行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年4月20日(水)の日記

2011年04月20日 | 日記

昨日の日記の冒頭のところに、”風引きに注意”と書いておきながら、そのあと長文を一生懸命に書いてUPし、気が付くと寒の戻りで下がった室温の中で、身体がすっかり冷えていた。われながら間の抜けた話。

風呂につかって身体を温めてから寝たが、今日は身体がだるめ。午後からだるさが増した。これは熱が出るのではないかと思ったが、特に悪寒がするようなことにはならなかった。鼻も喉も大丈夫。でも、ぐったりするようなだるさは続いたから、定時からそれほど間をおかずに退社。

晩飯は一心亭へ行き、ごま味噌ラーメンを食べる。ラーメンと一緒に、小さい擂り鉢に入れたごまが出てくる。

ごまを擂ってからラーメンに入れて食べる。

ごま味噌ラーメンは前に一度だけ食べたことがあったと思って、過去記事を検索すると2006年の2月だった。日記をブログにする少し前、まだ@niftyのNotebookサービスで書いていた頃だ。感想は書いていなかったが、実は擂り鉢に入れたごまが出てきたときは、
「何だこれは!」
と思ったことを覚えている。てっきり、"ごま味噌"というのがあると思ったので、味噌+ごまというのにがっかりしたのだった。味噌に詳しい人でなければ、"ごま味噌ラーメン"と聞けば、"ごま味噌"というのがあると思うだろう。

ラーメンの味噌スープのほうは、この店のメニューの特製味噌ラーメン(味噌は店のオリジナルブレンド)と同じか近いと思えた。ごま味噌も特製味噌もどちらも同じ値段だから、ごまの分を差し引けば、やはり特製のとは少しブレンドのやり方が違うのかもしれない。

今回、ごま味噌ラーメンを食べたのは、味噌とごまという滋養のある食べ物を摂りたかったから。食べてみると、ごま入り味噌スープはなかなかいける。

帰宅しても身体のだるさは残っているし、どうも眠くなってくるが、ラーメンを食べることが出来て、しかもデジカメで写して、この日記を書いていられるのだから、早めに就寝してぐっすりと眠れば大丈夫だろう。


2011年4月19日(火)の日記

2011年04月19日 | 日記

朝の強い雨は自分が家を出る頃には上がっていた。でも、帰りの時間には冷たい雨が降り、季節が1ヶ月ぐらいは逆戻りした感じだった。風引きに注意。

帰りはジャズライブのHot Houseへ行く。晩飯はこの店でピラフ

今日行ったのはこの本を持って行くため。

"THE REAL BOOK - VOLUME 2 C Instruments"というジャズのスコアブック。

この本には Holy Land という曲の楽譜が収録されている。

去年の秋、ジャズの曲をもっといろいろ聴きたいと思って買ったCDに、「BEST JAZZ 100 PREMIUM」というCD6枚組みで100曲収録のがあった。

この中にHoly Landが収録されていた。心の奥底に秘めた強い情念を感じさせる演奏。そういうものはインパクトが強いため、一時、はまった。それで、今年の1月にHot Houseへピアノソロの日に行ったとき、ピアノの松井節子さんにリクエストしたが、iPodに入れたのを聞いてもらっても、
「この曲、知らない。」
ということだった。松井さんが持っていた、かなり多くの曲が収められたジャズのスコアブック2冊を見せてもらっても、Holy Landは載っていなかった。それなら、いずれ楽譜が手に入ったらということにした。また、一時は、はまった曲だが時間が経つに連れて徐々に冷めて行った。

