電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ひの・まどか『シューベルト』を読む

2008年08月13日 06時24分46秒 | クラシック音楽
作曲者の簡潔な伝記は、事典などでも知ることができますし、今なら Wikipedia 等で人によってはかなり詳細に知ることもできます。そんな時代には、子ども向けの作曲者の伝記は、やや違った意味合いを持つように思います。伝記的事実を簡潔に網羅する役割は事典等にゆだね、著者が自分なりに再構成した芸術家の生涯を、情感をもって追体験することが主眼となってくるのでしょう。

例えば Wikipedia におけるボロディンの記述はいたって簡潔なものですが、シューベルトなどはかなり詳細な記述(*1)があります。しかし、宮廷歌手フォーグルとの出会いの意義や、彼がシューベルトの歌曲の良き理解者として演奏活動を行い、また有形無形の支援を行ったことなどは、Wikipedia の現時点での記述から窺い知ることは難しいことでしょう。

でも、りぶりお出版から刊行されている、ひの・まどか著『シューベルト~孤独な放浪者』では、第二の父親とも言うべきフォーグルとの出会いと結び付きの始まりを、p.148~p.160まで、かなり感動的に描いています。子ども向けとは言いながら、その内容は決して子供だましではありません。

ただし、伝記に特有の美化もありそうな気がします。たとえばシューベルトの金銭感覚。本書では、実生活上の無頓着さととらえ、相当に貧乏な生活を送ったと描いています。でも実際は、シューベルトは自分の作品でお金を稼ぐことはたやすいことと思っていたのではないか?少なくとも強欲ではない程度に、多くは望まないシューベルトは、そこそこの金額で作品を売り、小金を稼いでいたのではないか。資金もいらず、格別の原材料も不要、ただ自分の労働力さえあれば、楽譜がお金に変わるのです。シューベルトが世界の長者番付に乗らなかったからといって、マイクロソフトにディスク・オペレーティング・システムを売ってしまったシアトルのソフトウェア会社(*2)を笑うようなことはできません。

たとえば「冬の旅」の最初の数曲の楽譜を持っていったハスリンガー社は、1曲に1グルデンしか支払わなかった、と書かれています。この時代の1グルデンという貨幣価値はいくらぐらいなのか、正確なところはわかりませんが、5万円~9万円くらいだとすると、4曲で20~36万円くらいでしょうか。もし24曲全部ならば、120万~216万円くらいになります。後世の視点から見て、作品の知名度と楽譜の売行きを元に考えれば、足元を見た「買いたたき」でしょうが、素人感覚では、当時としては結構な金額のような気がします。

多作家のシューベルトは、貧しくはない程度に裕福な経済生活を送ることができていたのではないか。ボヘミアンな生活を送れるだけの経済的な基盤は、あったと考えるべきなのではないか。いささか年を取った「大人」は、すぐそんなことを考えてしまうのです(^o^;)>poripori

(*1):Wikipedia「フランツ・シューベルト」のページ
(*2):Wikipediaの「MS-DOS」の記述、特に「開発の経緯」
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