行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年3月11日(日)の日記

2012年03月11日 | 日記

朝の予報ではずっと曇りで、ときどき雲の切れ間から日が差すぐらいと言っていたが、嬉しくもその予報は外れ。朝のうちこそ、雲が多かったが正午前から青空のほうが多くなった。予定していたとおり、今日はカメラを持って行徳臨海部の様子を見に行く。 

トップページのレポートに使わなかった写真から。
千鳥橋を渡ったところのニトリとユニディ。ここも液状化の被害が出た場所。

駐車場の大きなコブのようにアスファルトが盛り上がった箇所があったのは修復されていたが、全体に波打った感じはまだまだ残っていた。

湾岸道路と京葉線を過ぎて、臨海部の奥へ。

埋立地の突端まで来て振り返ったところ。

臨海部全般で歩道の修復は終わっていた。護岸側も舗装が直されていたが、すぐそばには近づけないよう仮設の柵は設けられたままだった。

漁港付近は立ち入ることができる。修復もされていた。

漁港の様子。以前と変わったという感じはしない。

市川塩浜駅付近の様子を見て、今井橋通りのほうから帰る。

塩浜橋で丸浜川を渡る。菜の花の黄色が目に付いた。季節はどんどん春に向かって進んでいる。

ダイエー南行徳店1階にあるコメダ珈琲店で昼飯。空席ができるまで十数分待ちだった。

ここは去年の4月末に一度入っている。名古屋本拠のチェーンと聞いていたし、名古屋名物のみそカツのサンドがあったから、それを食べたらすごいボリューム。晩飯の時間ごろまで腹に残っている感じだった。

なので今回はオーソドックスなところでハンバーガー(380円)にする。それとブレンドコーヒー(400円)。コーヒーのほうが高い。それだけ、いいコーヒーだということなのだろう。

コーヒーのほうが先に来た。豆菓子が付いてくるが食べ物の調理に時間がかかるので、時間つぶし用だと思われる。

コーヒーが来てから7、8分後にハンバーガーが来た。これもハンバーガーチェーンのものよりかなりでかい。

真ん中で半分に切ってあるが、その断面。半分でマクドナルドの無印のハンバーガー1個分ぐらいと思えた。

値段といい、注文を受けてからの調理といい、コメダ珈琲店という店は喫茶店やハンバーガーチェーンというよりもファミレスだと思えた。

 

買い物をして家に帰り、デジカメの画像をPCに移して、トップページレポートの作成にかかる。

去年の3月11日に地震が発生した午後2時46分が近づいてきた。追悼式をやっているはずだとテレビを付けると、NHKで中継していた。

午後2時46分の時報とともに1分間の黙祷。自分も時報のときにテレビ画面を写して、そのあとは一緒に黙祷する。

1時間ぐらいテレビを付けていたが、岩手・宮城・福島各県の遺族代表による追悼の言葉を聞いている間は心に重いものがどんどん入ってきて、手が止まった、いや、何もできなくなった。

トップページレポートは午後4時過ぎに出来上がってUPする。大震災で行徳地域にこういうことがあって、そしてそれからどうなっていったかの一つの記録だ。

 

晩飯は南行徳駅前へ行って、なか卯きつねうどんライスつけもの。自分がよくやる"勝手にきつねうどん定食"。

 

それから今日の日記にはもう一つ、書いておこうと思っていたものがある。

去年の3月11日のこと

去年の3月11日の日記はPHSからメール投稿したものだった。年休消化ということで、金曜日に休みを取って箱根の温泉にのんびりつかろうと出かけたのだった。芦ノ湖畔で地震に遭遇。予約した宿になんとかたどり着いて、そこから投稿した。

地震がなければ、帰ってから写した写真でその日のことを追記するところだが、そういうことも頭から消えてしまった。でも、自分にとっても大変な日だったし、その日がどんなだったか、何を考えていたか、記憶があやふやになる前に書いておこうと思った。

