電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

梅雨本番、サクランボ収穫の状況

2006年06月15日 19時41分15秒 | 週末農業・定年農業
午前中はなんとなく蒸し暑いお天気でしたが、午後から曇り空となり、夕方からとうとう本格的に降り始めました。北東北と北陸も梅雨に入ったとか。すると、沖縄はそろそろ梅雨明け間近なのでしょうか。
さて、サクランボの収穫の状況です。当地は今サクランボ収穫の真っ最中。「紅さやか」など早生種の収穫が一段落し、いよいよ本命の佐藤錦の収穫が始まります。食べてみると、まだ本来の甘みではありません。この週末あたりから、ようやく美味しく食べられるようになることでしょう。収穫作業は来週が山場となるようです。
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平岩弓技『はやぶさ新八御用帳』第1巻「大奥の恋人」を読む

2006年06月14日 20時55分21秒 | -平岩弓技
先に『御用旅』から読んでしまった『はやぶさ新八』シリーズ、あらためて物語の発端となる第1巻「大奥の恋人」を読みました。『御用旅』ではしきりに妻の郁江さんを思い出す隼新八郎氏、実はちょっと事情が違っていました。

お鯉は15の年から新八郎の屋敷に行儀見習いに来ていた女中でした。それが7年近くも奉公したのは、新八郎の母の長患いのせいだといいます。しかし、母が亡くなり、新八郎も祝言が決まったのを契機に、お鯉も実家に帰ります。新八郎は、離れて初めてお鯉への恋慕を自覚し、新妻の郁江とはまだ心が通わないでいるのでした。
ある晩も、お鯉を訪ねた帰りに出会った殺人現場で、お鯉にもらった綿入れの袖なしのおかげで、真綿一枚の差であやうく命拾いをします。殺されたのは江戸城大奥に娘を奉公させている菓子屋の主人でした。

ここから始まるのは、かなりしっかりとした構成を持つ中編の、しっとりとした悲しい物語です。南町奉行・根岸肥前守の懐刀と言われた隼新八郎、未練たっぷりに逃した「鯉」を追憶するのですが、それ以上に悲しい愛がありました。

深いお堀と見上げるような石垣と城とで隔てられた一組の夫婦の哀切な最後は、粗筋を省略した方がよろしいでしょう。しかし、炎の中のドラマティックな幕切れに終わらず、「共に死ねというよりも、お前だけでも生きよと申すのが、人の心ではございますまいか」とお鯉がつぶやき、新八郎が答えに窮する場面を描きたくて、作者・平岩弓技さんはこの物語を創作したのかもしれません。
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チャイコフスキー「弦楽セレナード」を聞く

2006年06月13日 21時48分39秒 | -オーケストラ
チャイコフスキーの弦楽セレナード、ハ長調、作品48を、小規模な室内オーケストラではなく、大オーケストラの弦楽セクション総動員で演奏したらどうなるか。その実例がこれです。カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。

第1楽章、アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~アレグロ・モデラート。ゆるやかなテンポで、荘重な序奏が演奏されます。この出だしの弦楽の音が、実に豪華で華麗で濃厚に響きます。あぁ、カラヤンだなぁ、と感じます。
第2楽章、ワルツ、モデラート、テンポ・ディ・ヴァルス。華やかな夜会を優しく彩るワルツの音楽です。大オーケストラの弦楽セクションが、軽やかさを精一杯演じて見せてくれます。
第3楽章、エレジー、ラルゲット・エレジアコ。いかにも映画の名場面に使われそうな、甘美で切ない音楽です。でも、テンポ自体はそうゆっくりではありません。
第4楽章、ロシアの主題による終曲、アンダンテ~アレグロ・コン・スピリート。ゆるやかな序奏のあとで、舞曲風の活発な音楽に転換します。最後に、第一楽章の最初にある印象的な序奏が回想され、全曲が閉じられます。

録音は、1966年の10月と12月といいますから、カラヤンとベルリンフィルの黄金時代と言って良いでしょう。ジョージ・セルがベルリンフィルを振った後でクリーヴランドに戻り、ベルリンフィルのような豊麗な音は出せるか、と聞いたそうです。そうしたら、豊麗な音を出せる奏者をみな落とし、16分音符を正確に演奏できる奏者を入団させてきたのはボスじゃないか、と笑われたそうな。逆に、クリーヴランド管のヨーロッパ楽旅に際し、セルの楽器を振ったカラヤンがその高機能性に驚嘆し、後でベルリンフィルに執拗に細かいパッセージを繰り返し練習させたとか。相手にあり、自分にはないものの発見を通じて、逆に自分自身の持つ美点を理解した、ということなのでしょう。端的に言うと、精妙なリズムのセル、豊麗なレガートのカラヤン。

