行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年4月10日(日)の日記

2011年04月10日 | 日記

朝飯を買いに行くときに県議選の投票もやってくる。朝飯はこの2月末に初めて入ったホームベーカリーのホシナでパンを買う。

焼きりんごデニッシュ辛口カレーパンミニ野菜コロッケロールの3つ。

辛口カレーパンは前も買ったが、辛さが気に入った。

昼頃にカメラを持って今年の桜を写しに行くが、途中、インド料理のボンベイパレスで昼飯。ランチメニューが前とは変わっていた。マハラジャセットというのを食べる。まずはサラダとスープが来る。

カレーは数種類から選べるがチキンマサラにした。

毎年、花見の宴会で賑わう行徳駅前公園に行く。ニュースで震災以後、ホテルの宴会や旅行がどんどんキャンセルされて、世の中は自粛ムードがやたらと漂っているというから、公園はどんなふうかと思っていたら、例年と変わらない人出。

それに今日はミニSLの運転日なので、その人出も加わっていたようだ。

トップページのレポートにも書いたが、都内やそのほかの花の名所へ行くより、地元で花見をしようという人が多かったのではないかと思う。上野公園などでも宴会の自粛を呼びかけていると報道されていたりする。それに震災から明日でちょうど1ヶ月。縮こまっていることにいい加減、疲れてくる頃だ。

自分の道徳観からすれば、今度の大震災クラスの災害が起こったときは、3ヶ月ぐらいは公園でも道路、堤防など公(おおやけ)の場所で、バカ騒ぎ、あるいはバカ騒ぎにつながるようなことは慎むべきと思ってしまう。大声でおしゃべりをしたり、笑い声を上げて、葬式をやっている家やお寺や会館の前を歩くのと同じようなものだと思うからだ。3ヶ月というのは世の中の一般的な周期で切りのよいところというのもある。会計年度だと四半期。病気の治療をするとき、体の病気でも心の病気でも3ヶ月というのが一つの区切りと聞く。人間の身体の細胞が新陳代謝で全部入れ替わるのが3ヶ月。なので、筋力トレーニングをやってある程度の効果も出てくるめども3ヶ月。そういうことから、3ヶ月というのは一つの区切りと思っている。ものによっては半年や1年というものあるだろうけど。

でも、道徳観というのも育った時代や環境に影響されることも多い。親から受け継ぐ部分も大きいが、親もその親もまた育った時代や環境に影響されてきたものだ。世の中の道徳観は共通するところも多いだろうけど、細かなところまで同じにはならない。自分の道徳観も、今の時代の一般的なものと比べても古くなっているのか、マイナーなものなのかもしれない。今日の駅前公園の賑わいを見たら、そう思えてきた。

ただし、自分の行動は自分の道徳観にしたがってやり、他人に強制はしないが、逆に他人からも強制はされない。50年も生きていると、こういうところはどんどん頑固になっていくようだ。

もっとも、自分は大人数で騒ぐ宴会は好きでないし、桜の季節でも他の季節でも、そのときの街の姿を記録するようなことが性に合っている。毎年、そうしてきて、今年も結局、同じようにした。
行徳駅前公園からさらに妙典方面へ向かって桜が咲いている様子を写し、最後は妙典公園まで行って戻ってくる。

ちなみに行徳駅前公園の花見の様子はどうだったかというと、行ったのは午後1時台で、賑わってこそいたが、バカ騒ぎという状態ではなかった。やはり、大震災のあとということで、抑制が効いているところもあるのだろう。そのあと、さらに酒が回った人が増えていって、どうなったのかまでは知らない。

家に帰って写してきた画像で行徳雑学館のトップページレポートを作って、夕方までにUPする。

晩飯はラーメンのめん組

晩飯はあっさりしたものを食べたいと思ったので、塩ねぎらあめんにする。

明日からまた仕事。金曜日に手間取った仕事の続き。若干、気が重い。


2011年4月9日(土)の日記

2011年04月09日 | 日記

数日前と比べたらずいぶん暖かくなって、朝夕の時間にちょっとコンビニに行くときもシャツの上にセーターぐらいで行けるようになった。暖かいのはいいにしても、今日は強い南風が吹いて、弱いが雨も降る荒天。ほとんど家で過ごし、午前中から録画しておいて見ていなかった映画を片付ける。午前と午後で計3本。2月中旬から3月初めにかけて録画したもので、震災のあとは録画してあったこともほどんど忘れていた。

