電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『奇貨居くべし』春風篇を読む

2006年05月28日 17時29分35秒 | -宮城谷昌光
中公文庫で、宮城谷昌光『奇貨居くべし』春風篇を読みました。帯解説によれば、「秦の始皇帝の父とも言われ、一商人から宰相にまでのぼりつめ」るとともに『呂子春秋』を編んだ人ということだそうですが、この解説から受ける印象は不義密通とか政商とかいう生臭いもので、編纂した著作も自慢気な自伝のようにさえ受けとれます。
ところが、実際には全然違いました。『孟嘗君』の後日談であり『青雲はるかに』の裏面史でもある本作品は、堂々たる大河のような物語です。

韓の中堅の商家である呂家の次男である呂不韋(りょふい)は、生母不在のまま不遇に育ちます。父の命により鮮乙(せんいつ)とともに黄金を産出する山を調査する旅に出て、次第に成長していきます。偶然に暗殺現場に居合わせ、楚の国宝というべき和氏の璧(へき)という宝玉を手にします。楚は趙と結び、秦に対抗しようとしていたのでした。
邯鄲で鮮乙の妹である鮮芳(せんほう)は藺相如(りんしょうじょ)を思慕し、愛人となっています。楚の黄歇(こうけつ)は、和氏の璧を土産として趙君に運ぶ途中で、楚と趙が結ぶことを妨害する秦の宰相・魏ゼンの策略により、奪われたのでした。呂不韋は、和氏の璧を黄歇に返し、藺相如のもとに滞在して学問を始めます。
慎子曰く、天子を立てるは天下の為なり。天下を立てるは天子の為にあらず。
こうした思想を、古代中国の人々は持っていたのですね。

さて、秦王の使者が趙の邯鄲に来て、秦の十五の城をやるので和氏の璧をよこせといってきます。もちろん、ねらいはただ取りです。だが、強大な秦に対し、否とは言えない趙は、正義を立てるために陪臣である藺相如を秦に派遣します。藺相如は呂不韋を伴い秦におもむきます。藺相如が秦王にまみえる場面は、実に迫力がありスリリング。結果的に藺相如は無事使命を果たしますが、呂不韋は生死の境をさまよいます。これが春風篇の概要です。

平凡で不遇な若者が、旅をして次第に成長する場面は、一種なつかしさを感じさせます。物語の続きが待ち遠しい。今日は地域行事のため、午前中いっぱいつぶれてしまいました。明日は読めるでしょうか。
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