ところが、3月11日の東日本大震災のあと、時間が経つほど、再びHoly Landを無性に聴きたくなってきた。聞いてみると前とは聞こえ方が違っていた。

悲しみと向き合い、悲しみを分かち合って魂を慰め、そして、悲しみを背負って生き続ける力を得る-

そんな音楽に聞こえてきた。

同じものを見ても聞いても、見る側、聞く側の心理状態で見え方、聞こえ方が変わってくるというが、大震災が自分の心理状態を変えたのだろう。

大変な災害が起こっても、冷静さを保つように心がけ、仕事もそれ以外の生活も前と変わらず続け、同時に経済が落ち込まないように、自分ができる経済活動を続けている。でも、震災で2万8千人という人が命を落としたり、今も行方不明であり、また多くの街が破壊されて廃墟となったという事実が、毎日、メディアを通して意識にインプットされ、どんどん蓄積している。でも、直接被災したわけではないし、被災地はもっとひどい状況だという思いが、蓄積された悲しみと向き合うことを抑制している。

メディアを通しては、「がんばろう日本」というキャッチフレーズが代表するように、勇気を持って前向きに生きる力を与えようとする動きが伝わってくる。しかし、悲しみと向き合い、分かち合うことも、このような悲劇に見舞われたときは、前向きにがんばることと表裏一体であるべきだと思う。黙祷をささげる場面などがメディアで伝えられてはいるが、どうしても片側(「前向きに」の側)だけが強調されすぎる状況になっている。

自分がこのように感じているということは、今の状況では日本人の多くにとっても同じだろうと思った。Holy Landのような音楽が今、必要だ。同じ役割を果たすものは音楽の他のジャンルや、音楽以外の芸術でもあるだろう。また、すでに活動しているアーティストも多くいるだろう。自分がHoly Landに出合ったのは偶然だが、それがジャズの曲で、自分が歩いていける距離に10年余り付き合いのあるHot Houseというジャズライブの店があり、松井節子さんという大ベテランのピアニストがいて、

そして、店のママさんがチャリティライブを開くことを予定している。それで、自分で楽譜を手に入れて持って行き、店のライブでもチャリティライブでも演奏してもらおうと思った。自分に音楽を演奏する技能があればいいのだが、そんなものはないから、そこはアーティストにお願いするしかない。楽譜を手に入れるのに費用はかかるが、自分にできることとして、そうしたお金の使い方もアリだろう。

この前、六本木で映画を見た帰りに銀座へ寄って、山野楽器とヤマハの楽譜コーナーで探してみたが見つからない。仕方がないのでネットで探すと、アメリカの出版社が出している"THE REAL BOOK - VOLUME 2 C Instruments"というスコアブックが見つかり、アマゾンのマーケットプレイスに出店している日本の販社が扱っていたので、そこで注文した。アメリカからの発送で昨日、ようやく届いたので今日、Hot Houseへ持って行った。

ここまで書いたことをママさんと松井さんに話し、店やチャリティライブでの演奏をお願いし、快く引き受けていただいた。スコアブックは自分が持っていてもしょうがないので「差し上げてもいいですよ。」と言ったが、それは遠慮されたので、所有権は自分のほうに置いたまま、無期限でお貸しすることにした。

チャリティライブと言っても、そんなに大規模ではないし(行徳文化ホールが会場だが、大きいホールではなく、1階の会議室のほう)、ごく限られた地域での催しだ。だから、Holy Landという曲が今の日本人に必要だと自分が思っても、やれることは限られている。あとは、まさにこのブログの日記に今、書いているように、こういう曲があることを発信するぐらいだ。

 

Holy Land だが、辞書で言葉の意味を調べると、聖地とかパレスチナとかが出てくる。でも、自分に取ってはあまり重要ではない。重要なのは楽曲それ自体だ。Holy Landのカタカナの表記は、この曲が収められていたCDの目録や解説書では「ホリーランド」となっているが、「ホーリーランド」という表記も多いようだ。一般的な言葉だから、ドラマのタイトルやいろいろな歌の歌詞などにも使われている。 

