行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2008年10月21日(火)の日記

2008年10月21日 | 日記

この前の祭りで写した画像を、日曜日にL版でプリントアウトしておいた。トップページレポートにした分+このブログに載せた分+αである。これを小さいフォトアルバムに入れておいて、毎年のことだが、なじみの店に行って、マスターやママさんに見てもらう。自分が写したものは、やはり人に見て欲しい。

今日の帰りは酒食倶楽部わいわい。当然、祭り写真のフォトアルバムを持っていって見てもらう。

飲み食いのほうは、まず生ビール。お通しはマグロの小さく刻んだのの煮込み。

食べ物の最初はとり刺し

ビールのあとは地酒で最初は翠露。食べるほうは平政のお刺身

そして、白子ポン酢。初物でやや高めだったが、おいしいから食べたい。

2杯目の地酒は国士無双の樽酒。食べるほうは青菜炒め

酒もう一杯と食べ物何かもう一品行きたかったが、飲みすぎ食べすぎを考えて今日はここまでにしておく。


2008年10月20日(月)の日記

2008年10月20日 | 日記

西日本のほうでは、最高気温がまだ25度超えで夏日のところもあるらしい。関東は22~23度ぐらいだが、歩くと汗ばむからまだ夏物スーツ。秋冬物への切り替えはいつ頃になるだろう。

今日は時間のかかる会議と、その後処理があったりして午後7時ごろまで会社にいる。晩飯は南行徳を降りてからやよい軒。先週末から始まった季節限定のかきフライ定食を食べる。

家に帰ってきたら徐々にだるくて眠くなってきた。一昨日のツーリングの疲れがちょっと後れて出てきたようだ。別に酒は飲んでいないが、今日は午後10時だというのに眠い。


2008年10月19日(日)の日記

2008年10月19日 | 日記

朝は8時ごろに布団から出る。洗濯ものの残り分と昨日のサイクリングウエアは今日洗濯。掃除やクリーニング出しも今日。

昼飯はお買い物自転車で今井橋近くのうなぎのそめやへ。

うな重は上を食べる。

南行徳駅前を通ってダイエー・ヤマダ電機へ行って買い物。

朝起きたときは晴天だったのが、10時を過ぎると徐々に雲が出てきて、ダイエーから出てきた午後1時半過ぎにはどんよりと曇っていた。昨日の勝浦・御宿あたりみたいな空になっていた。

朝目が覚めて、最初に見たテレビの天気予報では、高気圧が北に偏っているので吹き出す風は関東には海からの東風となり雲が出やすいと言っていた。昨日の外房の天気も同じようなものかも知れない。それが今日はもっと西まで広がったのだろう。

晩飯はにゃがにゃが亭へ。

じゃん辛らうめんを食べる。小さいご飯は一緒に付いてくる。

去年、初めて食べたときはあまりの辛さに、もう二度と食べることはないと思った。だけど、その後、じゃん味噌とか、じゃん味噌ベースのケーブルテレビとタイアップしたメニューを食べたりしてしたら、じゃん辛もまた食べたくなってきた。

昔、焼肉屋で初めてチゲを食べたときはあまりの辛さに二度と食べることはないと思ったが、その後、舌が慣れたのか平気になった。このじゃん辛らうめんも、辛いことは辛いし、平気でむしゃむしゃと具や麺を食べることができるようになったかと言えば、そんなことはないが、初めてのときのような恐ろしい辛さは感じない。舌にも学習能力のようなものがあるのだろう。

ただし、辛いだけに食べていると汗が吹き出す。この店のふつうのとんこつしょうゆは、1999年に開店したころはとんこつスープなのにあっさりしていることに感動したが、この前、食べるとどうも刺激が少なすぎるとしか思えなくなっていた。それで刺激の強いのがどうも食べたくなったようだ。


