先年、「赤毛のアン」シリーズをおもしろく読みましたが、松本侑子訳の集英社文庫と村岡花子訳の新潮文庫と、同じ物語ながら文体などずいぶん違うことに気づきました。一言で言えば、現代的な松本訳、ちょっと言い回しに古めかしさがある村岡訳、というところでしょうか。この、村岡花子という翻訳者がどんな人なのかに興味を持っていたところ、出先の書店で村岡恵理著『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』(新潮文庫)を見つけて読みました。著者は村岡花子さんの孫にあたるようで、巻頭の写真なども興味深いものです。
構成は次のとおり:
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す
第1章 ミッションスクールの寄宿舎へ
第2章 英米文学との出会い
第3章 「腹心の友」の導き
第4章 大人も子供も楽しめる本を
第5章 魂の住家
第6章 悲しみを越えて
第7章 婦人参政権を求めて
第8章 戦時に立てた友情の証
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行
第10章 愛おしい人々、そして本
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る
明治期に、熱心なクリスチャンであった父の奔走で、カナダ人宣教師により創立されたミッションスクールである東洋英和女学校に、安中はなは給費生として特別に編入を許されます。すでに幼児洗礼を受けていた少女は、良家の婦女ばかりの厳格な雰囲気の中で、英語の猛勉強を始めます。孤児院で働きながら、洗濯や掃除などの家事を寮母に仕込まれ、やがて英語の力で頭角を現します。
柳原伯爵令嬢が結婚生活になじめず実家に戻り、東洋英和女学校の寄宿舎に入ってきた縁で、花子は「腹心の友」を得ます。佐佐木信綱に短歌を習い、片山廣子によって近代文学への扉が開かれ、「日本女性の過去、現在、将来」と題する英文の卒業論文を提出・発表して、安中花子は卒業します。
その後、山梨英和の英語教師をつとめながら、花子は小説を書き始め、失恋の痛手を受けながらも、実業家の広岡浅子や市川房枝らと知り合うなど、交流の範囲を広げていきます。そして、横浜の福音印刷の御曹司である村岡敬三(実際はイに敬)と出会います。敬三はすでに結婚し、妻幸との間に長男を授かっていましたが、幸は結核を発病、別居して三年ほどになっていました。
山梨英和をやめ、東京に出て、キリスト教関係の編集者として仕事を始めた花子は、英語力をいかして出版社の即戦力となっていきます。そこで二人は出会い、恋に落ちてしまいます。クリスチャンとして、病気の妻と幼い子供を見捨てて自分たちの幸福を求めてよいのか、という葛藤はあったようですが、結局は悲しく生涯を過ごすよりも、幸福な生活を送りたいという選択をしたのでしょう。このあたりは何とも言えません。
関東大震災の後、会社を詐取され、契約を失い、前妻との間に生まれた長男をも失って疲れ果てた夫に代わり、こんどは花子が生活のために働き始めます。翻訳小説を雑誌に寄稿するとともに雑誌の編集も手がけ、やがて夫婦で小さな出版社兼印刷所を設立しますが、悪いことは重なるもので、二人の間の息子が疫痢で死去、気力をなくしてしまうのでした。
ところが世の中では、婦人参政権運動が興隆、花子は少しずつ翻訳小説を出版するとともに、NHKの前身であるラジオ放送にレギュラー出演することになります。今で言えば「週刊子どもニュース」のようなものでしょうか。戦争の足音に追われるように、カナダ人宣教師たちが日本を離れていくとき、ミス・ロレッタ・レナード・ショーは、花子に一冊の本を贈ります。それがカナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリによる『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』の原書でした。戦火の中で、花子はひそかにこの本の翻訳をすすめます。
この後の経過は省略しますが、なるほど、村岡花子訳『赤毛のアン』には、そんな背景があったのかと、思わず「目からウロコ」でした。これは、平成23年に読んだ本の中で、間違いなくベスト5に入るものです。なかなか充実した読み応えのある本でした。『赤毛のアン』のお好きな方には、おすすめです。
【追記】
NHKの朝ドラで始まった「花子とアン」の影響でしょうか、村岡花子・敬三を検索して当ブログに来られる方が顕著に増えましたので、「赤毛のアン」関連の記事をリストアップしてみました。よろしければ、どうぞ。
『赤毛のアン』を読む…(1), (2), (3), (4)
『アンの青春』を読む…(1), (2), (3)
『アンの愛情』を読む…(1), (2), (3), (4)
茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』を読む