「BEST JAZZ 100 PREMIUM」に収められていたのは、アル・ヘイグ(Al Haig)というピアニストの演奏。1974年(昭和49年)に発売された「Invitaion」というアルバムの1曲目に収録されている。最初、
 holy land jazz
で検索したが、なかなか見つけにくかった。
 invitation al haig
で検索するとたどり着きやすい。iTunes Storeやアマゾンのサイトで検索すると、どちらもMP3版をダウンロード販売している。

そのアルバムのCD版はネットで探しても中古しかなかったが、やはり部屋のオーディオで聞きたいと思ったので買った。

アル・ヘイグは1982年(昭和57年)に58歳の若さで亡くなったとのこと。CD付属の解説書によると、あまり商業ベースに乗った演奏はせず、自分の音楽を追求するピアニストだったということで、アメリカでは人気はなかったが、イギリス、フランス、日本で人気があったということだ。亡くなったのが29年前、アルバムが37年前、アメリカで人気がなかったということで、演奏した曲も今はマイナーである理由がようやく分かった。

Holy Landを作曲したのはシダー・ウォルトン(Cedar Walton)というピアニスト。You Tubeで、
 holy land al haig
や、
 holy land cedar walton
で探すと、両者の演奏(音+静止画に編集したもの)が見つかる。

シダー・ウォルトンの演奏を聴いたら驚いた。同じ曲だから同じメロディが鳴っているのに、おどけた感じの演奏で、「いたずら小僧」という言葉が頭に浮かんだ。演奏者によるいろいろなアレンジを許す自由度の高さがジャズなのだろうけど、同じ曲がこれほど違って聞こえると言うのには正直、驚いた。だから、自分の心に響いたのは「アル・ヘイグのHoly Land」と呼ぶべきなのだろう。「BEST JAZZ 100 PREMIUM」に収められたのがアル・ヘイグのHoly Landだというのは、1974年のアルバムInvitationで日本人の、ジャズ好きな人たちの記憶に残ったからだと思う。

音楽でも、他の作品でも、一旦、生まれたものは一人歩きしてしまうところがある。作った人の思いは、それはそれとしてあるが、それとは別に、それが必要とされるところ、活きるところへ引力に引かれるように向かって行く。ベートーベンが第九交響曲を作曲したときにはそんなことは思わなかっただろうけど、日本人が年忘れの演奏会で聴いたり、合唱に参加することを好んでいる。「フランダースの犬」はイギリス人の女性作家が書いたベルギーを舞台にした物語だが、ベルギーでは少年と犬の悲劇は受け入れられずに忘れ去られ、日本人には愛されて広まり、日本からベルギーへ伝わった。

自然災害がまったくない国はないだろうけど、日本の国土は地震だけでなく、台風、高潮、火山の噴火、洪水、山崩れなど、人間の力でコントロールできない自然の力による災害が、相対的に多い。そして、毎年、そんな災害で多くの悲しみが生まれる。そうした風土だから、アル・ヘイグの心の奥底に秘めた強い情念を感じさせる演奏が受け入れられたのだと思う。そして、未曾有の大震災が起こった今、アル・ヘイグのHoly Landは日本人にとって

悲しみと向き合い、悲しみを分かち合って魂を慰め、そして、悲しみを背負って生き続ける力を得る-

音楽だと確信している。

今日はInvitaionのCDもHot Houseへ持参して、松井さんに聞いてもらった。でも、アーティストに他のアーティストのコピーをしてくれなどという失礼なことを言ってはいけない。なので、松井さんにはこうした音楽としての演奏を望むということを伝えてきた。


2011年4月18日(月)の日記

2011年04月18日 | 日記

午後に突然、くしゃみが出たりする。花粉症はずっと大丈夫。ということは、風邪でも引いたのかと思ったが、ひどくなってくるわけではない。どうも気温が下がってきて、鼻の粘膜が刺激されたようだ。天気予報が言っていた、寒の戻りが近づいてきたからだろう。帰りはたしかに空気が冷たくなっていた。明日の朝は荒天になるらしいが、それを考えると今からうっとうしい。

