萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

呑み処徘徊 第十六回 「味百仙」

2009年01月16日 | 呑み処徘徊


昨晩、「目指す店が開いていたら呑むが、閉まっていたら酒を抜く」と、千歳空港から札幌へ向かう車中で賭けた。ホテルのチェックインが22時。部屋に荷物を入れてからそそくさと、お目当ての店に行く。ビルの壁に取り付けてある看板の明かりは点いている。だが、以前来た時もこの看板は点いていたが、地下にあるその店に行ってみると閉まっていた経験があるので安心はできない。恐る恐る階段を降りていくと、やってました、ちゃんと暖簾がかかってましたよ。「味百仙」という緑の暖簾が。あえなく禁酒日は見送りとなる。

暖簾をくぐるとそうは広くない店内に結構人が入っている。店の雰囲気は明るい感じで、初めてのひとり客でもすーっと入って行ける、そんな感じのいい店だ。カンターは6席ほどで、スミに一人客がいるだけで空いていた。カウンターに座ってまずは生ビール。小ぶりの陶器のジョッキに良く冷えたのが出てくる。陶器自体も冷やしてあり、ビールの冷え頃も調度良い。あまりに旨いので普通はビールは一杯と決めているのであるが、禁じ手のオカワリを頼んでしまう。

ツキダシは冷奴。この豆腐もいい。上にかかる海苔と浅葱の風味もいい。たのんだポテトサラダが出てくる。これがまた旨い。ウインナーの2~3mmの輪切りが入っていて、こんもりと持ったサラダの上にタタミイワシが振りかけてある。ビールに大変よくあう。生ビール二杯目の禁じ手を破った張本人はこっちかもしれない。

刺身は「黒がれい」を注文したのであるが、これがまた逸品。もちもちっとしていて最高にうまい。こりゃ、酒をたのまにゃあかん、と思ってメニューをもらうと、あるあるやたらと旨そうな酒がある。その中から吟醸「南部美人」(岩手)ついで吟醸「天空の鷹」(鳥取)をいただく。どちらもふぅわりと鼻腔をくすぐり、あまく喉を潤す、いい酒であった。

お品書きを見ると食べたくなるものばかりだが胃はひとつ。何回か足を運ぶことに決めて、今日のところはその中から「さばの味噌煮」「里芋の揚げだし」「梅漬け」などをオーダーする。どれも量は多くないがいい味だ。そうなのだ、酒を美味しく呑ますための料理なのだ。最後に好物の「いくら丼」で締めた。このいくら丼も旨かったのであるが、一緒についてきた白菜の古漬けでイクラとご飯を巻く様にして食べると、さらに美味しかった。

一時間ほどの“ひとり饗宴”であったが、十分堪能できた。この店の暖簾がしまっていたら、今日のこの幸せは得られなかった。よくぞ、開いていてくれたと感謝するとともに、何回か足を運ばねばなるまいと意を決しつつ、階段を昇ったのであった。


追伸:店は札幌駅の北口から歩いて2分程度のところにある。駅のすぐそばなので、会社帰りのサラリーマンが多い。すすきののような繁華街にいかなくても、手軽に呑める名店だ。

参考文献:「太田和彦の居酒屋味酒覧」
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仙台から札幌

2009年01月15日 | 日々の記録
本日は仙台から札幌へ夜移動。今晩は札幌駅前に泊まり、明日は社用で帯広へ向かう。新千歳空港付近の天候に不安はあったが、機は予定通りに到着した。札幌行きの電車にもうまい具合に乗れた。その車中で携帯電話から、これを書いている。

札幌駅に着くのは10時になる。夕食はまだ食べていない。お目当ての居酒屋はあるのだが、この時間開いているだろうか。開いてなかったら、いっそのこと本日は呑まない日にしてしまうかとも考えている。

ともかくも、札幌に着いてからのことだ。
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最上川自転車散歩 第四話 「山刀伐峠」

2009年01月14日 | 自転車の旅

<温泉宿「三之亟(さんのじょう)」と御免丸>


<宿の夕食>

2008年11月16日

最上川自転車散歩二日目。六時起床。岩風呂で一風呂浴びて、しっかりと朝飯を摂ってから、宿「三之亟(さんのじょう)」を出る。天気予報は曇りだが、見上げる空は今にも降りだしそうな黒い雲。とりあえず、山刀伐(なたぎり)峠を越えて、尾花沢までは行ってみようと思い、宿の前で“御免丸”を組立てる。10分で準備完了。

