電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

童門冬ニ『近江商人魂』(上)を読む

2006年05月05日 09時42分44秒 | 読書
昨日、杉崎ボタニカルアート美術館を訪れた帰り道、図書館に立ち寄ってこの本を見付けた。同氏の『上杉鷹山』を読み終えたばかりで、近江商人をどんなふうに描いているのか興味があり、読みはじめた。
当地と近江商人との間には、格別の縁はないと思う。全国展開の近江商人にとって、みちのくの寒村にすぎないだろう。ただ、当地には「おみづけ」という名のうまい漬物があり、実は「近江漬」がなまった言い方だと言われている。なんのことはない、大根や青菜など各種の野菜を細切れにして漬け込んだもので、御茶漬に良し、おかずの一品にも良し、当地ではなじみの深い冬の定番メニューである。では、なぜこれが近江漬と呼ばれるようになったのか。山形市の漬物本舗の社長の説によれば、近江商人が残り野菜を集めて漬け込み、食卓に供したことからきているのだとか。では、近江商人とはどんな人たちだったのか。それが知りたい。

上巻は、藺草と畳表を行商する仁右衛門が行商の心得を体得する内容だ。商人は右の物を左に移すだけで利を得ている、という蔑視から離れ、甲の地で必要なものを乙の地から運ぶ仏の心、という視点を展開している。上巻では、織田信長や蒲生氏郷らの戦国武将の盛衰と関わりなく歩む行商人の生き方と、戦国武将と一心同体の政商となる生き方とが対比される形で描かれる。いわば、行商と政商と、どちらが仏の道にかなうか、という提起の仕方だ。
ちょっと問題の立て方にかなり違和感を感じるが、行商人の生活ぶりは興味深い。奥州路を長期間売り歩くには、近江漬のような知恵も必要だったのだろう、と思う。
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