■カラヤン指揮ベルリン・フィル、(ドイツ・グラモフォン、POCG-9693)
I=8'43" II=3'56" III=8'43" IV=7'17" total=28'39"

参考までに、フィリップ・アントルモン指揮のナクソス盤の演奏データを示します。こちらもたいへんに素敵な演奏です。
■アントルモン指揮ウィーン室内管弦楽団、(ナクソス、8.550404)
I=9'29" II=3'50" III=9'07" IV=7'46" total=30'10"
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ブルックナー「交響曲第7番」を聞く

2006年06月12日 21時20分27秒 | -オーケストラ
最近、ブルックナーを聞いております。正直に言って、若い頃にはブルックナーにあまり魅力を感じませんでした。理由は単純で、当時のラジオ(NHK-FM)の音ではブルックナーの音楽の魅力を感じとるまでにはいかなかったことと、高価な二枚組のレギュラー盤LPなど買えなかったということでしょうか。
CDの時代になり、たまたまブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの演奏が発売されました。LPが2枚組5000円なのにCDが1枚で3800円だというので、LPをひっくり返す手間もいらず、それでは聞いてみようかと思った、という情けない理由が、実は真相です。当時、LD/CDコンパチブル・プレーヤー1号機を購入し、ビデオディスクや音楽CDを楽しめるようになっていましたので、そんなことを考えたのだと思います。
そしてそれが大当たり!LPをひっくり返す手間もいらず、迫力ある金管楽器群、なめらかな弦楽器の音色、そして全休止は全くの静寂。この演奏・録音にすっかりほれ込んでしまいました。私のブルックナー開眼でした。

今になって調べてみると、38C37-7286というこの初出CDは、1980年6月30日~7月3日、東ドイツ、ドレスデン、ルカ教会でデジタル録音されたものです。当時のデンオンがドイツ・シャルプラッテンと共同制作し、B&K社製のマイクロフォンを利用しています。

第1楽章、アレグロ・モデラート(21'03")。第2楽章、アダージョ、非常に荘厳に、かつ非常にゆっくりと(24'30")。第3楽章、スケルツォ、非常に速く、トリオ、やや遅く(9'36")。第4楽章、フィナーレ、快速に、しかし速すぎずに(12'23")。
total=67'47"

その後、ジョージ・セルのブルックナー演奏はどんなふうだろうとかいう具合に、色々なCDを購入しては聞いて楽しんでいますが、衝撃的なセルの8番の録音とともに、やっぱりこのCDが私のブルックナーの原点のようです。

写真は、初夏のカエデの紅葉です。若葉と対比する赤い色がとっても鮮やかです。
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宮城谷昌光『奇貨居くべし』第5巻(天命篇)を読む

2006年06月11日 21時05分43秒 | -宮城谷昌光
先日、南東北地方も梅雨に入り、どんよりしたお天気です。今日は、サクランボの収穫もお休みで、一日読書です。宮城谷昌光氏の長編『奇貨居くべし』は、いよいよ第5巻(天命篇)になりました。

呂不韋の訴えにより、華陽夫人は太子に願い、公子異人は嗣子となり子楚と改名、呂不韋は子楚のうしろだてとなります。呂不韋を慕って死んだ小環の遺児・小梠が舞子として近づき、呂不韋の子を身ごもります。ところが、子楚が小梠を望み、妾ではなく正室として迎え、産む子は自分の子とする、と言います。呂不韋は同意しませんが、小梠は自ら子楚のもとに行きます。このあたり、なんだかなぁ、よく理解できません。
趙を支えていた藺相如が死去し、呂不韋は弔問に出向きますが、楚に回り黄歇もとに滞在して学問に励み、子楚のもとに帰ろうとしません。そんなところへ僞の呼出があり暗殺されかかりますが、かつて逃した奴隷に危急を救われます。首謀者は子楚を排斥しようとする勢力であり、秦と趙の雲行きが悪くなると子楚は身の危険を感じるようになり、妻子を置いてからくも脱出しますが、父のかわりに人質となった子の政は置き去りにした子楚と呂不韋をひそかにうらみます。
秦では応候范雎が引退し、陶候魏冉が没すると、陶は魏によって亡びますが、田焦ら農業技術者が多数秦に移住します。子楚の妻小梠と子の政を人質の立場から解放するための方策はうまく行きません。秦では昭襄王が没し、太子柱が孝文王として即位しますが、わずかな在位日数で急逝し、子楚は荘襄王として即位します。趙姫小梠と子の政が帰国しますが、王はなつかない政を嗣子とすることに難色を示します。しかし政治の不安定をきらう宰相呂不韋が王にやわらかに諌言し、政を太子とします。

