"
■エミール・ギレリス(Pf)、フリッツ・ライナー指揮シカゴ響
I=15'52" II=8'02" III=11'55" IV=8'43" total=44'32"
■エミール・ギレリス(Pf)、オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル
I=18'04" II=9'21" III=13'59" IV=9'42" total=51'06"

(*1):ゼルキンとセルのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」を聴く~「電網郊外散歩道」2011年5月
(*2):ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」~Wikipediaの解説
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ブログ運営再考

2012年01月07日 06時02分27秒 | ブログ運営
一時のブログの流行もすっかり落ち着いてきたようです。流行が過熱気味のころは、変なコメントやトラックバックも数多くあり、対応もなかなか気をつかう面がありました。今はずいぶん落ち着いてきて、居心地が良い時期かと思います。



ところで、ブログの記事が尽きるのは、読者を意識しすぎるからではないかと思います。自分のための日々の備忘録ならば、たとえマンネリでも、中身がなくなることはありません。
読者の存在はありがたいもので、ちょっとしたコメントは嬉しく張り合いになります。でも、読者を意識しすぎて、背伸びしたり無理をしたりすると、アイデアも力も、いつかは尽きてしまうのではないかと思います。

自分の楽しみと備忘のために書く。その記録が、他の人にとってどこかで役立つものであればなおよろし。そんなスタンスが大切なのではなかろうかと、あらためて感じます。

写真は、過日、除雪のための通行制限に引っかかった際に、車のフロントウィンドウに落ちてくる雪を撮影してみたものです。けっこう大きな雪片でした。

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Chromeブラウザに対応してテンプレートを変更する

2012年01月06日 06時02分21秒 | ブログ運営
いったん終了して再度呼び出すと文句を言うようになった Firefox に代わって、クロームChrome(Chromium)ブラウザを導入したのは良かったけれど、日本語の禁則処理が不本意な結果に終わっていました(*)。Firefox ではそんなことはなかったわけですので、これはてっきり Chrome のせいだろうと判断しておりました。ところが、他のサイトでは必ずしも日本語禁則処理が不適当とはならない、という指摘があり、調べてみました。

(1) 従来使っていた、gooブログの「シンプル」の3分割タイプは、禁則違反が発生する。新しい2分割タイプではOK。
(2) exciteブログなど、他のブログサイトでも、やはり日本語禁則違反が生じるものがある。
(3) どうやら、ウィンドウの大きさに関わらず一定の文字数で横幅が決まっている固定長タイプのテンプレートで問題が発生するようで、行長が可変のものでは、禁則処理が正しく行われるらしい。

なるほど、こうしてみると、ブログのテンプレートの方にも問題があるようです。

そこで、ウィンドウサイズに応じて行の長さが変化する、2分割・可変長タイプのテンプレートに変更し、記事のトップ写真も、「サムネイル+文章の回りこみ」というスタイルから、オリジナルサイズで表示するようにしました。その結果、なんとか日本語禁則処理は適切に解釈され、処理されるようになりました。よかったよかった(^o^)/



(*):WEBブラウザChromeを導入する~「電網郊外散歩道」2011年12月

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雪国における暖房器具考

2012年01月05日 06時05分25秒 | 手帳文具書斎
東京など関東圏では、冬でも太陽の恵みを受けることができ、電気コタツや電気ストーブなどでも何とか過ごせます。しかし、当地・山形では、厳冬期には気温が低く、電気ストーブの能力では部屋を暖めることはできません。やはり、石油ストーブのような暖房器具が必要になります。書斎のような、だいじな書籍を置く部屋では、発生する水蒸気の結露を防ぐ意味で、排気を室外に逃すFF式温風ヒーターが良いのですが、壁に穴を開けることができないアパートのような環境では、ファンヒーターの方がまだ結露が少ないように思います。中規模の余震がたびたび起こる現状では、いざ停電というときのことを考えて、古典的な反射式や対流式の小型石油ストーブを一台確保しておきたいものです。