雲行き益々怪しい中、いざ出発。と、途端に雨が降り出す。躊躇せず上下にカッパを着込む。雨脚は大したことは無い。沿道の紅葉は見事であるが、雨から守る為、カメラはザックの奥深く。己の眼に焼き付けるにとどめる。

芭蕉もここから、山刀伐峠を越えて尾花沢に抜けている。今でこそ山を開き舗装された県道28号が走るが、当時は鬱蒼とした山道・けもの道であったようだ。今も残る地名、「一刎(ひとはね)」「山刀伐(なたぎり)」などから想像するに、芭蕉の時代は冗談抜きで山賊などに襲われる危険性が高かったようだ。「おくのほそ道」では、この山越えを以下のように記している。


        最上の庄

 あるじの言ふ、是より出羽の国に大山を隔てて  
 道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆ
 べきよしを申す。さらばと言ひて人を頼み侍れば、
 究竟(くっきょう)の若者、反脇差(そりわきざし)
 をよこたへ、樫の杖を携へて、我々が先に立ちて行く。

 けふこそ必ずあやふき目にもあふべき日なれと、  
 辛き思ひをなして後について行く。あるじの言ふに  
 たがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇  
 茂りあひて夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、  
 篠の中踏み分け踏み分け、水をわたり岩に蹶(つまづ)  
 きて肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。  

 かの案内せし、をのこの言ふよう、此の道必ず不用の  
 事有り。恙なうおくりまゐらせて仕合せしたりとよろ  
 こびてわかれぬ。後に聞きてさへ胸とどろくのみ也。


 ※最上の庄=今の尾花沢
 ※究竟=「ちょうどいい」「うってつけの」の意
 ※「あやふき目」「不用の事」=山賊に襲われること


と、今にも山賊が出てきそうで冷や冷やドキドキの山行であったようだ。また「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜行くがごとし」の件(くだり)は山の深さ、怖さがうかがえる。

芭蕉が旅した頃に比べれば、雨が降っているとはいえ、舗装された道を自転車で行くのは楽なもんだ。右脇をしぶきを上げて走り去るクルマにさえ気をつけていれば道中の安全は保障されている。峠までは左程時間もかからず到着。芭蕉のころと違ってトンネルも穿ってある。しかも、ここからは下りだ。

一気に尾花沢まで下る。下りの途中で雨が止む。芭蕉ともゆかりのある地、大石田駅で電車の時刻などをチェックしてまた走り出す。村山駅あたりにくると、またもや雨が降り出す。時に正午。本日の目的地山形まではまだ20キロ程あったが、雨の中走っても面白くない。ここで御免丸を畳んで輪行することにした。

芭蕉の「後に聞きてさへ胸とどろくのみ也」というハラハラドキドキもなく、今回の自転車の旅はこれにて終了。後は旅の締めくくり、美味しいものを食べてお開きとする。

山形駅に着いたのは14時前。ホテルに自転車などの荷物を預け、お目当ての三津屋の板蕎麦を食べに行く。昼をこの時間まで延ばしたのはこの板蕎麦を腹一杯食べる為であった。

ここの蕎麦は板に盛り込みと称する蕎麦を乗せて出してくる。一山一山は小ぶりであるが、箸で崩してみると意外に量はある。本日は腹も減っているので一人で六盛の板蕎麦を注文。カツオ出汁の効いたそばつゆだけだと飽きるので、鶏肉の入った暖かい「かしわ汁」も頼む。これらの付け汁で六盛の蕎麦を平らげようという魂胆だ。

生ビールを呑みながら待つこと10分余。キタキタ、来ましたヨ。大き目の板にこんもりと盛られた蕎麦が六つ。これを一山づつ箸で崩してすする。まずは普通のそばつゆでいただく。冷たい蕎麦がカツオの風味とともに喉を通過。つるりと入る。旨いねぇ。実にいい。瞬く間に二山無くなる。

三山目からはかしわ汁でいただく。暖かい汁にゆずの刻んだのを入れる。風味ゆたかな香りとともに楽しむ。これまた、瞬く間に二山を失う。残り二山は一山づつ、そばつゆとかしわ汁でいただいて完食。両方の汁にそば湯を足して呑む。これまたうまし。しばし、興奮冷めやらず。