ここからはやや抽象的になります。立憲政体を目指したという呂不韋の政治と蒙ゴウ将軍の軍事は穏やかで、秦の支配域は徐々に拡大します。ところが荘襄王もまた崩御し政が即位しますが、内心にうらみを持つ政は呂不韋を遠ざけ、暗い政治に逆戻りしてしまいます。



長い物語の終わりは割愛しておいたほうが良かろうと思いますが、充分に面白さを満喫することができました。一方、呂不韋という人物像をどうとらえればよいのか、私には今一つ不透明です。
(1)呂不韋はなぜ正妻を持たないのか。多くの女性との間に子をもうけながら、現代の目で見ると不自然だ。敵国に母子を置き去りにした父を政がうらむのは自然な気がする。
(2)公子異人に黄金の気を見た件について、異人が嗣子となり王となるのは事実だがその後あっけなく早逝してしまうところを見ると、どうも金メッキだったのではないか。君子を買ったおそるべき政商という見方もできるが、君子こければ政商もこける、という実例でもあるだろう。
(3)『呂氏春秋』は呂不韋の思想というよりも、当時の優れた思想や知識の百科全書的集大成であろう。呂不韋の評価は思想や知識の組織家なのではないか。
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食べて直す。

2006年06月10日 21時46分38秒 | 健康
先日、耳鼻科でいただいたアレルギーの薬、いつもと違っていた。風邪気味のせいもあるが、なんだかおなかの調子が良くない。こういうときは、自家製ヨーグルトに活躍してもらう。冷蔵庫の中に、フルーツゼリーがあったので、ヨーグルトと一緒に食べましょう。このくらいの量を食べると、整腸作用は一発です。
写真で見えているのは、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。ジェイムズ・レヴァインの指揮です。
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宮城谷昌光『奇貨居くべし』第4巻(飛翔篇)を読む

2006年06月09日 20時42分51秒 | -宮城谷昌光
ようやくたどり着いた「飛翔篇」、タイトルどおり野鳥の飛翔の写真です。ワシ・タカだとよいのでしょうが、都合によりトンビです(^_^;)/

趙は藺相如と廉頗将軍の二人ががっちり手を組み、安定している。陶では農業生産力の向上に努力している。呂不韋は黄金の採掘のために魏冉から資金援助を受けることができた。父の元から鮮乙を譲り受け、衛の首都・濮陽で賈人(商人)として立つ。袿は秦王の嫡子である太子に愛され、呂不韋と鮮乙は衛の大賈である甘単の知己を得て濮陽での営業許可を受ける。
呂不韋は鮮芳と藺相如に会い、秦と争わないことで得た趙の安定を味わう。陶の黄金の採掘も順調とのことで、佗方も機嫌が良い。呂不韋は衛と陶を結びつけることで、趙との密かな同盟の道を探る。楚では、楚王の重臣となった黄歇が国を支えている。呂不韋はひたすら商売に専念する。

五年後、秦の太子が魏で逝去する。秦王の元で『青雲はるかに』の主人公・范雎が頭角を表し、陶候魏冉の落日の日が来る。宰相を罷免され、范雎が宰相となる。呂不韋もまた多くの財産を失うが、配下に助けられ、信用を失わずにすんだ。
呂不韋は、本拠を邯鄲に移し、趙で人質生活を送る秦の公子・異人に着目する。異人を趙の宰相に会わせるとともに、秦の太子の嫡子として立てるために、華陽夫人に会うが、華陽夫人とは、実はかつて陳で会った南芷であった。



かつて和氏の璧を争った敵である佗方に近付いた呂不韋の着眼は素晴らしいと思いましたが、陶候・魏冉に取り入り、政商として立つあたりは呂不韋びいきにはなれません。案の定、范雎により魏冉が失脚すると、岐路に立たされます。あっちでもこっちでも子どもを作るところも、ずいぶんなやつです。物語としては面白いのですが、魅力的な人物像と言えるかどうか、結論は最後の「天命篇」へ続く。
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ベートーヴェン「チェロソナタ第3番」を聞く