石油は、ホームタンクを設置していない場合は、ポリタンクで購入することになります。家族が多い場合は消費量も多いでしょうから、戸別配達してもらうように契約することになると思いますが、私の単身赴任時は、三個のポリタンクを用意して、二個が空になると車に積んで行き、職場からの帰りにガソリンスタンドで購入するようにしていました。こうすると購入頻度も少なくなりますし、二個のポリタンクの把手どうしをヒモで結べば、車のトランク内でも倒れにくくなるからです。

昨年は、我が家で余っていた電気コタツとフトン一式をそっくり提供し、ずいぶん喜ばれました。初めて雪国山形の冬を過ごしておられる方々が、少しでも暖かく生活できますようにと願っています。

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マッケラス指揮のヤナーチェク「シンフォニエッタ」を聴く

2012年01月04日 06時02分06秒 | -オーケストラ
ジョージ・セルのLPの付録で知った(*1)ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は、冒頭のファンファーレ風の出だしが印象的で、CDでもノイマン盤やクーベリック盤などを入手して聴いております。
最近、1950年代末期のステレオ録音が、著作隣接権切れで、続々と公共の財産の仲間入りを果たしてきております。私も何度かこのことに触れてきておりますが、このたび「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~」(*2)にて、チャールズ・マッケラス指揮プロ・アルテ管弦楽団による1959年の録音が公開されたのをきっかけに、たいへんおもしろく聴きました。なんともモウレツな、迫力のある演奏です。



ひたすら響きを整え、鮮明なサウンドを目指す、という方向性ではなくて、多少の響きのずれはそのままにというか、むしろ意図的に合わせずに、土俗的なヴァイタリティを表現しようとしたものでしょうか。紹介記事(*3)にあるように、ジョージ・セルとクリーヴランド管のような鉄壁のアンサンブルで表現されるものが「大きなカン違い」かどうかはともかくとして、音楽表現の豊かな多様性を示す、もう一つの好例であることは確かでしょう。こういう認識が得られる点でも、廃盤となってレコード会社の倉庫に眠るのではなく、公共の財産となって多くの人々に聴かれることは、意味があると思います。

(*1):ヤナーチェク「シンフォニエッタ」を聴く~「電網郊外散歩道」2005年10月
(*2):「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~」
(*3):ヤナーチェク:シンフォニエッタ~「クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~」より
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村岡恵理『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』を読む

2012年01月03日 06時01分27秒 | -ノンフィクション
先年、「赤毛のアン」シリーズをおもしろく読みましたが、松本侑子訳の集英社文庫と村岡花子訳の新潮文庫と、同じ物語ながら文体などずいぶん違うことに気づきました。一言で言えば、現代的な松本訳、ちょっと言い回しに古めかしさがある村岡訳、というところでしょうか。この、村岡花子という翻訳者がどんな人なのかに興味を持っていたところ、出先の書店で村岡恵理著『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』(新潮文庫)を見つけて読みました。著者は村岡花子さんの孫にあたるようで、巻頭の写真なども興味深いものです。



構成は次のとおり:
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す
第1章 ミッションスクールの寄宿舎へ
第2章 英米文学との出会い
第3章 「腹心の友」の導き
第4章 大人も子供も楽しめる本を
第5章 魂の住家
第6章 悲しみを越えて
第7章 婦人参政権を求めて
第8章 戦時に立てた友情の証
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行
第10章 愛おしい人々、そして本
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る

明治期に、熱心なクリスチャンであった父の奔走で、カナダ人宣教師により創立されたミッションスクールである東洋英和女学校に、安中はなは給費生として特別に編入を許されます。すでに幼児洗礼を受けていた少女は、良家の婦女ばかりの厳格な雰囲気の中で、英語の猛勉強を始めます。孤児院で働きながら、洗濯や掃除などの家事を寮母に仕込まれ、やがて英語の力で頭角を現します。
柳原伯爵令嬢が結婚生活になじめず実家に戻り、東洋英和女学校の寄宿舎に入ってきた縁で、花子は「腹心の友」を得ます。佐佐木信綱に短歌を習い、片山廣子によって近代文学への扉が開かれ、「日本女性の過去、現在、将来」と題する英文の卒業論文を提出・発表して、安中花子は卒業します。