ここにいたって、

 後に聞きてさへ胸とどろくのみ也

という芭蕉翁のドキドキの何分の、いや、何十分の一かを味わった心地がした。


       <「最上川自転車散歩」 完 >



<これが三津屋の板蕎麦だ!>
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冬の十和田湖散歩

2009年01月13日 | 散歩

<冬の十和田湖。水は澄んでいる。>

昨日は蔦温泉からバスで十和田湖に行ってみた。一昨日の八戸から蔦温泉へのバスも乗客は小生含めて二人だったが、この便も二人だ。一日に二本しか出てないバスなのに、この程度の客で営業が成り立つのだろうか。しかも世は三連休である。心配になる。

雪の奥入瀬渓谷沿いの道を通って十和田湖に着いたのは12時半。八戸行きの最終便が14時半。二時間はここで過ごせる。当初は適当なレストランか蕎麦屋でも見つけて酒でも呑んで時間を潰そうと考えていたのだが、湖畔の飲食店はほとんど閉まっている。開いているのは「軽食・喫茶」と「そば・うどん」と書いてある暖簾がはためく店だけだ。

昼時なので、「そば・うどん」の方へ行く。お決まりのそばやうどんの他、カレーや牛丼もある。「酒はなにかありますか?」と聞くと缶ビールだけです、と言う。しかたないので、缶ビールとてんぷらそばを頼んでテーブルでいただく。そばに浮かんだ薄っぺらなかき揚げ天を箸で突き崩し、それを肴として、ビールをすすりながら、湖を眺める。

外のハシケに遊覧船が着いた。果たして何人降りてくるか。興味津々で数えた。結構ぞろぞろ出てくる。熟年夫婦、熟年の友達同士、家族連れ、若いOL4人組みなど、年齢層もバラバラである。結局、30人ほどが降りてきた。思ったよりも多かった。

大半が小生の居る食堂の方に流れてくる。これを潮に、小生は湖畔を散歩することにした。冬の十和田湖は寒々として何も無い原始の風を装っていたが、白鳥やホシハジロ(シベリアから来るカモ科の渡り鳥)などが湖面で羽根を休めている。ホシハジロはカイツブリのように水の中に潜って餌を採る。結構長い時間水中にいる。

岸の木々に目を転ずるとこちらにもスズメやゴジュウカラがチョロチョロと枝枝や木木を飛び歩いている。光学7倍ズーム搭載のカシオV7も携帯してきたので、こいつらを撮ってやろうと狙いをつけるも、小生を愚弄するかのように飛び回るので中々うまくは撮れず。なんとか絵になったのが下の二枚。

こんなことをやっているうちに40分ほど時間を潰せたが、如何せん身体が冷えてきたので、開いているもう一軒の「軽食・喫茶」の方に入る。ここのメニューを見てガックリ。アルコール類が無いのである。一応聞いてみる。缶ビールなら、という返事。ここらの人間は缶ビールしか呑まんのかね。つまみにハムチーズトーストをたのんで腰かける。簡単に平らげてしまったが、まだ、時間がある。缶ビールを追加しようとしたら、熱燗もできます。という。何っ?早く言えよ。と思うも、嬉々として注文する。

少し、身体も温まったところでバス亭に向かう。八戸への帰り便もまた二人だ。大丈夫かね。もっとも、途中の温泉峡あたりで6~7人ほど乗っては来た。バスの中は適度な揺れと適度な酔いでほとんど寝ていた。八戸には日没前の16時45分に着いた。

人の少ない雪の十和田湖はそれはそれで結構楽しめたのだった。


<ハシケの下のツララ。なにやら、音楽を奏でそう。>


<白鳥に雑じって、ホシハジロも。>


<冬のスズメは丸くて暖かそう>


<ゴジュウカラ。コッチを睨んでる。>
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十和田山中「蔦温泉旅館」

2009年01月12日 | 山と温泉

<正面から見た蔦温泉旅館>


<夕飯は部屋食。かなり豪華。>

昨日、八戸経由で十和田湖の北側、八甲田山の南麓にある蔦温泉へ行った。ここは明治の文筆家大町桂月(おおまち けいげつ)が晩年を過ごした旅館だそうだ。小生、不勉強にも大町桂月の本を読んだことはないが、かなり著名な人のようだ。高知市出身で雅号の「桂月」は桂浜の月を意味するとのこと。

終生、酒と旅を愛したという。(ここは非常に親近感がもてるところだ。)北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介し、「層雲峡」の名付け親でもある。しかも、大雪山系には、彼の名にちなんだ桂月岳という山まであるのだそうだ。晩年は朝鮮、満州にまで足を延ばしたという。