2006年06月08日 19時04分26秒 | -室内楽
モーツァルトは、チェロを独奏楽器とする曲を書かなかったのだろうか、よく知られた範囲では見当たらないように思う。もちろん、バッハやボッケリーニやハイドンに優れたチェロの曲はあるけれど、ベートーヴェンのチェロソナタの魅力はまた格別である。それを痛感させてくれるのが、1807年から8年にかけて作曲された、チェロソナタ第3番、作品69だ。
最初にこの音楽を意識して聞いたのは、大学時代の、音楽マニアでもあった恩師のお宅だったと思う。カザルスのチェロで朗々と歌い出した音楽に魅了されてしまった。それまで地味な音楽だと思っていたのが、実は情熱と叙情を併せ持つ素晴らしい音楽だと気づいたのだった。

先年、学生時代にはレギュラー盤の代表的定番で高嶺の花と憧れたロストロポーヴィチ(Vc)とスヴィャトスラフ・リヒテル(Pf)の演奏のCD(Philips,UUCP-7047)を入手し、ずっと聞いて来た。1961年7月、ロンドンにて録音されたもので、ステレオ初期に属する録音ではあるが、充分に楽しめる録音だ。

第1楽章、アレグロ・マ・ノン・タント。独奏チェロがゆったりと奏する気宇の大きな主題が印象的な、スケールの大きい楽章。チェロとピアノが堂々とわたりあうところは、中期のベートーヴェンの音楽の充実した楽しみだ。
第2楽章、スケルツォ、アレグロ・モルト。活発に動くピアノ、おおらかに歌うチェロが印象的な楽章。
第3楽章、序奏はアダージョ・カンタービレ。主部はアレグロ。序奏の後の壮快な主部、圧倒的な終わり。

■ロストロポーヴィチ盤
I=12'05" II=5'34" III=8'35" total=26'14"

写真のベートーヴェンの肖像は、生誕200年にあたる1970年に、コロムビアの廉価盤ダイヤモンド1000シリーズに添付されたものだ。壁にかけていたこともあるが、学校の音楽室のようなのでやめてしまった。今は、裏面に記載されたベートーヴェンの年譜を調べたり廉価盤の型番を調べたりするために、LP棚からときどきとりだして眺めている。この曲を作曲した頃、ベートーヴェンは37~8才だった。
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伝統的駄洒落の保存について

2006年06月07日 21時22分24秒 | Weblog
今や絶滅の危機に瀕しているものがあります。駄洒落(だじゃれ)という文化がそれです。この文化の中心的な担い手であった心優しき中年おじん族は、女性と若者を中心とする「寒~い」という画一的反応を前に、彼らの凍死を恐れるあまり、すっかり萎縮してしまったのでしょうか、この文化の普及と継承発展を意図的に抑制しているふしがあります。
この文化は、他のだれをもけなさず貶めず、純然たる言葉の遊びを楽しむという、高度の精神的背景を持っております。にもかかわらず、少子高齢化を背景にその社会的な伝承が途絶えようとしているのは、残念至極であります。伝統的駄洒落を愛する同志のみなさん、名誉会長であるN響アワー池辺晋一郎氏を中心に、この貴重なる文化を末永く保存いたしましょう(^o^)/

「ねぇ、この花、何の花?」「シラン。」

いえ、単にそれが言いたかっただけなんですけどね。
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南極のライブカメラでペンギンとご対面?

2006年06月06日 21時21分53秒 | コンピュータ
このところ、はっきりしないお天気です。東北地方も梅雨入りが近付いているのでしょうか。まだしばらくは御免こうむりたいところです。こんな気分の時は、ライブカメラで今の南極の様子を見ることにしましょう。題して、「Penguin Webcam」(*)です。

(*): ペンギン・ウェブカム~南極マーティン基地

南半球では、今まさに冬に向かっているところでしょう。ペンギンに会えるのはいつの季節、時間帯がよいのでしょうか。以前、このサイトでペンギンの群れと遭遇したことがあるのですが、たしか1月か2月ころだったかと思います。というと、南極では夏?
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物語の構造