その後、山梨英和の英語教師をつとめながら、花子は小説を書き始め、失恋の痛手を受けながらも、実業家の広岡浅子や市川房枝らと知り合うなど、交流の範囲を広げていきます。そして、横浜の福音印刷の御曹司である村岡敬三(実際はイに敬)と出会います。敬三はすでに結婚し、妻幸との間に長男を授かっていましたが、幸は結核を発病、別居して三年ほどになっていました。
山梨英和をやめ、東京に出て、キリスト教関係の編集者として仕事を始めた花子は、英語力をいかして出版社の即戦力となっていきます。そこで二人は出会い、恋に落ちてしまいます。クリスチャンとして、病気の妻と幼い子供を見捨てて自分たちの幸福を求めてよいのか、という葛藤はあったようですが、結局は悲しく生涯を過ごすよりも、幸福な生活を送りたいという選択をしたのでしょう。このあたりは何とも言えません。

関東大震災の後、会社を詐取され、契約を失い、前妻との間に生まれた長男をも失って疲れ果てた夫に代わり、こんどは花子が生活のために働き始めます。翻訳小説を雑誌に寄稿するとともに雑誌の編集も手がけ、やがて夫婦で小さな出版社兼印刷所を設立しますが、悪いことは重なるもので、二人の間の息子が疫痢で死去、気力をなくしてしまうのでした。

ところが世の中では、婦人参政権運動が興隆、花子は少しずつ翻訳小説を出版するとともに、NHKの前身であるラジオ放送にレギュラー出演することになります。今で言えば「週刊子どもニュース」のようなものでしょうか。戦争の足音に追われるように、カナダ人宣教師たちが日本を離れていくとき、ミス・ロレッタ・レナード・ショーは、花子に一冊の本を贈ります。それがカナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリによる『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』の原書でした。戦火の中で、花子はひそかにこの本の翻訳をすすめます。

この後の経過は省略しますが、なるほど、村岡花子訳『赤毛のアン』には、そんな背景があったのかと、思わず「目からウロコ」でした。これは、平成23年に読んだ本の中で、間違いなくベスト5に入るものです。なかなか充実した読み応えのある本でした。『赤毛のアン』のお好きな方には、おすすめです。

【追記】

NHKの朝ドラで始まった「花子とアン」の影響でしょうか、村岡花子・敬三を検索して当ブログに来られる方が顕著に増えましたので、「赤毛のアン」関連の記事をリストアップしてみました。よろしければ、どうぞ。

『赤毛のアン』を読む…(1), (2), (3), (4)
『アンの青春』を読む…(1), (2), (3)
『アンの愛情』を読む…(1), (2), (3), (4)
茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』を読む


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晴天のお正月

2012年01月02日 06時05分33秒 | Weblog


幸いに晴天に恵まれたお正月、朝から寺の役員の仕事があります。八時から本堂に続く雪を除雪して参道を作り、本堂内の暖房を点火して受付を作ります。あらかた準備が終わったところで、住職とともに役員全員が般若心経等を唱えます。今年は、私は当番ではありませんので、途中で失礼して地区内の他寺をまわり、自宅に戻りました。
あちこちで地区在住の知人に出会い、近況を聞きます。病に倒れていた奥さんが、先端医療の恩恵によって治癒し、今はすっかり元気になったことなどを聞くと、こちらもうれしくなります。

正月に帰省した娘と息子がのんびり過ごしていると、平均年齢6X歳の我が家も久しぶりに一気に若返り、私たちとは迫力が違う食欲に、空気がパッと明るくなるようです。これが若さというものなのでしょう(^o^)/



我が家では、大晦日の「紅白歌合戦」ほかテレビを観る人は誰もいなくて、いたって静かな夜でした。しかるに元旦の夜は、恒例の「ニューイヤーコンサート」を観て賑やかに。今年はマリス・ヤンソンスが二度目の登場でした。ウィーン楽友協会からの生中継は、昨年まではNHK-FMと一緒に聴いていたのですが、今年はデジタル遅延のせいで、地デジのほうが数秒遅れてしまいます。残念ながら、NHK-FMとの連動というワザは使えなくなってしまいましたが、画面はさすがに綺麗で、うれしくなります。
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