行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年5月5日(土)の日記

2012年05月05日 | 日記

明日の天候が不安定らしいので、洗濯は今日やってしまう。干してから出かける。 

目的地は町田。新宿へ出て小田急線で行く。

大学生のときに住んでいたのは東京の西南側郊外で、山手線の渋谷、新宿などの繁華街よりも、郊外の商業が集まった拠点に休日によく出かけた。そうした場所のほうが自分の性に合っていた。よく行った3ヵ所が吉祥寺と横浜駅周辺と町田。

そうした街が今はどのように変貌しているか見てみようと、2007年のゴールデンウィークには吉祥寺に出かけた。翌2008年のゴールデンウィークには横浜へ。そのあと、またゴールデンウィークかあるいは連休になったときに町田も行ってみようと思っていたが、機会がなく横浜へ行ってから丸4年が経ってしまった。2007年も2008年も偶然だが、今年と同じ5月5日だった。

大学を卒業してから30年近い。町田駅周辺も当時にはなかったビルが多く建って変貌しているが、昔、来たときによく入った商業施設を回ってみる。

まずは小田急線の線路の上に立っている小田急百貨店。

学生のときは屋上へ上がったことはなかったが、今回はあがってみる。今日は丹沢は見えたが富士山は見えなかった。

町田駅西口の西友。いまも存在していた。中は行徳や浦安の西友と変わらないが、今は上のほうのフロアにパソコンショップのソフマップが入っているので、デジタル機器類に今はどんなのが売っているか見てくる。そうしたものを見るのが、ほとんど南行徳のヤマダ電機ばかりになっていたから、久々のパソコンショップだ。

小田急町田駅からJR町田駅への連絡デッキ。

丸井の建物沿いにJR町田駅へと続く。

駅や駅前の商業施設の2階を連絡デッキで結び、横断歩道を渡らなくてもよく、また歩道橋の階段の上り下りもしなくてよい仕組みは、今はあちこちにあるが、町田駅前がそのはしりだった。自分が大学1年だった1980年(昭和55年)に完成している。全国に先駆けての試みだったので話題になった。自分が町田に初めて来たのは、その話に関心を持ったからだった。

JR町田駅の正面にある、連絡橋でつながった2棟の建物。東急の建物だが、1980年の秋に東急百貨店としてオープンした。向かって左のほうは最初はもう少し小ぶりなビルで、全館をスポーツ館という名前でスポーツ用品専門のビルにしていた。その後、一度、壊して建て直し一回り大きいビルになった。2棟とも今は百貨店ではなくなり、ファッションビルになっている。右の棟の上の階には東急ハンズが入っていた。左の棟の1階と2階はスポーツ用品のヴィクトリアが入っていて、かつてスポーツ館だった名残になっている。

2棟の間は駅前広場の延長のような形だったが、今は原町田大通りという道路になっていた。最初から道路計画はあったが、用地を確保して工事に掛かれるまで暫定的に広場にしていたのだろう。

駅前の大きなビルが集まる北側に、昔からの商店街がある。学生のときもこのあたりをぶらぶらと歩いた。

その一角にある中華の日高屋で昼飯。日高屋の看板をあちこちで見るようになったのはここ10年程度だが、学生のときも休日に出かけたときの昼飯は、ご飯ものや炒めものの定食もあるラーメン屋で、ラーメンやチャーハンと餃子とか定食類が多かった。もし当時、日高屋などのチェーン店があったら、やはり入っただろう。

玉子とキクラゲ定食を食べる。

町田の昔からの商店街をぶらぶらと歩く。

昔からの商店街には昭和の時代、それも自分がまだ小さいか生まれる前の時代の香りを残した店が残っている。そうした店をいくつか。










JR町田駅前の連絡デッキ上から。30年程度前と比べて一番変貌したのは、この写真のあたりだと思う。JR横浜線の北側を通る道路沿いにビルがずらりと建ち並んだ。

JR駅南側にはヨドバシカメラが進出していた。

昼飯の時間を入れて3時間程度、ぶらぶらして帰る。

 

今日は家呑み。地酒の180ml瓶を3本飲む。ビールはやめておく。180ml×3本=540mlだから、四合瓶(720ml)より少ない。自分が1日に飲める量からすると、これぐらいが妥当。

笹かまなどの海苔手巻きをつまみにする。

飲んで食べながら持っているブルーレイディスク版の映画を見る。
見たのはこれ。「2001年宇宙の旅」。

ブルーレイ版を買って一度見たきりだったから、久しぶりに見る。