2008年10月18日(土)の日記

2008年10月18日 | 日記

いつも会社へ行く日よりも約30分早く起きる。洗濯物の半分がそれぐらいの時間に終わるように、ゆうべ洗濯機のタイマーをセットしておいた。

洗濯物を脱衣場に干してから、数ヶ月ぶりの折りたたみ自転車ツーリングに出かける。いつも会社へ行くときと同じぐらいの時間。 

茂原まで輪行してスタート。まずは大多喜を目指す。谷筋を蛇行しながら通る昔からの街道を走る。こんな緑の中を走るのは久しぶりという感じ。

約20キロを走って大多喜。大多喜城へと向かう。その途中で見えた夷隅川の渓流。

このお城の建物は正式には千葉県立中央博物館 大多喜城分館。前に君津から大原まで房総を横断したとき、冬至の時期で日が短いため見学を断念した。今回、ようやく見学してくる。まあ、せいぜい10分か15分という時間だったが。

大多喜城駐車場脇にみやげ物店や食べ物屋がある。その中のうどん・そばの店に入る。

メニューに黒米うどんというのがあった。それと、鹿南蛮というのもあった。珍しいから黒米うどん鹿南蛮にする。

黒米うどんは見た目はそばにしか見えない。だけど、食べてみるとうどん。むしろそうめんに近い。

鹿肉はけっこううまい。牛肉、豚肉、鶏肉などは子供の頃から日常的に食べているからどうとも思わないけど、鹿は外見がかわいらしい動物だけに、それを思い出さないように食べる。もし奈良公園の近くなんかに鹿肉を食べさせる店があったとしたら、ちょっと食べる気はしないだろう。

午後は御宿へと向かう。茂原から大多喜までは雲は多かったが、空は明るくて雲の間からは青空も見え、日も差していた。ところが、午後になると自分が向かう方向の空が、どんよりとした雲に覆われている。

このあたりは高いところが標高100数十メートルの丘陵が続く。道路が通っているのは100メートルに満たないぐらいのところ。いくつか丘のピークを越えて行く。勝浦市に入ったあたりで、どうも地面が濡れている。通り雨があったようだ。

御宿町に入るところは8%の勾配を上ったピークのひとつ。ここも地面が濡れていた。

午後2時ごろに御宿の海岸に着く。ここも空はどんより。どうも霧のような雨が降ったり止んだりという感じ。

御宿は前に来たときには急ぎ足で通り過ぎただけだったので、今回は青空の下でのんびりとポタリングしたいと思っていた。だけど、その気もなくなって帰ることにする。外房・南房総で鴨川や千倉、館山はどうだったかは知らないが、勝浦・御宿に関しては昨日時点の天気予報はハズレ。

走った距離は、自宅~行徳駅間の往復も含めて50キロちょっと。

電車で千葉まで戻ると、空は朝の茂原と同じような感じ。雲は多いが薄い雲で、切れ間から日も差している。南へ行くほど天気が悪いとは、昨日の天気予報が恨めしい。

帰って洗濯物を片付け、シャワーを浴びてから串揚げの喜多朗に行く。

最初はビール中生。運動した日のビールは最初の一口が最高にうまい。写真は、お通しサラダとお通し小鉢が出揃ったところ。

ビールの次は地酒。菊勇の三十六人衆梅錦のひやおろしを飲み比べセットで。

串揚げは8本コース。終わったらアラカルトでさわらなす。地酒を飲み終えた後は梅酒のサワー。

そのあともう2本、串揚げを食べて、「今日の一皿(100円)」を一品。

帰ってきたらけっこう回ってきた。


2008年10月17日(金)の日記

2008年10月17日 | 日記

月曜日が祝日だから4日で週末。

明日は晴天になりそうだから、ゴールデンウィーク以来の折りたたみ自転車ツーリングに行くつもりで準備をする。

梅雨時から夏にかけてはどうも行きたいという気がしてこなかった。BD-1を買ってから2~3年はいつもどこかに行くことばかり考えていたが、ここ3年ぐらいは以前ほど意欲が湧いてこなくなってきた。