8時45分か50分ぐらいの小田急ロマンスカーで新宿を出発。

箱根湯本。2009年の3月に来たときは工事中だったので、ずいぶんきれいになったと思った。

今回は登山電車には乗り換えず、バスで芦ノ湖畔へ向かった。

行ってみようと思っていたのは箱根関所跡。中学の修学旅行で来て以来だった。

展示を見学。

地形を利用した見晴台から。斜面の草の部分には雪が残っていた。

さらに資料館も見学し、そのあと旧街道の杉並木を歩いて元箱根へ。

ちょうど正午頃。深生そばという店に入る。

ワカサギフライの定食を食べる。

そのあと成川美術館を見学。

成川美術館の建物には芦ノ湖が眺められるラウンジがあった。

観光船(海賊船)に乗るまで時間があったので、上の写真で湖畔に赤い鳥居が小さく見えるが、その箱根神社へお参りしてくることにした。
成川美術館や昼飯を食べた店の近くにある箱根神社の一の鳥居。鳥居越しに駒ケ岳が見える。

箱根神社。湖沿いの参道から境内へ上がる石段。

箱根神社の拝殿。まわりが樹木であまり日が当たらないためか、残った雪の量が多かった。

午後2時10分過ぎに元箱根を出る海賊船に乗る。船が到着。

桟橋に接岸。

船内から駒ケ岳。

船内では全然動き回らず、ずっと座っていた。この先、桃源台から大涌谷を経由して、強羅へのケーブルに連絡する早雲山までのロープウェイが、大涌谷~早雲山間が定期点検中でバス代行という掲示がしてあった。

デッキへ出てみるとかいったことをする気にならず、じっと座っていたのはなぜだろう。もしかしたら、このあと起こることへの虫の知らせだったのかもしれない。いや、そんなものではなく、単に急ぎ足で箱根神社まで往復で数百メートルを歩いてきたから、くたびれただけだったか。

桃源台は船とロープウェイとバスの乗り継ぎ拠点で、他に何かあるわけではない(建物の中に食べ物屋はある)。旅の記録にと一旦、建物の外に出て写真を写す。

この画像のタイムスタンプは午後2時43分。すぐにロープウェイに乗らず、こうやって写真を写していたおかげで、乗っているときに揺さぶられたり、緊急停止で宙吊りになったりしなかったのは幸いだった。

そして、そのときが来た。切符を買ってロープウェイに乗ろうと列に並んでいたら、どうも揺れている。最初はロープウェイが通るから揺れるのかと思ったが、すぐに地震だと気付いた。すると、大きな揺れが来た。そのとき、耳に残っている音は、
「ドンドンドンドン、ドンドンドンドン」
というもの。あるいは、
「ガンガンガンガン、ガンガンガンガン」
だったような気もする。そんな感じの音がロープウェイ乗り場に響いた。揺れの体感よりも音のほうが記憶に残っている。

ロープウェイは恐らく自動で緊急停止。揺れが治まったら係員2人(写真)が飛び出して行った。

カメラはストラップで首にかけていたから、すかさず写した。まだ、どんな地震が起こったのかは分からない。だから、単に旅の途中の1ハプニングを記録して、あとから日記に書こうというつもりで撮影した。もし、揺れがもっと強烈でロープウェイ駅の建物が崩壊でもしたら、とても写せない。いや、もう生きていないかもしれない。

自分も含めて乗ろうとしていた人たちは、ぞろぞろと売店や切符売り場のほうへ一旦、引き上げた。とんだハプニングに「あーあ!」という雰囲気だった。通勤時間帯の電車が信号機故障や人身事故で止まっても、だいたい30分とか40分で回復するから、ロープウェイもそれぐらいで動くだろうと、そのときは思っていた。他の人たちもそうだったのではないかと思う。

みやげ物その他を売っている売店でコーヒーを買い、イートインコーナーで飲む。

PHSのブラウザで地震の情報を見ようとするが、ニュースページはなかなかアクセスできない。そうするうちに会社からの安否確認メールが届く。自分の勤務先の会社は、そういうメールを送信するサービスをやっている会社と契約している。こういうのが来るということは、東京方面もかなりの揺れがあったということだろうと思った。それで、コーヒーを飲みつつ、今いる場所のことを返信メールで送る。