晩飯は天善かつ壱番屋ひれかつ、チーズメンチ、海老フライさくら定食を食べる。

しっかりしたものを食べて今日はダンベルエクササイズ。下半身メニューをやる。


2011年4月17日(日)の日記

2011年04月17日 | 日記

 4、5日前の週間予報だとこの土日は天気が崩れそうなようすだったのが、土日とも晴れ。昨日の予報だと今日は気温が急降下しそうなことを言っていたのに、それは明日になりそう。つまりは予報は外れがちになっている。でも、昨日も今日も前から考えていたように家で過ごして、録画して見ていなかった映画やDVDを見ることにする。行徳雑学館のトップページレポートも今週は休み。

午前中は、2月頃に録画しておいた分の残り1本の3時間ぐらいかかるやつを片付ける。そのあと昼飯に行く。バイパスの吉野家牛鍋丼お新香味噌汁のセット。

晩飯はスーパーの惣菜コーナーの弁当。それに缶ビールの350mlのを1本だけ飲む。

午後に見たのはデアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクションの2本。

ゴジラvsデストロイア」(1995年作品)と「ゴジラ×メカゴジラ」(2002年作品)の2本。

「ゴジラvsデストロイア」は大震災の4日後の3月15日発売で、買ったが今までそのまま置いておいた。「ゴジラ死す」がキャッチフレーズだった作品だが、ゴジラの死に方が、体内が巨大な原子炉であるゴジラの核反応が暴走し、メルトダウンするというもの。ちょうど福島の原子力発電所の状態がどんどんひどくなっていた時期だから、こういう内容の映画を見る気はしなかったし、ましてブログに書くこともためらわれた。原発はまだ片が付いていないが、もうそろそろ見ようかという気になってきたので、この前の火曜日(4月12日)に発売の「ゴジラ×メカゴジラ」と一緒に見ることにした。

2本の作品で自分にとって共通する要素は、実はヒロイン。

「ゴジラvsデストロイア」のヒロイン役は石野陽子だがそちらではない。自分が公開時に見に行く気になったのは、シリーズが一応、打ち止めだから見ておこうというのもあったが、1954年の最初の「ゴジラ」のヒロイン・山根恵美子役をやった河内桃子が41年のときを経て、同じ役で出演するというのがあったから。

こちらは1954年「ゴジラ」のときの河内桃子。

自分が生まれる何年も前の作品だから、見たのはテレビ放映。そして小学生の頃、東宝特撮映画をテレビ放映で見て、憧れを感じたヒロインが2人いたが、1人が「ゴジラ」の河内桃子。もう1人は「海底軍艦」の藤山陽子(2009年11月15日の日記)だった。

かつては、特撮映画や特撮・アニメの怪獣もの、ヒーローものに出てくる博士には、若くて美しく上品な娘がいるというのがお約束のようにあった(「海底軍艦」の藤山陽子の父親は博士ではなく、旧日本海軍の大佐だったが)。悪の組織や宇宙人などが娘をさらって博士を脅迫するという展開もお約束。多くの場合、母親は死んでしまっていて父娘2人きりで、家事もひと通りやらなくてはならないから、しっかりもののお嬢さん。そして、これが自分が憧れを感じた部分だが、父親を呼ぶときは上品に「お父さま」。

身近に父親を「お父さま」と呼ぶような女性はいなかったからか、テレビ画面でそういう言葉を発する女性には、思春期を迎える年齢になる前から憧れを感じていた。

1984年「ゴジラ」から「ゴジラvsデストロイア」までのシリーズでは、「ゴジラvsビオランテ」の鈴木京香、「ゴジラvsメカゴジラ」の中山忍という、端役で出た女優のほうに興味が行ってしまった。