十和田湖と奥入瀬をことに愛し、晩年はこの蔦温泉に居住し、1925年(大正14年)4月には本籍も蔦温泉に移した。しかしながら、長年の呑み過ぎが祟ったのか、ほどなく胃潰瘍のため死去。享年57歳。


“終生酒と旅を愛した”人の終(つい)の棲家だけあって、気持ちのいい湯であった。源泉の上に湯船を作っているので、底板の隙間から直接湯が出てくる。このため、刺激が強く湯に馴染まないと実際よりは熱く感じる。しかしながら、だんだんと身体が慣れてくると熱くなく温くなく肌に馴染み、実にいい感じの湯になる。湯上り後もしばらくはホカホカである。

昨晩から今朝にかけて都合五度入ったが、疲れるどころか元気になった。特に今朝はマイナス14℃という、この冬一番の冷え込みであったそうだが、湯に浸かり放題の小生には寒さは無縁であった。

朝めしの後、近くの蔦沼まで散歩に行った。ブナの原生林の中を20分ほど歩くと蔦沼に着く。沼は今朝の気温で見事に凍っている。晴れていれば、八甲田山が沼の奥に見える筈であるが、しんしんと雪が降っていて見えない。この沼の畔に居るのは小生ただひとり。鳥の声さえしない。恐いぐらいの静寂の中、耳をすますと、ギギギィと氷の動く音がする。そこで暇にまかせて数発句。

 静かさや 氷の沼に 軋む音  

 雪の沼 ことり鳴かずに こおりなる

 雪深き 音無沼の 鳴き氷

 雪深々 無音の沼に 氷啼く


<蔦沼へはブナの林を抜けていく>


<すっかり、凍っている。紅葉の季節は真っ赤になるそうだ。>
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武蔵丸よ何処?

2009年01月11日 | 自転車関連

<在りし日の武蔵丸>

実は自転車の盗難にあった。犠牲になったのは大宮から持ってきていた「武蔵丸」(ブリヂストンサイクル製のプレスティーノ内装8段)だ。1月5日のこと。仕事始めということもあり、同僚の一人と家の近所で一杯やった。この居酒屋がなかなかどうして、刺身も新鮮だし、酒も旨い。ついつい呑みすぎてしまう。

二次会と称して彼の知ってるスナックへ。そこまでは自転車を押して行く。蛮声を張り上げ解散したのが、23時ごろ。かなり酩酊していたので、自転車は店の前に置き去りにして、タクシーで家に帰った。

翌朝、歩いて店の前まで行くが「武蔵丸」は見当たらず。心配した店の人が店内にでもしまってくれたのかと思い、夜、行ってみるが知らないと言う。終電が無くなって困った何者かがチョイ乗りで失敬したのかもしれないが、チャンとした鍵なので、簡単には開かない筈だ。もっと、本格的な盗人にやられた可能性もある。

数日発つが出てこないので一昨日、近くの交番に盗難届けを出した。実購入価格5万数千円、昨年の4月に買ったのでまだ一年も経っていない。お巡りさんも気の毒がってくれた。昔はいざ知らず、盗難自転車の検挙もノルマのひとつだそうで、結構真剣に捜してくれるとのこと。少しは期待するも、まず出てこないと思う。

幸いなのは、emeters(愛用のスピードメーター)を大宮のグリル丸に付けたまま、忘れてきてしまっていたことだ。もし、仙台に持ってきていたら、当然武蔵丸に付けていたはずで、一緒に盗まれてしまったことだろう。

それにしても、世の中、悪い奴がいるものだ。
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本年三回目の一日断食日

2009年01月10日 | 健康、ダイエット

<北海道は知内温泉の夕食。毛蟹までついた豪華版であった。>

年末年始の8連休があって、今日からまた3連休だ。世界的不景気の中で働かなくても大丈夫なのかとチラッと不安もよぎるが、休ませてもらえる内はありがたく享受しよう。

というものの、この三連休初日の今日は大人しく仙台の部屋にいる。仙台市内を自転車で歩こうかと思っていたのであるが、外は風速10mの北風が吹き、虎落笛が鳴りっぱなしで極めて寒そう。また、昨晩は仙台の会社の仲間と新年会をやったので、朝の目覚めが遅く、出鼻を挫かれた。