そんなことをしているうちに、2回目の大きな揺れが来た。今度も、
「ドンドンドンドン、ドンドンドンドン」
という音が記憶に残っている。

すると、駅係員が「建物外に出てください!」と叫び、全員が外に出された。残ったコーヒーもそのままにしてあわてて外に出た。ハンドスピーカーを手にした駅員が地震の情報を話し始めた。事務室のテレビなどでようやく情報が入り始めたのだろう。東北地方の強い地震で、駅員が言うには、
「この建物が崩壊するぐらいの揺れです!」
だった。それで、また強い揺れが来るかもしれないということで、建物外に一旦、退避させられたのだ。風がちょっと冷たかったが、雨でなくてよかった。

箱根地域でも交通機関はすべてストップしていることが分かってきた。そんな状況ならロープウェイがしばらく待てば動くというのは期待できない。恐らく、東京方面に行けるかどうかも難しいだろうから、とにかく予約した強羅の宿にたどり着くしかないと早急に決断した。

これも幸いだったが、路線バスは午後3時半ぐらいには動き出した。湯本へ下るバスの2台目に来たのに乗ることができた。観光用マップを見て、宮の下まで下れば登山電車の駅がすぐだと分かったので、とにかく宮の下まで行くことにする。満員で座れず、よく揺れる後輪のあたりに立ったままだったが、しんどいとは思わなかった。桃源台のロープウェイ駅で外に出されたとき、周りにいた若い人間が「こういう時って、テンション上がるよね。」と友達同士で言っていたが、確かにそうだ。自分もテンションが上がっていたのだ。

途中で、強羅坂下というバス停を過ぎてから気が付いた。そこで降りれば強羅は1キロの距離らしかった。もっともずっと上りの1キロだろうけど。もっと箱根の地理に詳しければ、降りて歩いたかもしれない。

ようやく宮ノ下に到着。降りるときに運賃を払おうとしたら、払わなくていいと言われた。こうした非常事態では、そういう運用になっているのかもしれない。

登山電車の宮ノ下駅。午後4時20分。

登山電車は止まっていた。駅員に聞くと、線路点検中であと数十分が1時間ぐらいは動かないとのこと。強羅に宿を取っていることを告げると、ホームに止まっている電車内でお待ちくださいということだったので、待たせてもらうことにした。電気は来ていて車内は暖房も入っていた。

待っている間に予約してある宿に電話して、遅くなるが行くつもりであることを連絡する。震災のとき、PHSは通じやすかったということだが、宮ノ下駅からもちゃんと通じた。それから、大阪の親にも連絡を入れる。母親はテレビで見て、千葉のほうで石油タンクが燃えていると言っているが、千葉の地理に詳しくないので、どこなのかは分からないという。これが市原の石油コンビナートだったのだが。今日は東京方面は無理だろうから、とにかく予約してある宿へ向かうと言っておく。

箱根登山線は全線の路線長がそんなに長くないので、線路の点検も早く終わったようだ。17時ちょっと前には運転再開となった。自分も含めて何人かが車内で待っていた電車は湯本方面行きホームに止まっていたほうなので、その電車は山を下って行った。しばらくして、登ってきた電車に乗る。

でもまだ、全線再開ではなく、強羅の一つ手前の彫刻の森までしか行かないという。その先、線路沿いで土砂崩れがあったらしい。だとしても彫刻の森と強羅は高低差がほとんどなく、距離も500メートルぐらいだから、歩いて強羅まで行くことは可能だ。

彫刻の森駅に到着して、強羅へ向けて歩き始める。

土砂崩れは線路に沿った道路で起こっていた。もともと地盤が弱い場所で、地震の揺れで崩れたそうだ。これは、その少し手前からズームを望遠にして。

自分の前を歩いていた人が、土砂崩れの脇で立ち止まり、首からぶら下げていた一眼レフでその様子を写そうとしたが、警官が抱きかかえるようにして無理やり先へ行かせた。たしかに、また揺れが来たら、再び崩れるのかもしれないのだから立ち止まるのは危険なのだ。恐らく、写そうとした人も、その時点では地震についての詳しい情報は持っていないから、まだ旅の途中でちょっとしたハプニングに遭遇したという気分だったのだろう。