昼飯は今井橋通り沿いにある中華の三龍亭

チャーハン唐揚げセットを食べる。

夜はジャズライブのHot Houseへ行く。

今夜はピアノが松井節子さん。

ベースが佐々木悌二さん。

そしてドラムスが渡辺文男さん。

渡辺文男さんは今夜、演奏された曲の一部ではマイクを手にボーカルもやった。

お客さんたちの会話で、新宿へ行ったら街に全然元気がないという話が聞こえた。でも、Hot Houseは、今夜は特に名ドラマー渡辺文男さんのファンも加わって元気一杯の空間になっていた。

ママさんに「何かリクエストはない?」と聞かれたので、ここ半年あまり、自分の好きな曲になっている「あなたと夜と音楽と」をやってもらった。

ママさんが計画していた震災被災地への義援金を集めるチャリティライブは、最初はできれば4月中にと思っていたそうだけど、場所の都合がなかなかつかず、6月12日(日)に行徳文化ホールI&Iの1F会議室を借りてやることになったとのこと。出演者、時間など詳細について、近々にHot Houseのホームページに掲載するそうだ。

行徳雑学館のトップページの地域のイベントリストに掲載して協力すると約束しているが、あまり早くから載せると間延びしてしまうので、祭りや地域イベントなどと同じように、4週間前を目途に載せることにする。


2011年4月8日(金)の日記

2011年04月08日 | 日記

天災は忘れた頃にやってくるというけれど、今回はまだ忘れてはいないが、「緊張感が薄れてきた」と日記に書いた途端に東日本大震災の最大級の余震が起こった。風呂から上がって身体を冷ましていたら揺れが始まった。自室での体感震度は3ぐらいだと思ったが、長く続いてなかなかおさまらない。これは震源ではかなり大きな地震ではないかと思ってテレビをつけると、やはり東北方面での地震だった。約1ヶ月経ってちょっと落ち着いたときに、まさに虚を突くような余震だった。

しばらくテレビをつけっぱなしだったので、またも寝る時間が遅くなって、今日は寝不足気味。

新年度で、会社の上のほうや社内へ出す資料をいろいろと作るが、ここのところの不景気とさらに震災も加わって厳しい状況だから、資料もそういうことを強く出さないといけない。ダメ出しがあったりして修正、再作成が続き、午後7時半過ぎまで会社にいる。

くたびれたが、休日出勤はしなくていい状態になったし、週末だから帰りは飲んでくる。南行徳を降りて、居酒屋オンドリへ。

最初は中生。そしてハムカツ

次は釣りアジの刺身。ビールの次は地酒でまずは相模灘

2杯目の地酒は日高見。そして、酔っ払いどりの冷製

締めは揚げ出し豆腐とライムハイ。


2011年4月7日(木)の日記

2011年04月07日 | 日記

ぽかぽか陽気になってきたからか、家に帰ってくると眠気を感じる。3月ぐらいからは「春眠暁を覚えず」の時期になるが、今年はならなかった。大震災のあと電車が間引きになったあたりから、目覚ましを5時30分に鳴らすようにして、今も続けている。おそらく、緊張感が続いていたのでならなかったのだろう。だけど、電車の混み方も通常になってきたし、震災から時間がたつほど緊張感も薄れてきた。すると、「春眠暁を覚えず」が例年よりも遅れて出てきて、朝も布団から出るまでに時間がかかるようになってきた。夜も早く眠くなる。

夏に電力不足でサマータイムが導入されるかどうかは、まだ分からないが、いずれにせよ、せっかく早めに活動開始できる生活習慣が身に付いてきたのだから、今後も続けることにする。その代わり、床に着く時間は30分早くしないとやはりしんどい。

晩飯はなか卯。この前、登場した豚カルビとんこつうどんはライス、つけものとセットにした定食メニューもある。今日はその豚カルビとんこつうどん定食

そして、今日はダンベルエクササイズで下半身メニュー。


2011年4月6日(水)の日記

2011年04月06日 | 日記

今日は仕事も一段落かと思っていたが、昼からいろいろとごちゃごちゃしたものが入ってきて、1時間半ぐらい残業。どうも、頭がボーっとしてきた。睡眠を多めに取ったほうがいいだろう。

南行徳駅の改札そばに去年の秋頃に設置されたが、ずっと工事中だった情報ディスプレイが、今日、稼動していた。会社最寄駅でも同様だった。前に新聞で3月稼動予定と読んだ覚えがあるが、遅れたのはやはり地震のせいか。

