電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

サム・リーヴズ『長く冷たい秋』を読む

2008年08月17日 05時27分47秒 | -外国文学
ハヤカワ・ミステリ文庫で、サム・リーヴズ著、小林宏明訳『長く冷たい秋』を読みました。奥付の記録メモを見ると、実は前回の単身赴任時に購入し、読んだものです。風邪を引いて寝ている時に、床の中で何の気なしに読みはじめたら、止まらなくなってしまった記憶があります。

タクシー運転手、クーパー・マクリーシュは、ベトナム戦争を生きのびた帰還兵で、恋人のダイアナからは、大学を出た経歴にふさわしい職業につくように言われています。けれども、ベトナム後遺症なのか、依然として人間関係が苦手で、危険をともなうタクシー運転手を続けています。ある日、新聞で、復員後に大学で知り合っていた女性ヴィヴィアン・ホーストマンの死亡記事を見つけます。状況からみるとどうも投身自殺らしいのですが、クーパーには信じられません。切ない思い出を胸に葬儀に出席しますが、彼女のたった一人の息子が失踪しているというのです。いろいろな話を総合すると、どうも自分と彼女との間にできていた子供ではないかという疑いが生じます。そして、ようやく探し出したドミニク少年は、母親は事故死ではなく、殺されたのだと主張するのです。

父と子のテーマを背景に持つ現代ミステリー作品で、これが著者サム・リーヴズのデビュー作とは驚きです。そういえば、昭和の末期に渡米したとき、多くの人が「あの戦争以後~」という言葉から話し出すことに気づきました。当時、米国の中堅の人たちにとって、「あの戦争」とは即ちベトナム戦争のことだったのです。白い墓標が並ぶ広大な米軍墓地を見たとき、ガイドから太平洋戦争の死者よりもベトナム戦争での死者の数が上回っていたと聞き、驚いたことを今さらながら思い出し、ある年代のアメリカ人にとって、ベトナム戦争が与えた影響は甚大なものがあるのだな、と感じたことでした。もしかすると、今の米国青年たちにとっては、イラク戦争が同様のものになりつつあるのかもしれません。

写真は、先月上旬に撮影した、最上郡金山町にある「シェーネスハイム金山」という宿泊施設。ふだん利用しているビジネスホテルとは違い、ずいぶんリッチなところです。本とCDを持って、ゆったりと連泊してみたいものです。
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シューベルトの「さすらい人」幻想曲を聴く

2008年08月16日 07時01分44秒 | -独奏曲
このところ、シューベルトの「さすらい人」幻想曲を聴いています。1816年の歌曲「さすらい人」D.493の旋律をもとに1816年にウィーンで作曲された、ハ長調の4楽章形式の幻想曲です。CDに添付の解説を読むと、それぞれ明確な調・速度表示を持ち、はっきりした性格を持っており、実際は4つの楽章からなるソナタと見ることもできるのだとか。ピアノ・ソナタでありながら、主題の統一性や、四つの楽章が切れ目なしに演奏されるという特徴などに、25歳のシューベルトが試みた、幻想曲という野心的な実験と感じられます。

第1楽章、アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ。主和音が連打される、非常に明瞭な冒頭のリズムが、曲全体を統一しています。曲の始まりでは、いつものシューベルトのイメージとはだいぶ異なり、力感あふれる雄渾な印象を受けます。
第2楽章、アダージョ。歌曲「さすらい人」を主題とした変奏曲。いかにもシューベルトらしい、しみじみと聴くことができる、美しい音楽です。
第3楽章、プレスト。スケルツォ楽章に相当するのでしょうか。リズムは共通の主題と共通のもので、活発に変奏されていきます。トリオ部では冒頭主題がチャーミングに登場。そして、再びスケルツォに戻ります。
第4楽章、アレグロ。シューベルトらしからぬ、ヴィルトゥオーゾ風の見得の切り方ですが、あるいはこれもシューベルトの本来の姿なのかもしれません。

アルフレッド・ブレンデルの演奏(Ph UCCP-7057)は、シューベルトのピアノ曲の録音に精力的に取り組んでいた1970年代のもの。1974年6月にロンドンで収録された、フィリップス原盤のアナログ録音です。速い部分はぐいぐいと、ゆるやかな部分は詩情豊かに演奏しています。速いパッセージも流されずに、技巧が音楽に奉仕している感じ。録音は今なお良好なもので、低音の質もどんよりしたものではなく、好ましい響きです。前半部はやや抑え目に、最後の楽章に向かって次第に盛り上がっていくような構成を意図しているようです。