したがって、一日家でジッとしておくことに決めた。ついでに、本年三度目になる「一日断食日」を実行中である。今年は元旦に第一回目を実施。例年、元旦は朝から、お清めと称して酒を呑んで、雑煮を食べたりして、テレビでも見て過ごすのであるが、今年は元旦から断食を決行した。

二回目は、会社が始まった二日目の1月6日だ。来週は出張が多く、しかも会食や仲間との呑み会などが入っており、今日やっておかないとしばらく出来ないスケジュールなのだ。仕事中にやる断食はいろいろと紛れることが多く、時間の発つのも早く感じられるのであるが、休みの日の断食は結構つらい。

本などを読んで過ごすのであるが、食べ物の描写に出くわすとついつい腹が鳴る。お茶を飲んだり、コーヒー入れたり、白湯に塩を振ってすすったりと、いろいろと空腹を紛らわせて時間をやり過ごした。ようやく、日が沈んで暗くなった。もう二、三時間もすれば床に着いて寝てしまおう。

明日は4時に起きてお粥を作る。5時にはそれをじっくりと味わう。そして、青森のとある温泉に向けて出発するのだ。もちろん、「日本の秘湯を守る会」所属の温泉宿だ。これを楽しみに空腹を我慢しよう!昼は酒付きの食事を許そう!そして夜は湯上りビールから、豪華夕食へと雪崩れ込むのだ。なんと仕合せな一日が待っていることだろう!

と、望ノ萬蔵は明日の楽しみを指折り数えて、今日の苦難を乗り越えるのだった。
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正月の富士 ~表と裏~

2009年01月09日 | 日々の記録


 今年の正月の2日目。天気が良かったので、自転車で初詣、墓参りなどをして、ついでに荒川にかかる上江橋に行ってきた。大宮と川越を結ぶこの橋は一般国道にかかるものとしては日本一なのだそうだ。約1.6kmある。道理で長いわけだ。橋の中間地点からは日本一の山、富士の眺めが見事であった。しばし、見とれてしまう。

年末年始、首都圏地区は大抵晴天が多い。昔から、「大晦日」「正月」「冬休み」という言葉には“晴れ”のイメージがある。仙台に住むようになって、東北でも太平洋側の仙台は晴れが多いが、日本海側の秋田、山形、新潟はこの時期いつ行ってもどんよりとした曇り空である。しかも、降り出したら大雪になる。

子供の頃、太平洋側を“表日本”、日本海側を“裏日本”というふうに教わったが、今から考えると分かりやすい表現であった。いつの頃からか差別用語だということで使用禁止になってしまったようだが、日本列島を二つに分ける表現としてはまことに分かりやすい言葉であったと思う。

そもそも、表と裏は差別言葉というのが不思議である。野球にも表、裏があるし、10円玉にもある。隣の家を呼ぶ時も方向によっては「裏の家」という表現を使う。第一、人間の心自体に表、裏があるではないか。

誰が決めたのかは良く分からんが、これにはきっと“ウラ”がある。


追伸:昨晩、国分町で呑んだが、10時過ぎには仙台の部屋に戻った。ブログでも書こうと、暖房点けて着替えたまではいいのであるが、突然、睡魔に襲われ、床に寝てしまう。お陰で、ブログに穴をあけるわ、鼻風邪をひくわ、のテイタラク。情なし。
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解放されず!

2009年01月07日 | 日々の記録
今日は飲み会。新年会だ。練馬が一次会。二次会、三次会は大宮の街をさまよう。早く大宮の家に戻りたいのだが、小生の上司筋が解放してくれない。ま、こういうこともあるさ。
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最上川自転車散歩 第三話 「最上川」

2009年01月06日 | 自転車の旅

<白糸の滝>

2008年11月15日

清河神社の前の細い道を走っていくと、やがて国道47号線に出る。ここから先は最上川に沿って造られた、この国道を遡って行く。芭蕉はこの辺りは舟で下った。有名な“五月雨”の句を詠んだところでもある。芭蕉の「おくのほそ道」ではこの句にいたる文章が巧みである。以下引用すると。


              最上川

  最上川はみちのくより出でて、山形を水上(みなかみ)とす。
  ごてん・はやぶさ などいふ、おそろしき難所あり。板敷山の
  北を流れて果ては酒田の海に入る。左右、山覆ひ、茂みの
  中に舟を下す。是に稲積みたるをや、いな舟といふならし。
  白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、
  岸に臨んで立つ。水みなぎって舟あやふし。