さっそく、半蔵門線運転見合わせの情報が表示されていた。

晩飯はラーメンのえじそん。食べたのは梅じそ塩らあめん

店員がおらず、マスター1人で切り盛りしていた。レギュラーメニュー以外のものも種類が減っていた。これも、地震で外食離れが起こったためか。でも、今日は自分がいた間、他には6人か7人お客さんがあったから、ガラガラというわけではなかった。


2011年4月5日(火)の日記

2011年04月05日 | 日記

年度始めと月初の密度の高い仕事は今日も続く。でも、今日がピーク。明日からはもうちょっと落ち着いて仕事ができるだろう。天気のほうも明日からは暖かくなりそうだから、コートを着て行くのもおそらくは今日で終わり。あとはよほど強い寒の戻りでもなければ、次の冬まで着ることはないだろう。

晩飯はやよい軒ステーキミックス定食

しっかりと食べて今日はダンベル。上半身メニューをやる。


2011年4月4日(月)の日記

2011年04月04日 | 日記

寒の戻りは続いて、風も強めだったので今日もコートを脱げなかった。明後日ぐらいには暖かくなりそうだ。

新年度でいろいろと変わることがあるので、今日は問い合わせが多くて、その対応に時間が割かれる。それに加えて、いろいろとデータを取りまとめたり、資料にしたりといった仕事。残業はそんなに長くはなかったが、仕事の密度がずいぶんと高かった。

昨夜が寝た時間がちょっと遅かったので、午後からだるくなってくる。帰ってから、昨日買ったCDをiTunesにインポートしてiPodに入れて、少し聞いたら、たちまち眠くなってきた。じゃあ、もう早めに寝ることにする。

晩飯はなか卯きつねうどんライスつけもので"勝手にきつねうどん定食"にする。


2011年4月3日(日)の日記

2011年04月03日 | 日記

映画を見に六本木ヒルズのTOHOシネマズへ行く。朝からどんよりと曇っていたので、東西線地上区間で車内の蛍光灯は付けていた。

都内の繁華街だからだろうけど、映画館はなかなかの人出。

3月初めに「英国王のスピーチ」を見に来たとき、予告編が印象に残った「イリュージョニスト」を見に来た。上映劇場は少なく、関東は今のところ六本木と立川の2ヵ所だけ。上映スクリーンは「スクリーンいくつ」という名前のところではなく、「ARTスクリーン」という100席ちょっとの小さいところだった。

座席の配置はスタジアム型だったが、座席自体は前に来たときのような大きなヘッドレストがあるタイプではなく、昔からの東宝の劇場にあるような赤い色の、背もたれが少し低めのものだった。

今回、50年、生きてきて初めての体験をした。映画館で機器トラブルで上映中断。本編の上映が始まって20分ぐらいたったときに、突然、スクリーンが真っ暗になった。一瞬、今日の寒の戻りで暖房の電力需要が急増したために、広域停電になったのではないかと思った。でも、すぐに館内の照明が付いたので、そうでないと分かった。予告編のときもなかなか始まらず、5分ぐらいたって開始した。このときも映写機トラブルだったらしいが、予告編の最初はCMが流れたりするから、テレビのCMが一時は「AC」ばかりになったのと同じように、広告主の企業が自粛しているのかと思っていた。

大震災が起こって間もない時期だから、上映が急に中断したぐらいで騒ぐ人もおらず、みんな冷静だった。照明が付いて、1,2分経ったら係員が来て頭を下げて、映写機トラブルなので10分程度中断すると告げると、ある程度の人は表へ出て行った。再開時にはほとんどの人が戻ってきたみたいだから、単にトイレや、外の空気を吸うためだったのだろう。へそを曲げてそのまま帰ってしまった人も2,3人はいたかもしれない。上映終了時にはスクリーン出口のところで、お詫びのしるしとして特別招待券が配られた。

9月末まで有効で、無料で1本見ることができる。それまでに見たいと思う映画が六本木ヒルズのTOHOシネマズに掛かったら、使うことにしよう。ただし、チケット売り場でチケットと引き換えという形で使わないといけない。ネット予約では使えないから、そのときは余裕を持ってこないといけない。今日もチケットカウンターには長い列ができていたから。

