西国や九州の外様大名抑えの城なので、自らの防備は相当手薄な感じ…
藩士達登城用の門か、まったく無防備な冠木門が東門虎口近くに作られている。
櫓にも全く狭間は穿たれておらず、横矢掛けのしかけも施されていない。
優雅な手すりはちゃんと取り付けられている。
本丸内には、これも豊臣伏見城から移設された湯殿が復元されていた。
二の丸曲輪に残された井戸跡?
国重文に指定されている鉄御門、歴女が案内のボランティアガイドを質問攻めしていた。
帰り際、今一度多彩な破風を見返してみた。
確かに様々な破風が、これでもかと言わんばかりに配されているのがわかる。