飽きるということもあるのだろう。それに、徐々に梅雨時の湿気や夏の暑さが堪えるようになってきた。年齢とともにペースも落としたほうがいいようだ。

間が空くと出かけるにも心理的な障壁が大きくなる。つい、金曜日だから飲んで帰ろうかという気にもなってしまう。だけど、この週末は行けそうだ。今日は飲まなかった。それに明日の朝も多少、早くても起きられそうだ。

やはり、この前の祭りで気分がハイになっている。神輿を担いだわけではないが、1日追っかけて写真を写していたから、祭りの中に身を置いていた。祭りの場は気持ちをハイにする効果があるようだ。

晩飯はなか卯牛とじ丼小うどん


2008年10月16日(木)の日記

2008年10月16日 | 日記

土曜日まで晴天が続きそうなので、数ヶ月行っていなかったが、自転車で出かけられるように今日は整備する。整備といっても埃を拭いたり、タイヤに空気を入れたりだが。

晩飯はなか卯ミニ牛丼はいからうどん

それと、祭り画像のファイル名付け替えを継続。同じ場所で写したのは一回叩いて、コピー&ペーストして作業効率を上げているが、寝不足にならないように午後11時で一旦打ち切り。全部終わるのはもうちょっとかかりそう。


2008年10月15日(水)の日記

2008年10月15日 | 日記

帰りは行徳駅まで乗って、この前から気になっていた店に行ってみる。

酒食倶楽部わいわいの2軒となりに小川家という店がオープンしている。小川家というとかつては行徳の駅前のビルにあった割烹。そして店の一部を仕切ってうどん屋をやっていた。うどん屋は気に入ってよく食べに行っていた。

ところが2002年に割烹を閉めて押切に居酒屋ムーンライトとして移転。うどんのほうは種類が1種類に減ったが、メニューには残った。

先週の土曜日に関ヶ島と五ヶ町の宵宮を見に行くとき、前を通ると閉まっていて、小川家として移転したとの貼り紙。それで、今日、どんな様子か見に行ってみた。

ママさんは覚えていてくれた。うどんについてはこちらが聞く前に、移転でやめてしまったと言っていた。

それじゃあ、ふつうの居酒屋として飲み食いしようとまずは中生を注文。お通しはカニサラダ。

つまみは、まずまぐろユッケ

そしてあさりバター

中生は2杯飲んで次はレモンハイ。食べるほうは行徳っ子サラダというのを頼む。行徳らしくあさりとか海苔とかが入っているのかと思ったが、ふつうのサラダ。単にネーミングだけのようだ。

それと肉類も食べたかったので手羽焼

カラオケのテレビの上に見えるポスターは、相之川の今井橋近くにあるうなぎのそめやのマスターによるもの。前の小川家にもムーンライトにも飾ってあった。小川家のマスターとそめやのマスターは地元での昔からの友達同士ということだ。

移転して初めて来たので、ご祝儀のつもりでもう一品注文する。ぎんなんの塩焼。そしてレモンハイももう一杯。

入ったときは午後7時ごろだったが、さほど広くない店内のテーブルと座敷は地元のおじいちゃんやおばあちゃんたちで埋まっていた。カウンターは空いていたのでそこに座る。

しばらくするとおじいちゃん、おばあちゃんたちはカラオケ大会を始めた。今のお年寄りは、自分の祖父母の年代(明治生まれ)と比べても、とにかく元気だ。歌う曲目はというと、最初に歌ったおじいちゃんは五輪真弓の「恋人よ」だったが、やはりあとはほとんど演歌。

おじいちゃん、おばあちゃんのカラオケがひと段落ついた頃、自分も帰る前に一曲歌っていく。がちがちの演歌は知らないが、店の雰囲気にあいそうな曲で自分の好きなもので「酒と泪と男と女」。

ところでこの店の名前だけど、以前は「小川屋」だったような気がしていた。HPのコンテンツにも「小川屋」と書いていた。帰ってから、2001年の5月ごろ写した画像を見てみると、昔も「小川家」だった。