2009年に来たときと同じ、強羅駅そばにあるホテルパイプのけむりに着いた。

これがこの日に写した最後の写真。

チェックインして部屋のテレビでようやく、どんな地震が起こったかが分かってきた。そして想像以上に恐ろしい事態であることが分かると、もう写真を写す気も失せてしまった。それまではまだ、旅の途中のハプニングを記録しておこうという気持ちがあったのだ。

のんびり楽しむはずだった温泉も、とてもそんな気分ではなくなった。着いたのが予定より遅かったし、とにかく汗を落として持ってきた下着に着替えるためだけに大浴場へ行く。でも、湯に浸かったのは2分か3分だった。もう晩飯の時間になりつつあったためか、他には誰もいなかった。宿は午前中から食事の用意は進んでいたから、バイキングもちゃんと食べることはできた。しかも大変なときなのに、妙に食欲だけはあってむしゃむしゃ食べた。やはりテンションが上がっていたためか、あるいはこうした状況で生物としての生存本能が刺激されてしまったためかもしれない。そして、落ち着かないから酒も飲んだ。でも、2009年のときみたいに、飲み食いしたものを写そうという気持ちは消えていたから、カメラは食堂へは持っていかなかった。

次の日(3月12日)は、登山電車も全線で運行だったし、東京方面の小田急もJRも本数は減っているが運行を始めたので、時間は要したが家に帰ることができた。もし、2010年の2月のように鬼怒川温泉だったら、北関東は鉄道もなかなか回復しなかったというから、すぐには帰れなかったかもしれない。

3月12日も写真を写そうという気持ちにはならず、南行徳を降りて街の様子が変わっていないのを見て、ようやくカメラを出して写したのだった。


2012年3月10日(土)の日記

2012年03月10日 | 日記

午後には雨も上がりそうだというが今日は真冬のように寒いし、ほとんど家にいて、録画した番組や映画を見てしまう。地上波に切り替えると、やはり震災から丸1年関係の番組が多い。

昼飯は南行徳駅まで行ってメトロセンターの一心亭へ。赤味噌ラーメントッピングにチャーシューにする。

赤味噌ラーメンをしばらく食べていないと思って過去日記を探すと、去年の9月初め以来だった。

 

昨夜は横からお酒を注いで昔話をする爺さんと隣り合わせになったおかげで、飲んだ量がちょっと多くなった。だけど、今日も夜になったら軽く飲みたくなってきた。でも、居酒屋だと量が多くなるから、どこへ行こうかと考えたら、南行徳マルエツ近くのイタリアンの店・ポポラーレのことが頭に浮かんだ。ランチはこれまで3回行った。夜の時間も一度、行ってみたいと思っていた。イタリアンなら食べて軽く飲むことができるだろう。

ランチタイムはパスタランチだけだったが、夜のメニューを見ると、おつまみ・サラダ・パスタ・ピザなど一品一品が安めの値段である。居酒屋価格という感じだ。それで、食べ物3品をまとめて注文し、飲むほうはまず生ビール。

この店の生ビールはハートランド。お通しは小さいポテトグラタン。

ハートランドは居酒屋オンドリでときどき飲んだ。飲み口がさわやかな生ビールだ。オンドリでは中瓶で出していたが、ポポラーレはビアグラスで出てくる。前に飲んだのも去年の6月にオンドリで。マスターに特レバを作る場面の動画(→YouTube)を撮影させてもらったときのことだった。