ミッシェル・ダルベルトの演奏(DENON COCO-70700)は、1993年から94年にかけて、スイスのコルゾー、サル・ド・シャトネールでデジタル録音されたもので、シューベルトを得意とするピアニストらしく、やや遅めのテンポで、ダイナミックかつ詩情豊かな演奏です。意図的に演奏したのでしょうか、それとも録音のせいでしょうか、低音が豊かで明瞭に響きます。どちらかといえば前半部の幻想性が印象的ですが、後半部の巨匠的なところも、シューベルトらしい、割り切り過ぎない沈潜の感じられるものになっているように思います。

■ブレンデル(Pf)盤
I=6'02" II=6'43" III=4'48" IV=3'31" total=20'04"
■ミッシェル・ダルベルト(Pf)盤
I=6'30" II=7'16" III=5'13" IV=3'36" total=22'35"

写真は、2枚のCDとポータブルCDプレイヤー、ブログ記事ネタ用ノートと、ごろ寝の際に愛用している、枕がわりのクッションです。当地の朝晩はやけに涼しく、ごろ寝には最適。残暑を嘆く南国の皆様方には申し訳ないほどです(^o^)/
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紙の魅力

2008年08月15日 07時29分55秒 | 手帳文具書斎
文具フリーペーパーBUN2の8月号は、夏休みらしく紙工作の特集でした。ただし、当方は紙工作よりも、紙そのものに、より興味があります。

一口に紙といっても、色々な種類があります。小学生の頃におなじみの更紙、水彩画やクレヨン画に用いた画用紙、自由研究をまとめるのに苦労した模造紙、ビジネス文書を入れる封筒用のクラフト紙、顕微鏡で観察しスケッチを描いたケント紙など。当方が利用するうちで、もっとも頻度の高いものは、プリンター用の用紙だろうと思いますが、レーザープリンターにはトナーの定着の良いコピー用紙が適しているし、インクジェット方式のものには、コピー用紙のように表面にデンプン処理(*1)をしていない、素の上質紙のほうがむしろきれい(*2)です。当方は、レーザープリンター用の再生コピー用紙と、インクジェットプリンター用の55キロの上質紙の二種類を、通常用途として常備するようにしております。そのほかには、カラー写真を含む印刷用途に、マットタイプのスーパーファイングレードのインクジェットプリンター用紙を少々。

これらの紙は、プリンター印刷だけでなく、手書きでも使います。ボールペンならばコピー用紙でも大丈夫ですが、万年筆にはやっぱりノートの用紙が適しています。特に、帳簿類の紙質の良さは抜群です。コクヨでは帳簿紙を使ったノートを出しているそうですが、かつて文具店で見たことがありません。「幻のハイクオリティ・ノート」でしょうか。一度入手して使ってみたいものです。

学生時代に、顕微鏡スケッチを描いたケント紙で魅力を知った、多彩な紙の世界。けっこう楽しいものです。

(*):コピー用紙にヨウ素液をかけると、青紫色に発色します。コピー用紙は、トナーの定着のために、表面をデンプン処理している模様。
(*2):昔の感熱紙にインクジェットプリンタで印刷すると、驚くほどきれいです。取り扱いには注意が必要ですが、ダイレクト製版の版下にできるほどで、びっくりしました。たぶん、表面の平滑度が高く、かつインクがにじみにくいためでしょうか。

写真は、BUN2と愛用しているシステム手帳のリフィルです。
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手作りハンモックで夏を楽しむ

2008年08月14日 05時17分05秒 | 季節と行事
全国的にお盆で、帰省されておられる方も多いことでしょう。当方も、若い頃には関東在住でしたので、交通渋滞の大変さなど、よくわかります。お疲れのことと思いますが、どうぞ、無事に乗り切ることができますように、お祈り申し上げます。