すると、ずっと勘違いしていたわけか。


2008年10月14日(火)の日記

2008年10月14日 | 日記

今日は「祭りの後」。それに加えて3連休明けの週初なのでけだるい気分。

だけど、身体はそんなにしんどくない。昨日の午後のほうがだるかったぐらい。確かに、脚はまだちょっとだるいが、上半身は平気。

じゃあ、今夜はダンベルエクササイズをやることにする。うまい具合に前回が下半身メニューだったから今日は上半身。

晩飯は松屋牛焼肉定食

帰ってからダンベルの前にやることがある。土日に祭りで写した画像ファイルの名前付け替え。内容(特にどの付近で写したということ)が分かるようなファイル名に変える作業に取りかかる。でも、写した画像枚数を数えたら、全部で626枚だった。今日できたのは4分の1弱程度。これもちょっとずつやっていかないといけない。

そして午後10時ごろにダンベルを開始。


2008年10月13日(月)の日記

2008年10月13日 | 日記

昨日はえらく疲れたように思ったわりに、今朝はいつもの平日に布団から出る時間に目が覚める。これは生物時計というやつか?

それで今日、布団から出たのはいつもの休日と同じぐらいの8時ちょっと前。朝飯のあとはトイレ掃除をして、それから夏物を衣装ケースに片付けて秋冬物のまだ出していなかったものを出す。スーツも気温が下がって夏物ではつらくなりそうなら、いつでも着ていけるようにしておく。

昨日と一昨日の祭りのレポートを作りたいが、いろいろとやることもある。

家の中のことをひと通りやってから、トップページレポートの作成開始。まずは写した画像から載せるものを選ぶ。昨日、一昨日の日記に使ったものと同じでは味気ないから、同じよ場面を写したものでも別画像にしたりする。他に適当なものがなかったり、いまいちのしかないときは同じ画像になったものもある。画像を選び終わって、縮小サイズのを作るのは昼には終わった。

自転車で妙典へ行く。金曜日に入っていた行徳新聞には、上妙典の八幡神社で祭礼があり、神輿が披露されるということだった。

旧成田街道から八幡神社へ入るところには飾り付けがあり、何かやっていそうな雰囲気。時刻は午後0時40分ごろ。

八幡神社にも飾りつけがしてあった。だけど、人の姿はないし(たまに来てもほとんど人の姿はないが)、神輿が披露されている様子は全然ない。周囲の街頭掲示板にもそれらしきことは掲示されていないし。

行徳新聞によれば、
「神輿が見られるのは、各日午前十時ごろから。十五日は神輿をしまう日なので、見るのなら十三、十四日が確実。」。
そして期間が「10月13日(祝)~15日(水)」と載っていた。

途中で下妙典(妙典三丁目)の春日神社にも陰祭りの飾り付けがされていた。八幡神社も確かに、陰祭りのような様子にはなっている。でも、それ以上のものは見られない。「行徳新聞」の記事は一体、何だったの?

 

がっかりして、昼飯を食べに行く。妙典へ来たのだから、バイパスのくるまやラーメンへ。

今回は味噌チャーシューメンを食べる。

行徳の西友で買い物をして帰り、トップページレポートの更新。3箇所の祭り合わせて画像が32枚になった。一つ一つコメントを考えてつけたが、推敲し終ってやっとUPしたのは午後5時半を過ぎたころだった。