最初にまとめて3品注文したつまみが続々到着。右下が本日のおすすめメニューからスズキのエスカベッシュ。左上がレギュラーメニューから13種野菜のグリーンサラダ

エスカベッシュというのはなんだろうと思ったが、マリネだった。エスカベッシュというのはスペイン料理だということ。

そしてピッツァマルゲリータ。一品あたりの値段が安いので小さいサイズのもの。

ビールのあとは、本日おすすめメニューからホットワイン。

ワインを温めたもので、ミルクカップっぽい陶器のコップで出てきた。けっこう分量があって、今日は生ビールとこのワインだけで十分だと思えた。

今日座ったのは、奥のほう(かつてタイ料理店チャオプラヤだった部分)にあるカウンター席。
写真はカウンター席のすぐ前。

お会計のあとに、居酒屋っぽいメニューと値段と思えたことを話したら、
「一応、イタリアン居酒屋というコンセプトなんで...」
ということだった。

今日の飲み食いで2,500円ちょっとだった。席数は少ないがカウンター席もあるので、平日の帰りにちょっと寄って、晩飯を兼ねて軽く飲むのにも入りやすそうだ。今日は土曜日で、自分が午後7時過ぎに入ったときはまだ空いていたが、そのあと何組も続けてお客さんが入り、賑わっていた。


2012年3月9日(金)の日記

2012年03月09日 | 日記

今日は定時からそれほど間をおかずに帰ることができたので、帰りに散髪をしていく。葛西で途中下車していつもの床屋へ。

そのあとは南行徳を降りてから養老乃瀧へ。
お通しと中生。

最初のつまみはカキフライ

お献立表で"いかさし"は値段が入っていない。ずっと入荷しないのかと思っていたら、前回にきたとき自分のとなりに座ったお爺さんが注文していた。

なので今回の2品目はいかさしを注文する。ビールの次はお酒を燗で。

空席を一つ開けてとなりに座った爺さんがなんか自分のほうをじっと見ているなと思ったら、飲んでるお酒をお猪口に注いで話しかけてくる。最初は相手をしていたが、けっこう酒の強い爺さんで次々にお燗を注文しては自分も飲んでこちらにも注ぎ、昔話をやり続ける。ちょっとでも相手をしてもらって話を聞いてもらうと、止まらなくなる人間はときどきいる。こちらも最初は適当に相槌を入れつつ聞いていたが、やがて鬱陶しくなって横を見ないで飲み食いしていた。爺さんはそのうち話しつかれたか、飲みつかれたかでお会計して帰っていった。

鬱陶しいのから解放されて、次のつまみはジャガバター

爺さんに注がれた分がけっこうあったので、お酒を飲んだ量がちょっと多くなった。あとはレモンハイ1杯だけにしておく。そして、締めは季節もので空豆

朝からずっと降っている雨も、明日の午後にはやみそうだ。


2012年3月8日(木)の日記

2012年03月08日 | 日記

次の日曜日は3月11日。つまり、東日本大震災から丸1年。

液状化被害が出た行徳臨海部が今どうなっているか、その様子を行徳雑学館のトップページでレポートしようと思っている。だから、前の日曜日以来、ずっと曇りがちで雨が多い天気にはまったくやきもきさせられる。こんなに天気予報が気になって、しかもいらつくのはあまりないことだ。

今のところ、週間予報だと土曜が雨で日曜は曇り。名古屋や大阪の日曜は曇り一時晴れなどで一応、晴れマークは付いている。関東も月曜には晴れマークが付いているから、日曜日は回復して晴れに向かう天気だと期待できる。でも、週間予報で出ていたものが直前に変わることはよくあるから、まだ安心はできない。

今日の晩飯はやよい軒。出勤時に前を通るとステーキの定食が100円引きというポスターがチラッと見えたので、食べようと思っていたが、店の前でよく見ると100円引きは明日から。じゃあ、ステーキの定食はまたにして、今日は肉野菜炒め定食にする。

寒さ疲れがたまってきて先週はさぼったダンベルエクササイズを再開。今日は上半身メニュー。


2012年3月7日(水)の日記

2012年03月07日 | 日記

昨日、今日と曇りがちなものの暖かい気候だったが、明日からまた寒さが戻るらしいので油断してはいけない。

晩飯はなか卯。一昨日、カレーとサラダを食べながらメニューを見ると、みそ汁の具が菜の花に変わっていた。季節で具が変わり、冬の間はなめこだった。菜の花はけっこう好きなほう。会社のカフェテリア式食堂でも、今の季節に菜の花の辛し和えがあったりすると選んでしまう。なか卯の菜の花みそ汁も食べたくなった。やはり、自分がお気に入りのチェーンだからか。

それで、今日は牛丼並サラダセット(サラダとみそ汁)