イリュージョニスト」だが、アニメとしてはこれまで自分が見たことがない雰囲気を持つものだった。自分の年代は10代の頃に、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」のブームがあった年代だが、自分もここ10年あまりはアニメはほとんど見ていない。数年前に、土曜の夕方に「地球へ」をやっているのを見ていたぐらい。今作られているアニメはデジタル技術をどんどん取り入れているのだろうけど、「イリュージョニスト」はデジタルの部分がいかにも「使いました。」というような鼻に付くこともなく、作品世界を作るのに効果的に使われていた。

しかし、デジタル技術を使うことで、乗り物・・列車、自動車、船などの動きが、実に自然だ。特に奥のほうから手間に動いてくるとか、あるいはその逆とかが、無理なく大きくなってきたり、小さくなっていったり。30年ぐらい前のアニメとは大違いだと思えた。

物語のほうは、時代設定が1950年代の終わりごろ、世の中が急激に変わって行った時代に取り残されてしまった手品師-タチシェフ氏が主人公。時代に追い抜かれて居場所を失って行く悲哀が伝わってくる。自分も50歳という年齢では、タチシェフ氏のほうに近い。変化が激しいIT業界では、次々に出てくる新しいものをキャッチアップしていくのも難しい年齢だ。だから、見ているとしだいに身につまされる気持ちになってきた。

映画のあとに昼飯。六本木ヒルズの日比谷線連絡口近くにあるthe pantryというグルメバーガーの店へ入る。

××バーガーというのもいろいろとあったが、今回は無印のハンバーガーにした。それとオーガニックホットコーヒー。ハンバーガには標準でフレンチフライポテトが付く。

帰りに銀座へ寄ってみる。歩行者天国も再開されていて人でも多かった。寒の戻りでなければ、もっと人出が多かったのではないかと思う。

大震災で多数の犠牲者が出たからといって、ずっと自粛、自粛をやっていては経済の血の巡りが止まって、結果、自分で自分の首を締め、被災地へもお金が回っていかないというようなことを、いろいろなメディアで言っているから、繁華街へ出て行こうと思う人が多いのかもしれない。公の場所で羽目を外しすぎるようなことは、控えるべきだろうけど。

自分もせっかく銀座へ来たから、なにかお金を使おうと思ったら、山野楽器の店頭でこんなCDを売っていたから買って帰る。

去年買った、ジャズのベストアルバムの続編。

晩飯はバイパスの吉野家へ行って、並牛丼とコールスローとお新香のセット

明日の寒の戻りの続きでまだコートはいりそうだ。


2011年4月2日(土)の日記

2011年04月02日 | 日記

冬の一番寒い時期に着ていたウールのコートは今日、クリーニングに出す。でも、明日からまた寒の戻りになるようだから、それ以外のはまだ。 

この週末の行徳雑学館のトップページレポートはどうしようかと考えた。計画停電は気温があがって中止となる日が続いているが、節電はずっと続いているから、そのことを取り上げることにした。スーパーやコンビニは中で写すのはだめだから、外から写したものになる。あとは公共機関や鉄道など。夏の電力不足は確実といわれているから、節電はまだまだ続く。

でかけて、まず昼飯。行徳駅近くのオ・カステロは2週間ぐらい前に、食材が入荷しないから3月末まで休業と貼り紙が出ていた。もう再開しているか気になっていたので行ってみると、ちゃんと再開していた。

入ったのが午後0時を少し回ったぐらいで、最初は空きテーブルがあったが、次々にお客さんが入ってきて満席近い状態になった。

パスタランチを食べる。まず、前菜4点盛りが来る。ドリンクはアイスティーを選んで、先に持ってきてもらった。

パスタは4種類から選べたが、鰆と春菊のペペロンチーノ

これで1,000円。お得感のあるランチだから人気があるのだろう。

行徳支所へ行ってみたら今日は休み。その向こうの行徳文化ホールI&Iへ行ってみる。でも、ここのロビーはガラスを多く使って外光を取り入れる省エネの造りになっているので、あまり節電という感じではない。天井からのスポット照明を一つおきにはしていたが。

1階の会議室では、倒産処分セールというのをやっていた。倒産した問屋や小売の商品を集めてのセールらしい。

入ってみると、スポーツ用品が多かったが、ネクタイやベルト、ビジネスシューズも売っていた。定価4,900円のネクタイが800円で売っていたので2本買った。

少し行徳駅のほうへ戻って行徳図書館へ。閲覧室の照明は通常通り。たしかに、明かりを減らしたら本が読めなくなって困る。節電はエントランスやエレベーターホールなどの減灯でやっていた。