2006年06月05日 20時02分18秒 | 読書
平岩弓技さんの『御宿かわせみ』シリーズをずっと取り上げていたとき、各話の一つ一つに短いコメントを入れたいと思いました。そのために、通読した後にもう一度各短篇の流れをざっと読み返し、ちょっとしたコメントを考えるようにしました。
その後、ディケンズの長編でも章ごとに同じ手法を用いたところ、面白いことに気がつきました。一度通読しただけではとらえにくい物語の構造がよくわかるのです。なぜこの人がここで登場するのか、なぜこの事件が起こるのか。
宮城谷昌光氏が造型する物語でも、同じことが言えます。一見何気なしに挿入されたような印象的なエピソードが、実は後で重要な意味を持ってくる、という物語の論理的な構造。作者は物語の展開を上空で冷静に観察し、必要となる布石を確実に打っているのですね。

写真は、上空ですれちがうジェット機です。
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宮城谷昌光『奇貨居くべし』第3巻(黄河篇)を読む

2006年06月04日 18時29分17秒 | -宮城谷昌光
どうも風邪を引いたらしく、昨日からくしゃみと鼻水が止まりません。今日は一日寝て、うつらうつらしながらおとなしく本を読んでいました。秦の統一の基礎を築いた宰相・呂不韋(りょふい)の物語『奇貨居くべし』、第3巻は数々の辛酸をなめ、賈人(商人)として立つ決意を固めるまでを描きます。

斉王の伯父・伯紲が運営する、貧窮者と孤児のための施設である慈光苑は、孟嘗君の死とともに斉の攻撃が必至となり、危機に陥ります。魏を頼み、慈光苑を守り抜くと息巻く者、早々に見切りをつけて退去する者、去就は様々ですが、恵まれない人々はどうなるのか、呂不韋は悩み迷います。斉と魏に囲まれ両者の攻撃を受けるのであれば、秦の陶侯の配下である佗方に救援を依頼するしかありません。
伯父を殺したという汚名を嫌う斉王は魏と密約を結び、慈光苑は救援の軍を装う魏によって破壊されます。呂不韋は有能な農業技術者である黄外ら数百人を伴い、佗方の配下に助けられて殺戮の寸前に辛くも脱出し、陶にたどりつきます。先に逃していた維らに看護され、ようやく健康を回復します。
佗方は、和氏の璧を守り抜き主君である魏冉を出し抜いた呂不韋を覚えており、その才能に興味を持ちます。呂不韋は黄外を補佐し秦の農業生産力を飛躍的に増大させることができる者として田焦を推挙し、はるばる迎えに行きますが、田焦は秦の捕虜として行方がわかりません。白起将軍の進路をたどり田焦をたずねる旅の途中で、盗賊の手から異母姉弟を救います。姉の袿は楚の王女でしたが本人はそのことを知らず、慈光苑の悲劇を例に呂不韋に戒められ、盗賊に凌辱された絶望から次第に回復していきます。捕虜の名簿の中で、栗の名を見出し、解放を依頼しますが、田焦は見付かりません。ようやく発見した田焦はまさに処刑の寸前で、救出してくれた呂不韋に感謝するとともに、その人間性に惹かれます。呂不韋は、賈人として立つことを決意します。人相見の名人・唐挙を通じ呂不韋の消息を知った鮮乙は、ようやく安心します。
陶に着いた田焦は、佗方にも黄外にも高く評価されます。袿は弟と共に佗方に預けられ、呂不韋のもとに鮮乙が到着、賈人として立つ決意を聞きます。鮮乙は、商いの拠点として小国・衛の首都濮陽を挙げ、川の水上交通を利用した計画などが描かれます。
陶邑で黄外が提出した灌漑工事の計画が許可されますが、それには条件がありました。水路を軍事用にも設計する必要があるというのです。天才的水利技術者の鄭国を迎えて、計画はスタートします。一方、袿は西という姓を与えられ、陶侯魏冉とともに秦に旅立ちます。大柄で健康な維は呂不韋の実質的な妻として愛されます。

第3巻は、おおむねこんな粗筋です。最後のところで、当時の中国の美人の基準が細腰のかよわくはかなげな女性にあったことが述べられ、呂不韋が美人の基準の点でも独自の価値観を持っていたとされています。このあたりも、作者である宮城谷昌光氏の人物造型が面白く感じられる点の一つです。

写真は寒河江川の流域で、偶然にも上部にトンビが飛んでいるのが写っています。
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ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」を聞く