1999年からのミレニアムシリーズは、劇場で見たのは最終作の「ゴジラFINAL WARS」だけで(2004年12月4日の日記)、あとは大部分が一昨年(2009年)の1月に日本映画専門チャンネルで放映されたときに初めて見た。するとその中で「ゴジラ×メカゴジラ」の女性主人公役をやった釈由美子が、なかなかのヒロインぶりだと思えた。

バトルスーツ姿も決まっている。

メカゴジラ・機龍は遠隔操作メカとして作られたが、ゴジラとの戦いで遠隔システムが壊れたため、最後はヒロイン自ら乗り込んで操縦し、ゴジラを撃退。戦うヒロインとしてもなかなかのもの。

戦うヒロインは2000年の「ゴジラ×メカギラス G消滅作戦」でゴジラ攻撃隊長役をやった田中美里もいる。田中美里という女優のキャラクターも戦うヒロインに向いていると思えたが、メカギラスの卵を持ち帰ってしまった少年との会話で、
「お姉ちゃんは女の人なのにどうして戦うの?」
などというのが出てくる。戦う女性主人公はアニメだと古くは1984年に「超時空騎団サザンクロス」があった(2010年6月4日の日記2010年5月15日の日記)。それから16年後の作品でまだこんなことを言わせていた。東宝という大きな映画会社だから老人が多い=頭の古い人間が多いというのが見えてしまい、興ざめしてしまった。

「ゴジラ×メカゴジラ」というと、もう1人印象に残った俳優が宅麻伸。1984年「ゴジラ」では1970年代風長髪の若者だったが、その18年後はすっかりお父さんの役になっていた。(目を閉じてるところが写ってしまった...)

妻に先立たれ、娘を1人抱えたロボット工学の科学者で、メカゴジラプロジェクトのために娘と一緒に自衛隊基地に住居を貰って移り住む。そして、プロジェクトの中でもちゃんと分をわきまえて行動するのが印象に残った。

そんなことがどうして印象に残ったのかというと、やはり2009年の1月に放映された1984年「ゴジラ」を見たら、そこでの役があまりにひどかったから。漁船でアルバイトをやっていた大学生で、巨大フナムシに襲われて、ただ1人生き残るというかたちで事件に巻き込まれていくという役。研究室の教授が開発したゴジラ誘導装置の中枢部分を受け取りに、研究室がある新宿の超高層ビルへ自衛隊のヘリに同乗して向かうのだが、自らロープで降下して、ゴジラ来襲のために地上へ降りられなくなった研究室へ窓を突き破って入る。そして、教授をまずヘリに載せ、次に装置を入れた旅行鞄ぐらいの運搬ケースを持ってヘリに戻ろうとすると、ビル風にあおられて、ケースの取っ手をもったまま振り回される。観客をハラハラさせる場面のはずなのだが、そのちょっと前の場面で、床に置かれたケースにショルダーストラップが付いているのが写っているのだ。一昨年の放映でこれを見たときは、「ショルダーストラップに首を通して、身体に斜めにかけろよ!」と突っ込みたくなった。だいいち、巨大フナムシと戦って生き残った身体能力があるとはいえ、特別な訓練を受けたわけでない民間人にどうしてこんな危険なことさせるのかとも突っ込みたくなる。さらに、驚くべきは、三原山の噴火口そばまでゴジラを誘導し、足元を爆破して噴火口に落とす作戦なのだが、自衛隊を無視して教授と学生で勝手にスイッチを押してしまう。これには唖然。

自衛隊という戦闘のプロ集団で、強い統制が利いた組織の人間ばかりが主人公だとワンパターンになるし、作劇の自由度も少ないから、民間人を主人公にすることも多いのだろうけど、1984年の「ゴジラ」については脚本がひどいとしか思えない。

