電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

老父の死去に思うこと

2008年08月05日 07時29分08秒 | Weblog
葬儀も初七日も終わり、ようやく一段落したところです。老父の死去に伴い、地元在住の一族の結束力が示され、とどこおりなく葬儀も済ませることができました。これまで、葬儀の手伝いの形では、何度も経験していることなのですが、喪主という立場は初めてです。いや、やっぱり喪主は大変です。なんといっても、わからない中で決定を下さなければならないところが、つらいところです。地元の信頼できる人が差配してくれるからよいようなものの、何もかも葬儀社まかせでは、ちょっとなぁ、と思います。

さて、昨年秋に大腸ガンが再発した部位が、仙髄の神経の集積部に近いところで、手術のリスクが大きすぎることから、老父は抗がん剤治療を選択しました。ところが、副作用の口内炎が痛くて食事が取れず、これではせっかく腸閉塞を回避するために腸のバイパス手術をした意味がありません。季節のものを食べて余生を過ごしたいと、覚悟を決めて、自ら抗がん剤治療を辞退しました。このときの主治医との面談が、実に印象に残っています。

老父「延命治療は望みません。痛い・苦しいはごめんこうむりたいので、緩和治療を希望します。」
主治医「わかりました。無理な治療はしません。必要な措置はさせてもらいます。」
老父「よろしくお願いします。」

昭和50年代から実に八回の手術を経験し、入院生活の中で様々な患者の出入りを見てきた老父は、医療の袋小路を避けたいと念願しておりました。主治医、家族、それぞれの善意に発することではありますが、専門的な治療の選択肢を選んでいく中で、やがてチューブにつながれ、ただ生きているだけの生活に陥っていく。そして結果的に転院を余儀なくされ、途方にくれてしまうケースが、実際に少なくないのだとか。これまでの病院経験の中でそんな経緯を幾度か見てきて、本人なりに考え抜いたすえの依頼だったようです。

主治医の先生には、本人の希望を理解し、充分にかなえていただきました。無理な治療はせず、痛み止めと点滴などにより状態を維持改善することにつとめ、末期ガンの痛みや苦痛はほとんどなかったようです。パッチのように貼るタイプの痛み止めにはやや精神作用があったようで、少々ぼけたような症状も見られましたが、最後は次第に呼吸が弱くなり、安らかに息を引き取りました。享年85歳、家族に看取られながらの、眠るような最期でした。私自身も、できうればこういうやすらかな最期を迎えたいものだなぁと思ったことでした。
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