電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を聞く

2006年05月24日 21時16分26秒 | -協奏曲
若葉が風にそよぐ季節は、一面で五月病の季節でもあります。幸いに、愚息はホームシックにはかかっていないようで、妻の度重なるメール攻勢に「便りのないのは良い便り」と返信してきたそうな。

CDの解説書によれば、26歳のラフマニノフは五月病ならぬ交響曲第1番の初演失敗ですっかり自信喪失に陥り、精神科医ニコライ・ダール博士に暗示治療を受けて、ようやくこの曲を作曲したのだとか。その暗示治療とは、「君には素晴らしい作曲の才能がある、君はまもなくピアノ協奏曲の作曲に取り掛かる、その協奏曲は必ず傑作となる」というものだったといいます。治療を受けた期間は四ヶ月といいますので、いわば初演の失敗による心的外傷が癒えるまでにそれだけの期間を要したと言うことでしょう。でも、第1楽章だけが超有名で後の二つの楽章が刺身のツマのようになってしまいやすいチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番に比べて、ずっと楽章間のバランスの良い音楽になっているように思います。

第1楽章、モデラート。独奏ピアノで静かに始まると、もうこの出だしを聞いただけでラフマニノフとわかる、重厚な旋律をオーケストラが奏でます。適度に近代的な力強さを持ち、ほどよくロマンティックでもある、こころよい音楽です。
第2楽章、アダージョ・ソステヌート。ゆるやかな管弦楽をバックにピアノが分散和音を奏で、フルートが美しい主題を歌います。このあたりは、青年の若々しい叙情でしょうか。決して中年の懐古的な感傷ではありません。
第3楽章、アレグロ・スケルツァンド。映画にも使われた、例の有名な旋律が登場します。華麗な名技性とメランコリーを併せ持つ、見事な音楽になっていると感じます。

ラフマニノフというと、プロコフィエフと重なる時代です。でもずいぶん違います。1901年に作曲されたラフマニノフのこの曲と、1911年に作曲されたプロコフィエフの第1番。わずかに10年の違いですが、かたや濃厚にロマンティック、かたや前衛とモダンの塊。

私の手元には、二種類のCDがあります。一枚目は1986年に清水和音(Pf)のロンドン・デビューに際し、アビーロードスタジオでデジタル録音されたもので、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン交響楽団の演奏。ゆっくりしたテンポで、堂々たる演奏です。二枚目は、日本コロムビアのCD全集"MyClassicGallery"シリーズのブックオフ分売もので、ミルカ・ポコルナのピアノ、イルジー・ワルトハンス指揮ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の演奏。清水盤よりはやや速めのテンポで、巨大さよりは自然な流れを重視した演奏のようです。こちらは録音年月日と録音地は不明。録音はいずれも良好です。

■清水和音(Pf)、マイケル・ティルソン・トーマス指揮ロンドン響
I=10'45" II=12'15" III=11'26" total=34'26"
■ミルカ・ポコルナ(Pf)、イルジー・ワルトハンス指揮ブルノ国立フィルハーモニー
I=10'20" II=10'29" III=11'42" total=33'11"

写真は、文翔館二階バルコニーの復元された床です。
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