丼ものかカレーを注文した場合だけ、プラス140円で追加できるセットが登場していて、
・冷奴とみそ汁のやっこセット
・玉子とつけものとみそ汁のたまごセット
・サラダとみそ汁のサラダセット
の3種類。

サラダとみそ汁は通常だとどちらも100円だから、セットで140円というのはかなりお得。丼ものかカレーと一緒の注文でないとだめなのだから、店にとってもこの値段で出して損をするということはないのだろう。


2012年3月6日(火)の日記

2012年03月06日 | 日記

朝降っていた雨が午後には上がって晴れ間が出てきた。こういう日は傘を忘れやすい。前の傘はジャンプの留め金を噛ませるところがダメになって勝手に拡がってしまうようになった。まだ買って1年半かそこらなのに、もうダメになってしまうとは。それで、この前、新しい傘を買った。買ったばかりだから、とにかく忘れないように今日は常に意識して置くようにする。

晩飯は南行徳を降りて、松屋豚テキ定食

それから線路沿いに歩いて、ジャズライブのHot Houseへ行く。

飲みつつライブを聞く。

今日は松井節子さんのピアノと佐々木悌二さんのチェロのデュオ。

今日はチェロが主旋律を奏でる、初めて聴くアレンジのHolylandが演奏された。

これまで自分が来たときは、火曜日は空いていることが多かったと思うが、今日は土曜日並に賑わっていた。

帰りも傘はちゃんと忘れずに持って帰る。


2012年3月5日(月)の日記

2012年03月05日 | 日記

中華料理と紹興酒というのはカロリーが高いからか、今日はいつもの週初日のようなだるさをあまり感じなかった。だからと言って、毎週日曜の夜に同じようなことをやったらカロリー過剰になってしまうだろうから、あくまでもときどきだ。

晩飯はなか卯ビーフカレーサラダ

帰ってから録画しておいた映画で1時間40分ぐらいのを1本見る。いろいろと見たいのはあるが、また録画したのがたまってきた。まず、2月に録画したのを片付けないと。


2012年3月4日(日)の日記

2012年03月04日 | 日記

朝飯のあと、残り半分の洗濯物を片付け、昨日の日記を書いてUP。そのあと今日は、自転車の整備をやる。

整備と言っても、自分で出来ない部分は自転車屋へ持って行く。10年余り前に買ったお買物用自転車は一応、6段変則。だけど、安物だからグリップの変則のメモリとギアがずれたり、勝手に動いてしまったりするようになってきた。それを調整してもらう。まだ何年かは乗るだろうし、変則付きだと向かい風のときはギアを落とすこともできるし、行徳地区は平坦とはいえ、今井橋や浦安橋、妙典公園で地下鉄車庫への線路をまたぐしおみばしなどへ上るときは、やっぱりあったほうがいい。

そのあとは、1年半ぐらい乗っていなかった折りたたみ自転車のほうに取り掛かる。ギアやチェーンを洗浄液で汚れを落とす。そして、慣らし運転で街をぐるっと走ってくる。
これは湊新田の胡録公園前。

折りたたみ自転車を買って最初の4年あまりは、しょっちゅう出かけていた。振り返ると一種の熱病だ。だけど熱病はやがて冷める。そうなると、少しブランクが空いただけで、再開するのにエネルギーを要する。

去年の2月ごろ(最後に出かけてから半年近い頃)、3月の春分の日の連休ぐらいにどこかに出かけようかと考えたが、震災が起こったあとは自転車で出かけるといったこと自体が頭から消えてしまった。秋ぐらいにそろそろ自転車を整備してと思ったことがあったが、やはりブランクが長くなったためか、実行できなかった。そして今年も春が近づいてきて、そろそろ自転車を整備しておこうかと考えたが、どうもきっかけがつかめない。

それで、きっかけというか、エネルギーを得るために一つ買い物をした。仏式バルブや米式バルブが付いたスポーツ自転車用の空気入れ。パナソニックのBFP-AZLY1という型番のもの。スポーツ自転車だけでなく、ママチャリの英式バルブ用のアダプターも付属する。アマゾンで4,500円弱だった。