1954年「ゴジラ」の主人公・尾形秀人(宝田明)は南海サルベージという沈没船引揚げ会社の社員であることを序盤で示し、大戸島の災害調査に向かう船上では船員帽姿を見せ、さらに芹沢博士(平田昭彦)がオキシジェンデストロイヤーを海中で起動させるために潜水服を着て海に潜ると言い出したときには、「素人のあなたを1人で海に放り込めない」というセリフを言わせることで、海で働くプロであることが観客に分かるようにして、違和感を生じさせない工夫をしている。

「ゴジラvsデストロイア」でもうひとつ、印象に残った場面。

アメリカのゴジラ研究機関との画像通信場面での、字幕スーパーのセリフに「インターネット」という言葉が出てくる。しかし、単なる手段でしかないインターネットのことを殊更に言及する必要があるのかと、今なら思う。この映画の前年1994年から、「インターネット」という言葉も、インターネットの利用も急速に広まったのだった。だから、「インターネット」を強調するセリフが登場したわけだ。

「ゴジラvsデストロイア」は暴走する原子炉であるゴジラを、人間たちが必死で冷やそうとする話。「ゴジラ×メカゴジラ」で、ゴジラの影響で暴走したメカゴジラ・機龍が破壊した街を高台から見る場面が出てくるが、これは製作年代からすると阪神淡路大震災の影響が色濃く出ているのだろう。そして、終盤では、機龍にマイクロウエーブでエネルギーを伝送する電力が自衛隊の発電だけでは足りず、電力会社の協力を得て家庭用の電力を回す。つまり、舞台となった東京を含め関東一円が停電。夜の場面だったので、東京の街、そして空から見た関東平野の明かりがどんどん消えて行く。ついこの間の、東京電力の計画停電のとき、夜の時間の空撮映像で真っ暗になった地域が映し出されたのを思い出す。

今日見た2本のゴジラ映画は、今の東日本の状況をシミュレーションしたような内容に、図らずもなっている。シミュレーションが現実になったということは、もうシミュレーションはいらないということだ。まるで、今度の大震災がゴジラに止めを刺したように思えてきた。現実の大災害が、映画館のスクリーンで描かれる怪獣による災害を超えてしまった。

ゴジラ映画が二度と作られないとは断言はできない。でも、東日本大震災がゴジラの眠りをもっと長くするだろうことは確実だと思う。


2011年4月16日(土)の日記

2011年04月16日 | 日記

今日は2月から録画しておいて見ていなかった映画を、午前と午後で各1本ずつ片付ける。

昼飯は南行徳駅前へ。今日の昼間の気温は25度近くまで上がったらしく、シャツの上にセーターを着なくても十分なぐらいだった。

中華の福満溢のとなり、飲み屋のかるっかけが閉店したあとはこの前から工事が始まり、カレーチェーンのCoCo壱番屋が開店予定と看板が掛かっていた。もう開店したかと思ったが、まだ。開店は19日(火)とのこと。

そのとなりの駅に近い側のビルの1階にあったゲームセンターが閉店して空きになっていたが、ここも工事が始まった。工事期間の貼り紙はしてあって、4月末頃に何か店ができるようだが、どんな店かは出ていなかった。

シャッターが開いている部分に見える、ガラス戸の造りからすると、コンビニではないかと思えるが、果たしてどうか。

昼飯は南行徳メトロセンターのロッテリアで。

無印のハンバーガー骨なしデカチキンペプシNEX

夜はあびぃろぅどへ行く。第3土曜にライブをやっているというので、一度、行ってみたかった。ところが、店に近づくと、看板の明かりは付いているのに、正面の向かって右側はシャッターを下ろし、入口側も半分ぐらい下ろしている。

でも、中の明かりが付いていたので入って行くと、ライブの日は音が漏れるととクレームが来るので、このようにしているということだった。

最初は生ビール。

つまみは豚トロステーキ

以前、南行徳公園の北西側角のところにあった居酒屋源さんにちょくちょく行っていた頃は、豚トロが好物だった。源さんの豚トロは塩焼きだったが。引っ越してきたときから馴染みのオンドリ以外に、帰りや週末に気軽に寄れる、家に割りと近い飲み屋がもう一つか二つぐらいあればいいと思っていたが、自分にとってそうした店が源さんだった。源さんが閉店したあと、そうした店が他にないものかと思って開拓したのがあびぃろぅど。そのせいか、「豚トロ」という文字を見ると、ついつい反応してしまう。