電車で妙典へ行く。昼間は車内の明かりを消していると思っていたら、点けていた。

この2、3日前から、蛍光管自体を外して間引くようにしているから、そのやり方に替えて、昼間の消灯はやめたのかと思った。

でも、帰りの電車は、蛍光灯の間引きもしていたが、消灯していた。行きのときは雲が出ていて日が隠れていた。だけど、妙典にいる間に晴れてきた。天候によって柔軟な対応をとっているようだ。

江戸川放水路へ行ってみる。地震のときは係留してあるつり舟が転覆したということも聞いたが、今は特に変わりなし。妙典公園や妙典小学校前は、春休みの時期でしかもぽかぽか陽気なら、もっと人出もあって、バーベキューなどをやる人たちがずらりと並ぶ。でも、今は自粛しているのだろう。バーベキューをやっている人がいないというわけではないが、ふだんよりもずっと少ない。

自分としては、こういう時期に酒を飲むなとか、仲間で集まってバーベキューをやるなとか、そういうことは思わない。でも、野外という公(おおやけ)の場所でやるのは違うと思っている。酒と材料を買ってきてバーベキューをやって飲めば、たしかに経済を沈滞させず、お金を還流させるには貢献するだろう。でも、多勢で集まって酒を飲めば、どうしても浮かれてきてドンチャン騒ぎになってしまう。悲しいかなそれも人間の性質。今の時期の屋外のドンチャン騒ぎは、葬式をやっている前をワイワイガヤガヤと通るようなものだ。
「ものはやりよう」
という言葉があるが、野外という場所でやることは必須ではない。別に家でもできるし、酒と材料を買ってくる代わりに、バーベキューをやっている店でも、焼肉屋でも、代替手段はある。

堤防から江戸川放水路下流を見る。妙典橋の工事は進んでいるようすだった。

南行徳まで戻り、家に帰って夕方までにトップページレポートを作ってUP。そして、この日記のここまでの部分を書く。

夜はあびぃろぅどに行く。

最初は中生。

今日はおすすめメニューが多かった。その中からまずはとんとろステーキ

ビールの次はグラスワインの白にして、食べるようはほたるいか刺し

グラスワインの白はもう一杯飲む。食べるほうはとろろの磯辺揚げ

締めはのりピザ。グラスワインは赤にする。

マスターとママさんの家は浦安の元町地区だそうだ。そして、この店で使う海苔は浦安で買った海苔だということ。すると、行徳雑学館の海苔に関するこちらのコンテンツの中のどこかの店かも知れない。

今日はカウンターがもうちょっとで埋まるぐらいのお客さんが入った。それで、マスターは料理が一段落したところでドラム演奏に入る

フラッシュを焚いたが、実際の雰囲気と違ったふうに写ってしまう。フラッシュを焚かず、カメラの設定を変えて写したのがこちら。マスターの顔がちょっとぶれているが、ほぼ実際の雰囲気。

最後は歌声も披露。

自分より後に入ってきた60歳代と思えるご夫婦。マスターが演奏する曲がロマンティックな曲になったときは、席を立ってダンスを始めた。やっぱりこの店のお客さんは個性的な人が多い。


2011年4月1日(金)の日記

2011年04月01日 | 日記

朝の駅には新社会人らしき集団が何組かいた。たぶん、独身寮からみんなで出社なのだろう。今は学生のときのノリでわいわいがやがやとやっているが、1ヶ月も経てば疲れてきて静かになる。自分が就職したときもそんな感じだった。

帰りは行徳駅まで乗る。行徳まで乗ったのはずいぶん久しぶりだという気がする。大震災という大きな事件があったから、そんなふうに感じられるのかもしれない。

今日はコートがいるかいらないかの微妙なところ。朝はやっぱり空気が冷たいから着ていったが、帰りの電車内では暑いと思った。日曜日は寒の戻りになるらしいから、まだ来週も必要になる可能性は大。

バイパスのがんこラーメンへ行く。

味噌ラーメンを食べる。

カウンター席の一番奥に座ったが、そばの壁にこんな貼り紙。
「4月2日から全メニュー自家製麺になります。」

横を見ると大きなマシンが置かれていた。これが製麺機のようだ。

明日来たら、何を食べても自家製麺となっていたのだが、じゃあ、今日はそうなる前の最終日。その最終日記念の食事となったわけだ。