これまでは、写真下にある携帯用の空気入れをずっと使ってきた。お買物自転車用には昔買った脚踏み式のを使っていた。こういう圧力メーターがちゃんと付いた大きい空気入れだと、全然楽に空気が入る。ずっと折りたたんで部屋の隅においてあった折りたたみ自転車を、久しぶりに拡げて空気を入れた。一度、そうやって触ると、かぶった埃をふき取るとか、いろんなことが自然にできるようになった。

ブランクが1年半もあったし、最初は行徳浦安をぐるりと走るとか、葛西臨海公園のほうへ行ってみるとか、江戸川沿いを市川橋か葛飾橋ぐらいまで行ってくるとか、そうしたことから始めるのがいいだろうと思う。でも、とりあえず次の週末ということはない。週間予報では天気もあまり良くなさそうだ。だが、その前に次の週末は大震災からちょうど1年。液状化被害が出た行徳臨海部がどうなっているか、それを見に行くほうが優先。

昼飯はスーパーでの買い物ついでに南行徳駅前へ行って、なか卯鶏塩うどん

 

午後6時からケーブルTV経由NHK BSで地上波よりも早くやっている「平清盛」を見る。今回は意外と面白かった。実はこれまでが期待したほどではなかったから、今回限りで見るのをやめようかと考えていた。ドラマだから史実に忠実というわけではないことは承知しているが、荒唐無稽さが度が過ぎると思えていたからだ。特に瀬戸内海の海賊討伐に行く話では、単独行動をした清盛が囚われの身となり、平氏一門が助けに来て最後は海賊の頭領の兎丸と殴り合いの末、互いに通じるものを感じて、清盛が海賊一味を平氏の家臣団に加えるというのは、安っぽい青春ドラマみたいに思えた。ここでダメだと思った。

ところが清盛も妻を娶って、今日放映の回では子供も生まれてすっかり大人になり、今後の展開に関わる主要人物も出揃った。これまで、王室、公家、武士のドラマが分離して進んでいたのが互いに関わるようになってきて、しかも今日の回は心理描写が濃密になってきた。なので、今回で見るのをやめるのはなしにして、とりあえず次回は見ることにした。

 

「平清盛」を見たあと、晩飯は上海飯店に行く。

昨日も飲んだが、今日もまた軽く飲みたくなった。最初は中生。食べるほうはまず、ネギとメンマの辛子和え

一緒に注文した黒毛和牛とニンニクの芽炒めも出てきた。

ビールのあと、紹興酒の小瓶を1本飲む。お燗にしてもらう。

土曜日なら紹興酒のあと、サワー類を1杯飲むところだが、今日はやめておく。ジャスミン茶はサービス。大きなボトルで出てくる。そして、締めの飯は五目炒飯。食べるほうも土曜日などより一品少なくする。土曜日もこれぐらいでいいかも知れない。

昼間もどんよりと曇っていたので、晩飯のときは用心して傘を持って行った。案の定、帰るときは降り出していた。持って行って正解だった。


2012年3月3日(土)の日記

2012年03月03日 | 日記

いつもの土曜日のように洗濯・掃除・クリーニング出しをやり、午後に銀座へ映画を見に出かける。

電車に乗る前、南行徳駅でリニューアル工事が完成したようすを写す。この週末の行徳雑学館トップページレポートで取り上げるつもりだが、明日は天気が下り坂になりそうだ。同じ写すなら晴れたときのほうがよいので、今日、写しておくことにする。

東銀座で降りて、三原橋のシネパトスで見る。

見たのは台湾の作品で父の初七日。急死した父の葬儀までの7日間を、娘と息子を中心にして描いたもの。

ここ2年ほどの間に、おじやおばに亡くなる人が相次いだし、妹の嫁ぎ先でも姑が亡くなったりした。自分の両親は去年の6月に旅行でこちらに来て、地元の店や江戸東京博物館へ連れていったりしたし、その後も2人であちこちでかけているらしいから、まだまだ元気だ。でも、一緒に歩くと、歩く早さがすっかり遅くなっているし、身体も若い頃のような張りはすでになく、少しずつ縮んできて、おじいさん・おばあさんの身体になっている。やがて見送るときがゆっくりと近づいてきていることを感じざるを得ない。