午後8時になったらライブのステージが始まった。元プロとアマチュアによるバンド。なので、ミュージックチャージは発生しない。手前のギターを弾いている人の譜面台に、「JAZZ STANDARD」と書かれたスコアブックが置かれていたが、そういうジャンルの演奏をやっていた。

そのあとマスターが「歌謡曲部門」と言って、歌謡曲のCDにあわせてドラム演奏。

次のつまみはほたるいか刺身。それと芋焼酎ロック。マスターの演奏のときは照明も少しは落とす。なので、写り方が少し暗め。

演奏の合間に、マスターが
「サンダーバードの大きいのあるよ。」
とでかいサンダーバード2号を持ってきた。

店内の人目に付くところに置きたいそうだが、場所がないので、いつもは裏のほうに置いてあるとのこと。

次のつまみはのりピザ。飲むほうは芋焼酎ロックのあとは麦焼酎ロック。そのあとはグレープフルーツハイ。

どうも、前回来たときと同じようなものを注文している。

きょうのあびぃろぅどは馴染みのお客さんたちでカウンター席だけでなく、テーブル席もいっぱいになった。初めて行ったときからもう半年だが、これまでテーブル席に人が座っているのを見たことがなかった。さすがにライブの日は人が来るようだ。あびぃろぅどと同じ並びに民謡酒場よさこいがあるが、こちらは今日は人が入っていないようだった。

店によってお客さんの入り方が違うようだ。 

今日の暖かさは特別で、早くも明日は季節が少し逆戻りするということ。最高気温は約10度下がるらしい。体調を崩さないように要注意。


2011年4月15日(金)の日記

2011年04月15日 | 日記

少し前のオーディオ・ビデオ関係のニュースで、特撮テレビシリーズ「ウルトラQ」のカラーライズ版のブルーレイ/DVDが発売されるというのを聞いた。「ウルトラQ」はモノクロで作られた作品で、それを最新のデジタル技術で色を付けるというもの。でも、このニュースをを聞いたときは、自分の中にある「ウルトラQ」の思い出が、安直な塗り絵で壊されてしまうのではないかという恐れがまず頭に浮かび、なんとも言えぬ嫌悪を感じた。自分と同年代でそんなふうに感じた人は少なくないと思う。

今日、朝の番組のエンターテイメントコーナーでカラーライズ版「ウルトラQ」のことが取り上げられ、カラー化された映像も流れた。製作には2年を要し、当時、カラーで写されたスチル写真などを調べ、番組の関係者へのインタビューを行い、可能な限りオリジナルの色を再現したという。そして、流れた映像は緻密な職人仕事で色を付けたものだというのが一目で分かった。そうなると、がぜん、興味が湧いてきた。これは「買い」だと思えてきた。

でも、発売日はまだ少し先。ボックスもので2つに分かれて、最初のが8月終わりごろの発売予定。残りのもう一つは来年の1月下旬とのこと。まだしばらく考える時間はある。

さて、今日は会社の宴会。年度替りで多少は人の異動もあったのでその歓送迎会。


2011年4月14日(木)の日記

2011年04月14日 | 日記

木曜日にはよくあるパターンで仕事も小康状態。なので、帰りも早め。

晩飯は大谷亭へ行く。久しぶりのように思えたが、前に来たときを検索すると2月中旬で約2ヶ月ぶりだった。

ロースカツ健康食を食べる。

しっかりめに食べて今夜はダンベル。上半身メニューをやる。

明日の仕事をすれば週末だが、土日の天気はあまりよくなさそうだ。


2011年4月13日(水)の日記

2011年04月13日 | 日記

先週末ぐらいの忙しい状況は切り抜けたが、新年度は次々にやることが出てくる。当然、ヒマなのよりはマシだが、1日中、マウスにキーボードの操作をしていたら、両腕とも変にだるくなってきた。ストレッチでもしたほうがよさそうだ。