2006年06月03日 21時10分34秒 | -オーケストラ
初夏の週末の休日、午前中に寒河江川のほとりに出かけ、清流庵の豆腐を購入し、知人にも送ってもらうことにしました。家に戻り、老父母と共にできたての厚揚げで昼食をすませ、バナナ・ヨーグルトでひと休み。
午後のひととき、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を聞きました。いずれもアンドレ・プレヴィンのピアノで、LPはアンドレ・コステラネッツの指揮する彼のオーケストラによる1960年のCBS録音CBS 13AC-294)、CDの方はプレヴィン自身の指揮するロンドン交響楽団の演奏で、1971年のEMI録音(HCD01149、新・世界の名曲シリーズ49)です。

1960年といえば、アンドレ・プレヴィンが「ヘ調のピアノ協奏曲」でピアニストとしてデビューした年だといいます。アンドレ・コステラネッツが指揮するニューヨーク・フィルがその舞台だったとか。坂清也氏の解説によれば、アンドレ・プレヴィンは、ウェストコーストのジャズ・ピアニスト、映画音楽の作編曲者としてすでに名声を得ていたそうです。優れたジャズ・ピアニストがガーシュインを演奏するのは、小沢征爾がしばしば共演するマーカス・ロバーツのように、よくあることなのでしょう。
このLPは、「ヘ調のピアノ協奏曲」がメインのようで、「ラプソディ・イン・ブルー」はB面に併録されています。では、その演奏は?

コステラネッツ流というのでしょうか、快速テンポで緩急をはっきりさせ、リズムが実に生き生きとしています。歌舞伎みたいに、大きく見えをきるような演奏です。プレヴィンのピアノも、「達者な」という範疇をこえて、30代はじめの覇気が感じられるバリバリの演奏です。

40代になり、クラシック音楽の指揮者としてキャリアを重ねていたプレヴィンは、ロンドン交響楽団と組み、同じガーシュインの音楽を録音します。それがこのCDに収録された「ラプソディ・イン・ブルー」などです。
最も大きな違いはテンポにあると感じます。自分で弾き振りした40代の演奏は、比較的ゆっくりと、管弦楽の響きも優しくスマートです。これは英国の聴衆の趣味に合わせたわけではないでしょう。本当は彼もこう演奏したかったのだろうと思います。けれども、若いジャズ・ピアニストがガーシュインを演奏するとなれば、それなりの気負いもあったでしょうし、当時絶大な人気を持っていたコステラネッツの解釈という基本があったのでしょう。演奏家でも、年齢を重ね、キャリアを積み重ねてはじめて本音を言える立場になるということもあるのかもしれません。

■プレヴィン(Pf)、コステラネッツ指揮コステラネッツ管(1960) 13'52"
■プレヴィン(Pf、指揮)、ロンドン響(1971) 14'45"

写真の本は、イーアン・ウッド著、別宮貞徳訳『ガーシュイン』。ジョージ・ガーシュイン生誕100周年記念にヤマハ・ミュージックメディアから1998年に刊行されたもの。こちらもなかなか興味深いものでした。
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5月の燃料消費率

2006年06月02日 20時29分58秒 | Weblog
ガソリン価格が上昇している。当地では、1リットルあたり130円をこえている。以前も、といっても昭和の話だが、ガソリン価格が高騰した時期があった。だが、しばらくすれば落ち着きを取り戻し、再び安価な水準に戻った。では、今はどうだろうか。この水準がかなりの期間続いているのではないか。

さて、参考のために先月(5月)の車(Nissan March 1000)の燃費を集計してみた。

西暦 April May (km/l)
-------------------
2006 17.2 17.5
2005 16.4 17.5
2004 17.6 17.7
-------------------
平均 17.1 17.6

冬タイヤをはきかえるのが遅れた2005年は、やや4月の燃料消費率が悪くなっているが、5月はエアコンも使わず、ほぼ実燃費に近い。実際の感覚もこんな感じだ。
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老父、すっかり元気になる

2006年06月01日 20時03分40秒 | 週末農業・定年農業
昨年の11月に、直腸ガンで手術をした老父、病理検査の結果のとおり、その後の経過もまったく順調で、すっかり元気になりました。80歳を過ぎて、ごらんのとおりです。高所作業台車を使えば、ハシゴの上り下りもいらず、高いところでの作業もできます。今は、花摘みが不十分だったリンゴの摘果をしているとか。勤め人の息子(私)は、今のところ当てにされておりません(^_^;)>poripori
この1月末に胃ガンを手術した老母も経過は順調で、食事の量はまだ少量しか食べられませんが、二人ともほぼ全快と言ってよさそうです。何はともあれ、家族の元気が何よりです。
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