午前中は元気だったけど、午後は疲れが出てきた。運動やエクササイズをしたあとの痛みが翌日午後から出るのと同じようなものだろう。

家の中のことで残っているものを片付けて、晩飯兼飲みに居酒屋オンドリへ。

昨日、一昨日の疲れが出ているし、日本酒はやめておきビールとチューハイ類だけにしておく。最初はビール中生。食べるほうは若鶏の唐揚げ

中生はもう一杯。次の食べ物はじゃがいものガレット

2杯目のビールが終わったらレモンハイにする。3つ目の食べ物は魚河岸豆腐。途中でレモンハイを飲み終わったので、次はライムハイ。

祭りで楽しい3連休も今日で終わり。でも、今日の月曜が祝日なので、今週の仕事日は4日で終わりだ。


2008年10月12日(日)の日記

2008年10月12日 | 日記

去年の四ヶ町と相之川の大祭は、駅で言えば行徳と南行徳の間という範囲なので1日歩きで回った。そのために、えらく疲れた。しかも、そのときの運動靴がややサイズ大きめだったこともあって足をしっかり固定しないから、こすれてまめが出来てしまい、ますます疲れてしまった。

今年は靴も変え、そして、できるだけ無駄な体力を使わないよう、午前中に関ヶ島と五ヶ町へ行くときは自転車で行く。

4時半起きして髭剃りなど身づくろいしたあと、6時からの本行徳一丁目渡御に間に合うように出かける。

本行徳一丁目の渡御は豊受神社神明宮前から開始。

一旦、寺町通りに入り、徳願寺向かいの田中染物店前(妙典三丁目との境界手前)で休憩に入る。こちらはそのタイミングで妙典駅へ行って、高架下のマクドナルドで朝飯。

戻ってくると、神輿は行徳街道に戻る途中。街道に戻ったら二丁目方向へ進む。

町から町へ渡すときは、舟橋大神宮の神主さんが祝詞を読むなどの儀式が行われる。

二丁目での最初の揉みを見たあと、関ヶ島へ向かう。宮出しは9時ということだったが、実際は9時半頃、まず胡録神社にある雌雄二基の獅子頭が町内をぐるっと巡行。後ろの胴体を表す布を子供があおる。

獅子頭が戻ってきて、10時20分頃に神輿渡御開始。

関ヶ島の神輿が休憩に入ったタイミングで、一旦、家に帰る。途中のコンビニでパンと缶コーヒーを買って昼飯とする。午前中だけで約250枚写しているので、画像をパソコンに移し、デジカメからは削除する。

午後はまず新井。神輿渡御は内匠掘の通りで昼休みになり、午後のが1時から開始なので、それにあわせて行く。今度は歩き。着くとまだ多少時間があったので、熊野神社へ行ってみる。

内匠掘りの通りへ戻ると風陣太鼓の演奏中。

内匠掘りの通りから出発して行徳街道に出る神輿を、新井新田バス停付近まで写しつつ、追いかける。

もう一度、関ヶ島と行徳五ヶ町へ行く。歩きは大変なので、新井新田から行徳街道を走るバスに乗る。関ヶ島はバス停がないので、伊勢宿で降りて歩く。

関ヶ島の神輿はバイパスのほうへ行って戻ってくるところだった。このあと、行徳街道に出るところまで追いかける。

行徳五ヶ町の神輿が本塩に渡るのについていき、渡御のようすを写す。本塩での渡御はこれまで、豊受神社の宮入のあたりしか見たことがなかった。写真は中台神輿前での揉み。

神輿が一旦、豊受神社前に到達するまでついて行く。宮入はまだ1時間半か2時間かかりそう。朝からもう12時間以上、ついて歩いたり撮影をしているので、自転車やバスを利用しても、いい加減疲れてきた。

昼飯のあと何も食べていないので、大阪焼の屋台でひとつ買って食べる。

これが、大阪焼。お好み焼きの小さいものという感じ。

だけど、大阪にいた頃には食べたことがない。お好み焼きやたこ焼きはふつうにある食べ物だったが。でも、大阪を離れたのがもう30年近く前だから、そのあとに登場したものかも知れない。いや、予備校のときまでしか大阪にいなかったから、そのくらいの年だと、大阪について知らないことはまだまだ多い。

食べたらもう、午後7時近い。そろそろ限界と思ったので、妙典駅へ向かい帰途に着く。晩飯はコンビニ弁当にしておく。

トップページに祭りのレポートを載せるのは明日になる。