さて、子どもがまだ小さかった頃は、夏の朝、太い庭木の間に手製のハンモックをゆわえつけ、子どもを乗せて遊んだものでした。ハンモックといっても、大人の肩幅程度の厚板に二つの穴をあけてロープを通し、間に二枚重ねのシーツを袋に縫っただけの、いたってシンプルなものです。苔むした古い坪庭も、夏場は乾燥して気持ちの良い空間です。苔の上にシートを広げ、ごろりとねころんでハンモックをゆらすと、子どもも喜びますが、親のほうも涼しくて気持ちがよいものでした。

先日、娘が二人の孫を連れてやってきましたので、しばらくぶりにハンモックを出してやりました。ふだん子育てに手を焼いている母親(娘)も、子ども時代に自分が遊んだハンモックにわが子を乗せて、これはらくちんと大喜び。上の写真は、夏の簾戸ごしに見たハンモックで遊ぶ親子、セピア色の写真のほうは、いかにも娘の子供時代のように見えますが、なに、それほど古いものではありません。いくらなんでも、これでは明治大正生まれになってしまいますね。当方、それほど年ではありませんで、実は先日撮影したばかりの孫の写真を、Gimp でちょいと加工しただけです(^o^)/


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ひの・まどか『シューベルト』を読む

2008年08月13日 06時24分46秒 | クラシック音楽
作曲者の簡潔な伝記は、事典などでも知ることができますし、今なら Wikipedia 等で人によってはかなり詳細に知ることもできます。そんな時代には、子ども向けの作曲者の伝記は、やや違った意味合いを持つように思います。伝記的事実を簡潔に網羅する役割は事典等にゆだね、著者が自分なりに再構成した芸術家の生涯を、情感をもって追体験することが主眼となってくるのでしょう。

例えば Wikipedia におけるボロディンの記述はいたって簡潔なものですが、シューベルトなどはかなり詳細な記述(*1)があります。しかし、宮廷歌手フォーグルとの出会いの意義や、彼がシューベルトの歌曲の良き理解者として演奏活動を行い、また有形無形の支援を行ったことなどは、Wikipedia の現時点での記述から窺い知ることは難しいことでしょう。

でも、りぶりお出版から刊行されている、ひの・まどか著『シューベルト~孤独な放浪者』では、第二の父親とも言うべきフォーグルとの出会いと結び付きの始まりを、p.148~p.160まで、かなり感動的に描いています。子ども向けとは言いながら、その内容は決して子供だましではありません。

ただし、伝記に特有の美化もありそうな気がします。たとえばシューベルトの金銭感覚。本書では、実生活上の無頓着さととらえ、相当に貧乏な生活を送ったと描いています。でも実際は、シューベルトは自分の作品でお金を稼ぐことはたやすいことと思っていたのではないか?少なくとも強欲ではない程度に、多くは望まないシューベルトは、そこそこの金額で作品を売り、小金を稼いでいたのではないか。資金もいらず、格別の原材料も不要、ただ自分の労働力さえあれば、楽譜がお金に変わるのです。シューベルトが世界の長者番付に乗らなかったからといって、マイクロソフトにディスク・オペレーティング・システムを売ってしまったシアトルのソフトウェア会社(*2)を笑うようなことはできません。

たとえば「冬の旅」の最初の数曲の楽譜を持っていったハスリンガー社は、1曲に1グルデンしか支払わなかった、と書かれています。この時代の1グルデンという貨幣価値はいくらぐらいなのか、正確なところはわかりませんが、5万円~9万円くらいだとすると、4曲で20~36万円くらいでしょうか。もし24曲全部ならば、120万~216万円くらいになります。後世の視点から見て、作品の知名度と楽譜の売行きを元に考えれば、足元を見た「買いたたき」でしょうが、素人感覚では、当時としては結構な金額のような気がします。

多作家のシューベルトは、貧しくはない程度に裕福な経済生活を送ることができていたのではないか。ボヘミアンな生活を送れるだけの経済的な基盤は、あったと考えるべきなのではないか。いささか年を取った「大人」は、すぐそんなことを考えてしまうのです(^o^;)>poripori

(*1):Wikipedia「フランツ・シューベルト」のページ
(*2):Wikipediaの「MS-DOS」の記述、特に「開発の経緯」
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諸田玲子『お鳥見女房』を読む