こうした映画に関心が向くのもそのためだろう。心の準備をしておきたいという気持ちが自分の中に生まれているのだ。

「父の初七日」という作品はというと、ドキュメンタリータッチの部分が強く、情感たっぷりの演出がされているものではない。泣ける作品を期待する人には向かない。実際に人が死んで葬儀をして送るまでの慌ただしさをリアルに描いている。

確かにそうだ。自分の祖父母が死んだときも、父方と母方で2人ずつだから計4回の葬式を経験している。離れて暮らしているから臨終には立ち会えなかったが、感情が高ぶるのは遺体と対面したときが一度。そしてもう一度は、葬儀屋さんが音楽をかけて演出する、棺の蓋を閉じて送り出すときだった。それ以外は、手続きを手伝ったり、段取りを打ち合わせたり、お香典をくれた人と金額をノートに書いて集計したりと、とにかく忙しかった。なので、故人を思い出すとか、悲しみの浸るとかいったことは、意外なほど少なかったのだ。だけど、映画の登場人物たちもそうだが、何かの拍子にふっと思い出したりして感情がこみ上げてきたりする。そういうものなのだ。

 

1月末にシネパトスで映画を見たあと、初めて三原橋地下街の飲み屋で飲み食いした。そのときは三原という店だったが、別の店にも入ってみたいと思い、今日はそのつもりだった。ところが、1月のときも土曜日で、そのときには開いていた三原のとなりのおでんと魚河がし料理の店は今日は休み。他に開いているのは、やはり三原という店名の定食の店だけ。それじゃあと、地上の建物の2階にある居酒屋の傅八に入ることにする。

他には新宿と青山に店があるそうだ。大きなチェーンではないが、3店共同で仕入れなどもできるわけで、場所代の高い銀座だがメニューを見ると郊外の個人経営の居酒屋と同程度の値段だった。

お通しと、最初のアルコール類は中生。

建物自体、けっこう古いものだが、食べログの記事のレビューによると有名な建築家の設計によるものらしい。弧を描く天井がいい雰囲気だ。

そして窓からは銀座の夜景。自分が座ったのは入口側から一番奥のテーブルで、窓の外は街路樹の枝越しに東銀座駅の入口が見える場所。

夜景を楽しむのにも、飲み食いしながら人間観察するにもいい店だ。

つまみは先ず、ウリだといういわし料理から2品。いわし刺身

そして、いわし磯辺揚

日本酒は地酒の純米酒を何種類か置いているとのことで、まずは喜平。次のつまみは季節ものなどのおすすめメニューから北海たこ刺身

地酒はもう一杯。次は手取川。つまみはこれも季節ものから焼たけのこ

日本酒は2杯にしておき、次はライムサワー。おすすめメニューにキングサーモンあぶり寿司があったので、締めの食事にちょうどいいと注文。

傅八が入っている建物は晴海通りの北側になる。こちらはオリジナルのたたずまいを残している。南側にも同様の建物はあるが、晴海通りに面した側は改装されて雰囲気は大きく変わっていた。

ちなみに、南側の2階にはびっくり寿司の銀座本店が入っている。


2012年3月2日(金)の日記

2012年03月02日 | 日記

わずか1日で天気が崩れたが、それほど冷たい雨でもなかった。やっぱり、徐々に春に向かっている。

晩飯は南行徳メトロセンターのやよい軒から揚げ定食

鳥の唐揚げの定食はオーソドックスなメニューだが、やよい軒で前に食べたのはいつだろうかと過去分を探すと、偶然にも去年の3月2日だった。

そして去年の今日はダンベルをやっていた。でも、今年は寒い日が多くて身体に堪えたのか、特に今週はだるい感じで、結局、ダンベルはパス。

だるかったけれど、徐々に回復してきたようだ。会社のカフェテリア式食堂での昼飯は豚肉を炒めたのを選び、晩もまた肉を食べたくなったのだから、身体がパワーがつきそうな食べ物を求めている状態だということなのだろう。