構成は次のとおり:
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す
第1章 ミッションスクールの寄宿舎へ
第2章 英米文学との出会い
第3章 「腹心の友」の導き
第4章 大人も子供も楽しめる本を
第5章 魂の住家
第6章 悲しみを越えて
第7章 婦人参政権を求めて
第8章 戦時に立てた友情の証
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行
第10章 愛おしい人々、そして本
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る
明治期に、熱心なクリスチャンであった父の奔走で、カナダ人宣教師により創立されたミッションスクールである東洋英和女学校に、安中はなは給費生として特別に編入を許されます。すでに幼児洗礼を受けていた少女は、良家の婦女ばかりの厳格な雰囲気の中で、英語の猛勉強を始めます。孤児院で働きながら、洗濯や掃除などの家事を寮母に仕込まれ、やがて英語の力で頭角を現します。
柳原伯爵令嬢が結婚生活になじめず実家に戻り、東洋英和女学校の寄宿舎に入ってきた縁で、花子は「腹心の友」を得ます。佐佐木信綱に短歌を習い、片山廣子によって近代文学への扉が開かれ、「日本女性の過去、現在、将来」と題する英文の卒業論文を提出・発表して、安中花子は卒業します。
その後、山梨英和の英語教師をつとめながら、花子は小説を書き始め、失恋の痛手を受けながらも、実業家の広岡浅子や市川房枝らと知り合うなど、交流の範囲を広げていきます。そして、横浜の福音印刷の御曹司である村岡敬三(実際はイに敬)と出会います。敬三はすでに結婚し、妻幸との間に長男を授かっていましたが、幸は結核を発病、別居して三年ほどになっていました。
山梨英和をやめ、東京に出て、キリスト教関係の編集者として仕事を始めた花子は、英語力をいかして出版社の即戦力となっていきます。そこで二人は出会い、恋に落ちてしまいます。クリスチャンとして、病気の妻と幼い子供を見捨てて自分たちの幸福を求めてよいのか、という葛藤はあったようですが、結局は悲しく生涯を過ごすよりも、幸福な生活を送りたいという選択をしたのでしょう。このあたりは何とも言えません。
関東大震災の後、会社を詐取され、契約を失い、前妻との間に生まれた長男をも失って疲れ果てた夫に代わり、こんどは花子が生活のために働き始めます。翻訳小説を雑誌に寄稿するとともに雑誌の編集も手がけ、やがて夫婦で小さな出版社兼印刷所を設立しますが、悪いことは重なるもので、二人の間の息子が疫痢で死去、気力をなくしてしまうのでした。
ところが世の中では、婦人参政権運動が興隆、花子は少しずつ翻訳小説を出版するとともに、NHKの前身であるラジオ放送にレギュラー出演することになります。今で言えば「週刊子どもニュース」のようなものでしょうか。戦争の足音に追われるように、カナダ人宣教師たちが日本を離れていくとき、ミス・ロレッタ・レナード・ショーは、花子に一冊の本を贈ります。それがカナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリによる『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』の原書でした。戦火の中で、花子はひそかにこの本の翻訳をすすめます。
この後の経過は省略しますが、なるほど、村岡花子訳『赤毛のアン』には、そんな背景があったのかと、思わず「目からウロコ」でした。これは、平成23年に読んだ本の中で、間違いなくベスト5に入るものです。なかなか充実した読み応えのある本でした。『赤毛のアン』のお好きな方には、おすすめです。
【追記】
NHKの朝ドラで始まった「花子とアン」の影響でしょうか、村岡花子・敬三を検索して当ブログに来られる方が顕著に増えましたので、「赤毛のアン」関連の記事をリストアップしてみました。よろしければ、どうぞ。
『赤毛のアン』を読む…(1), (2), (3), (4)
『アンの青春』を読む…(1), (2), (3)
『アンの愛情』を読む…(1), (2), (3), (4)
茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』を読む
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
改めて(笑)この本、読むのを楽しみにしている1冊です。ますます楽しみになりました~。
私は村岡訳育ちですので(^^)
朝の連ドラも始まりましたが、どうでしょうネ。
まずはこの本を読んでみたいと思います。
などとブンガクづいてしまいそうな朝ドラですね。残念ながら朝は見られませんが、職場で昼の時間に見られることもありそうです(^o^)/
○『赤毛のアン』
でした(^o^;)>poripori