2008年08月12日 05時29分27秒 | 読書
お鳥見という世襲の職業は、中年になって長男が出仕するようになると回ってくる、幕府の密偵も任務の一つなのだとか。夫があわただしく旅立つのと同時期に、父を訪ねて妙な男がやってきます。ずうずうしく居候を決め込んだこの巨漢には五人もの子どもがいました。さらにこの男を父の敵と狙う若い女まで、こともあろうに息子が連れてきて居候するようになり、とまあ筋立ては多彩な要素が盛り込まれています。ただし、印象としてはわりに淡々とした展開です。

両頬にえくぼを浮かべる、一家の要の役回り、主婦の珠世さんはしっかり者ですね。藤沢周平の『用心棒日月抄』に登場する細谷源太夫は、憎めないがなんとも救いようのない、しょうもない性格に描かれていますが、こちらに登場する石塚源太夫さんは、登場の仕方こそ

板塀に目をやり、珠世は凍りついた。
晒台の生首よろしく、男の顔がのぞいている。
ごつい顔だった。大ぶりの目鼻のなかでも、ことに目がぎょろりと大きい。日焼けした顔を薄っすらと無精髭がおおっている。うなじで一つに束ねた総髪は、本来の毛質か、長いこと洗っていないのか、ごわごわで灰色にくすんでいた。
男も目をみはった。縁側に座している女を見つめ、思案している。
ふたりは黙したまましばし見つめ合ったすると不思議なことに、珠世のなかからすーっと恐怖が遠のいた。

というようなものでしたが、磊落ではあってもずさんな性格ではなく、神道無念流の達人です。第6章「忍び寄る影」の結末などは、巨漢と乙女のロマンス風。さらに、音信不通となった、珠世さんの夫君の捜索に、自ら出かけることを申し出ます。世話になった礼とはいえ、いとしい多津さんを置いて、ずいぶん立派な心がけです。思わず続きが読みたくなる、成程これが人気連続シリーズの始まりなのですね。



写真は、わが老母がせっせと干している、梅干です。こちらは果肉が軟らかい品種ですので、そのまま食べるのはもちろんですが、一部は鰹節と一緒に刻んでペースト状にしていただきます。
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小学館版『昭和の歴史10・経済大国』を読む

2008年08月11日 05時06分19秒 | -ノンフィクション
同時代というのは、その時点ではなかなか時代の意味がつかめないものです。とりわけ、自分がまだ未熟で、社会的・歴史的な意味がわかっていない青春期の出来事にいたってはなおさらです。
ある年齢になって、そんな若い時代の出来事の意味合いに、興味関心を持つようになりました。進駐軍、ベトナム戦争、ケネディ暗殺、プラハの春、アポロ計画、ウォーターゲート、文化大革命、オイルショック、公害裁判、浅間山荘事件、日航機事故などなど。
手っ取り早いのは、やはり文庫本です。小学館の『昭和の歴史』シリーズは格好の読み物で、以前から読もう読もうと思っておりました。ただいま、第10巻「経済大国」を読んでおります。著者は、公害裁判で有名な宮本憲一氏。思わず「なるほど」という部分もあるし、拉致事件などが判明する前のためか、某国への評価は少々甘めに感じるところもありますが、全体的には「そうだったな~」と懐かしく読みました。理系人間には珍しく、現代史の「お勉強」です。

う~む、中高生の夏休みの宿題みたいですね(^o^)/
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行きつけの書店にて、本とCDを購入

2008年08月10日 06時44分14秒 | Weblog
ひさびさに落ち着いた週末を過ごせた土曜日、行きつけの書店に顔を出し、本とCDを購入して来ました。本のほうは、先日の記事にあった、

(1)『藤沢周平読本』(荒蝦夷社)
(2)『帰省~藤沢周平未刊行エッセイ集』(文藝春秋社)

の二冊、そして音楽CDのほうは、

(3) マルティヌー 交響曲全集 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィル
(4) ハルトマン 交響曲第4番、第8番 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
(5) ファリャ バレエ音楽「三角帽子」 ブルゴス指揮フィルハーモニア管弦楽団他



です。マルティヌーの交響曲全集のほうは、全部で3枚組で、1977~78年頃に録音されたスプラフォン盤のようです。ちょいと楽しみです。
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シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を聴く