晩飯はなか卯。震災のあと、材料調達ができなくて販売中止になっていた坦々うどんが復活していた。いろんな外食チェーンで中止メニューが再開しつつあると、新聞にも記事が出ていた。

せっかく復活したのだから、坦々うどんを食べる。


2011年4月12日(火)の日記

2011年04月12日 | 日記

昨日の週初日のだるさも取れ、先週からの忙しい仕事も一段落して、今日は遅くならなかったので帰りに飲んで行く。

浦安で降りて番屋へ行く。大震災以降、まだ来ていなかった。

お通しと生ビール。浦安の元町地区はほとんど被害は出なかったということだし、この店は建物の1階にあるので、キープのボトルや食器類が割れたということは全然なかったとのこと。

串焼きで、右から鶏のもも、砂肝、なんこつ、皮

ビールのあとは焼酎にして、まずは米焼酎の白水。食べるほうはまぐろほほ肉のステーキ

そしてほたる沖漬け。もちろん、「ほたる」とは蛍ではなくほたるいかのこと。2杯目の焼酎は麦焼酎の一番札

おすすめメニューを見ると、「きんき 350円」とあった。きんき鯛が350円であるのかと思ったが、聞いてみると小さいきんき鯛の塩焼とのことだった。

焼酎はもう一杯。芋焼酎の番屋カメ仕込み。締めの食べ物は韓国チヂミ

3月の大震災以降、やっぱりお客さんが減っているということで、今、月~木は串焼き類を半額にしているということ。

 店長の耕ちゃんは今日は交代休みの日でいなかった。店のおねえさんと話したら、つい1週間ぐらい前が耕ちゃんの誕生日だったらしい。今年で50歳になったとのこと。それを聞いて驚いた。50歳ということは1961年(昭和36年)生まれ。自分も1961年生まれで50歳になったばかり。自分のほうは早生まれだから、耕ちゃんとは小中学校の年次では1年上になる。だけど、誕生日からすると大して変わらない。耕ちゃんがあと数日、早く生まれていたら、同じ学年だ。

湊新田で焼鳥の耕をやっていたころから、自分よりは何歳か年上だと思っていた。外見からするとそうとしか思えなかったから、ほとんど同じ年齢というのには驚いた。


2011年4月11日(月)の日記

2011年04月11日 | 日記

週初日はたいていだるいけど、今日は昼飯を食べたら、だるさが増した。すると、夕方に打ち合わせの最中、地震が発生。震度は4ぐらいだったらしいが、会社のオフィスフロアは揺れがなかなか治まらない。超高層ではないが、一応は高層ビルの上のほうの階だから、家よりも揺れる。

今日で震災からちょうど一ヶ月。その日に余震だろうと思うが地震なんかが起きる。先週、木曜日夜にも最大級の余震があったばかり。夕方の揺れにはさすがに「またか!」と、うんざりした気持ちになった。週初日のだるさも手伝って、地震という身の危険を感じさせるものが起きても、今回はテンションは上がらず、逆に低下してしまった。

土曜と日曜は家にいる時間が多かったわりに、食べるものはしっかり目のものが多かった。おかげで今日は食欲も低下。帰りは軽いものにしようと、南行徳を降りてから今井橋通り沿いにあるそばのゆで太郎へ。店内の照明を減らすことはしていなかったが、やはりチェーン系の店は入口の上の大きな看板の照明は消していた。

野菜天もりを食べる。

帰りの時間には雨が降ってきて、これが冷たい雨で気温も低下。明日は短い寒の戻りということ。