2008年08月09日 06時44分10秒 | -室内楽
老父の葬儀等の期間中は、音楽を楽しむ余裕などありませんでしたので、長距離通勤を利用して、本当にしばらくぶりに音楽を聴きました。シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」です。LPの時代には、アルフレッド・ブレンデル(Pf)、クリーヴランド弦楽四重奏団員による演奏(Ph 20PC-2031)を楽しみましたが、カーステレオで聴くにはちょいと無理がありますので、ルドルフ・ゼルキン(Pf)と彼のマールボロ・チームによる演奏(FDCA-585)にて。例の、某中古書店に放出されたCD全集分売もののうちの一枚です。カーステレオ用には、たいへんありがたい(^_^)/

第1楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。弦の斉奏にピアノの分散和音で始まり、第1主題、第2主題、コーダと、全部で13分以上を要する、ずいぶん大きな楽章です。躍動的で、聞きごたえがあります。作曲を依頼したお金持ちの鉱山業者がチェロをたしなんだそうで、チェロ・パートに印象的な出番がちゃんと用意されています。
第2楽章、アンダンテ。ピアノが前面に出て活躍しますが、現在の感覚からするとやや高域よりの響きに思えます。これは当時の楽器の制約から?
第3楽章、スケルツォ。いかにもシューベルトらしい、途中で何度も転調するスケルツォです。
第4楽章、主題と変奏。歌曲「鱒」の旋律が主題となり、ヴァイオリンによって奏されます。他の弦楽器が伴奏にまわり、変奏に入ってからはピアノやヴィオラと続きます。チェロとコントラバスも加わり、本当に美しい旋律です。
第5楽章、フィナーレ:アレグロ・ジュスト。フィナーレらしい、華やかさがあります。

いいなぁ!シューベルトの音楽!
思わずほっとします。聴き慣れた音楽が、また新鮮に聞こえてきます。
求心的であっても息苦しくはない、親密であっても馴れ合いではない、よくコントロールされ、バランスの取れた響きが、心のこわばりを解きほぐすようです。

楽器編成が、第2ヴァイオリンに代えてコントラバスが加わっている点が、今の時代の感覚からすると風変わりですが、LPの解説(大木正興さん)によれば、これは当時ウィーンで人気のあった、シューベルトより10歳ほど年長のフンメルにも同様の編成のピアノ五重奏曲があり、参考にした可能性があるのだとか。

また、ピアノの音が高域よりの感じを受けますが、これも当時の楽器の制約によるものかもしれません。産業革命に伴う鋼鉄技術の進歩が、強靭なピアノのフレームを産み出したと考えると、当時のアマチュア音楽愛好家の家に、最新型のピアノが常に用意されているとは限りません。であれば、ピアノはモーツァルト流の高域重視型、低音はコントラバスに受け持たせる、という割り切り方はありうると思います。そんなふうに考えると、この楽器編成は合理的です。実際に、コントラバスの役割は、あるときはティンパニ風にも聞こえるし、バスを強調する時もあり、かなり多彩な役割を果たしています。

さて、おとなしくて目立つのが嫌いなシューベルト自身は、どのパートを担当したのだろう、と興味津津です。もしかすると、内声部で音楽を充実させる、ヴィオラあたりなのでしょうか。

■ゼルキン(Pf)、マールボロ・チーム
I=13'36" II=7'07" III=4'04" IV=8'19" V=6'19" total=39'25"
■ブレンデル(Pf)、クリーヴランド弦楽四重奏団員
I=13'21" II=7'03" III=3'52" IV=7'40" V=6'09" total=38'05"
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再開した通勤の音楽はシューベルトで

2008年08月08日 06時22分30秒 | クラシック音楽
忌引休暇も明けて、通勤を再開しました。家族が心細い思いをしているようですので、しばらくは自宅から通うことになりそうです。自宅を朝早く出て、遠距離通勤のお供にシューベルトのCDを選択しました。
(1) シューベルト ピアノ五重奏曲「鱒」、ゼルキン(Pf)、マールボロ・チーム
(2) シューベルト 「さすらい人」幻想曲、アルフレッド・ブレンデル(Pf)
(3) シューベルト 「さすらい人」幻想曲、ミッシェル・ダルベルト(Pf)
気温が高いと、車のエアコンをかけます。冷気の吹き出し音のせいで、ピアニシモが聞き取りにくいきらいはありますが、今読んでいる本も子ども向けのシューベルトの伝記で、しばらくはシューベルト三昧になるかもしれません。

写真は、わが家のミョウガの群落です。
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運転と音楽と涙

2008年08月07日 05時08分30秒 | Weblog
老父の死去に伴い、様々な手続きをしなければならず、ここのところ車で移動することが増えています。喪中に歌舞音曲を楽しむゆとりはなく、昨日たまたま老父の車を運転したところ、カーステレオに入っていた「日本のうた」が流れました。葬儀期間中には一滴の涙も出ませんでしたが、運転中に思わず涙があふれ出て、実に困りました。不覚でした。まさしく音楽の力です。

古代中国の墨家は、音楽を禁止したのだとか。その理由は、たぶん音楽には人間の感情の深い部分をゆさぶる力があることを認識し、一点の論理の破綻をも許さないための、自衛の方法だったのでしょうか。
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山形新聞連載の藤沢周平没後10年特集が単行本に

2008年08月06日 06時12分07秒 | -藤沢周平
藤沢周平の没後10年の記念に、地元山形新聞に昨年一年間連載された藤沢周平没後10年特集記事が、ようやく単行本になった(*)ようです。
これまでも、藤沢周平の手紙や没後10年シンポジウムなど、折々に話題にしてきましたが、この価値ある連載を単行本で一気に読み、また繰り返し読むことができるのは、何より嬉しいことです。
書名は『没後十年 藤沢周平読本』というのだそうで、仙台市の荒蝦夷社からの刊行、1,575円。さっそく入手したいところです。山形新聞の記事には、「県内の書店で」購入できるとありますが、県外の方はどうなのでしょう。記事中には刊行元の連絡先が記載されておりますので、問い合わせてみれば、わかるかと思いますが。このへんが、ローカルニュースですね(^_^;)>poripori

(*):本紙連載の「藤沢周平読本」刊行~山形新聞県内ニュース08.08.04より
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老父の死去に思うこと

2008年08月05日 07時29分08秒 | Weblog
葬儀も初七日も終わり、ようやく一段落したところです。老父の死去に伴い、地元在住の一族の結束力が示され、とどこおりなく葬儀も済ませることができました。これまで、葬儀の手伝いの形では、何度も経験していることなのですが、喪主という立場は初めてです。いや、やっぱり喪主は大変です。なんといっても、わからない中で決定を下さなければならないところが、つらいところです。地元の信頼できる人が差配してくれるからよいようなものの、何もかも葬儀社まかせでは、ちょっとなぁ、と思います。

さて、昨年秋に大腸ガンが再発した部位が、仙髄の神経の集積部に近いところで、手術のリスクが大きすぎることから、老父は抗がん剤治療を選択しました。ところが、副作用の口内炎が痛くて食事が取れず、これではせっかく腸閉塞を回避するために腸のバイパス手術をした意味がありません。季節のものを食べて余生を過ごしたいと、覚悟を決めて、自ら抗がん剤治療を辞退しました。このときの主治医との面談が、実に印象に残っています。

老父「延命治療は望みません。痛い・苦しいはごめんこうむりたいので、緩和治療を希望します。」
主治医「わかりました。無理な治療はしません。必要な措置はさせてもらいます。」
老父「よろしくお願いします。」

昭和50年代から実に八回の手術を経験し、入院生活の中で様々な患者の出入りを見てきた老父は、医療の袋小路を避けたいと念願しておりました。主治医、家族、それぞれの善意に発することではありますが、専門的な治療の選択肢を選んでいく中で、やがてチューブにつながれ、ただ生きているだけの生活に陥っていく。そして結果的に転院を余儀なくされ、途方にくれてしまうケースが、実際に少なくないのだとか。これまでの病院経験の中でそんな経緯を幾度か見てきて、本人なりに考え抜いたすえの依頼だったようです。

主治医の先生には、本人の希望を理解し、充分にかなえていただきました。無理な治療はせず、痛み止めと点滴などにより状態を維持改善することにつとめ、末期ガンの痛みや苦痛はほとんどなかったようです。パッチのように貼るタイプの痛み止めにはやや精神作用があったようで、少々ぼけたような症状も見られましたが、最後は次第に呼吸が弱くなり、安らかに息を引き取りました。享年85歳、家族に看取られながらの、眠るような最期でした。私自身も、できうればこういうやすらかな最期を迎えたいものだなぁと思ったことでした。
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