       五月雨を あつめて早し 最上川


短い文の中に、最上川の特徴を一筆書きのように要領よく描き、しかも文章の調子がいい。そして、「水みなぎって舟あやふし」からつなげて“五月雨”の句を詠むと川の水勢の速さが感じられ、句全体が引きたつ。

最上川は吾妻山の北側を水源とし、米沢市を抜け山形市の西側、朝日岳の麓を北上。尾花沢辺りで進路を西に取り、酒田市で日本海へ注ぐ。この川を利用して米、紅花などが酒田まで運ばれ、酒田からは北前船で京、大阪に運んだ。文中のいな舟は稲を積んだ船のことで、最上川の流通が盛んだったことが伺える。

また、最上川の長さは230キロで山形県内だけを流れている。ひとつの都道府県を流れる川としては国内最長だそうだ。「ごてん(碁点)・はやぶさ(隼)」の難所は最上川の中流の村山市にある。

「白糸の滝」の前にドライブインの駐車場があり、そこで小休止して滝を眺める。芭蕉がここを訪れた季節は新緑の頃であり「白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて」いたが、今は晩秋。その細い水流は紅葉(もみじ)のひまひまに落ちていた。

さらに遡上す。国道47号線は当然ながら自転車の通行の便は考えていないので、道が狭く、クルマとの並走が恐い。特に登りでスピードが落ちるとハンドルも取られがちで、ふらふらするから、クルマの方でも恐いだろう。良識ある運転手ばかりであることを祈って走るしかない。まことに「クルマみなぎって、自転車あやふし」である。

上流から観光用の屋形船がやってくる。何年か前、会社の同期の連中とこのあたりに旅行してあの屋形船に乗った。船頭の案内や歌を聞きながら、岩魚だか鮎の塩焼きを肴に皆で酒を呑んで賑わった。ああいう旅も面白いもんだったと思い出す。今は孤独な一人旅。これはこれでいいのだが。

新庄まで何とか、辿り着く。家々は雪に備えて庭木を板や縄で囲っている。これも雪国ならではの風物詩だ。雪国に住むのも悪く無いなどと時々思うのだが、この冬支度をみると、面倒くさがりやの小生ではとても勤まるまいと思ってしまう。

新庄駅は以外や以外、モダンな感じの駅であった。駅前の三角形の建造物が雪囲いの終わった庭木のように見えるのは小生だけだろうか。本日の自転車のランはここまでとし、ここで御免丸を畳んで、赤倉温泉駅まで輪行した。


<庭木は雪に備えて囲われている>


<モダンな新庄駅。円錐形の建造物は「雪囲いの庭木」を表現しているのか。>

赤倉温泉駅からは宿から迎えに来てくれたクルマに乗って行く。「その荷物は何ですか」と宿の人に聞かれたので「自転車です」と答えると絶句して言葉が返ってこなかった。こういう自転車は初めて見たのだろうか。

温泉宿は「日本秘湯友の会」に属する「三之亟(さんのじょう)」というところだ。ここは岩風呂が売りで、なんでも300年前の初代湯守の手掘りとのこと。芭蕉もこのあたりは通ったはずだ。彼の旅は元禄二年、1689年のことであるから、いまから320年ほど前である。「三之亟」の宿はできていたかどうか。初代湯守氏が一生懸命掘っている最中だったかもしれない。

                     <つづく>
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2009年仕事始め

2009年01月05日 | 日々の記録

<マンションの北側から見た景色。右前景に見える山は太白山。遠景の白い峰は宮城県と山形県との県境の山々>

本日は仕事始め。久々の出勤で出かける際の持ち物などや服装に戸惑い、家を出るのに時間がかかる。玄関を開けてみると太白山の向こう側の山がすっかり冬景色で寒々としている。山形県との県境の山々だ。仙台はあの峰々のお陰で日本海から来る寒気をまともに受けずに済んでいる。逆に山形はあの峰々のお陰で雪国なのだ。どっちが良いのかはわからないが、いろいろ行動するのに天気がいいのに越した事はない。雪国は雪のためにやることが多すぎる。その分、雪による恵みも多いはずであるが、住んでいる人が納得するような利点は少ないようだ。

寒さは昨日までのスキー場に比べればどうと言う事は無い。自転車通勤でも特に寒さは感じなかった。最短距離を走って行けば10分ほどで会社に着く。八連休も終わってみればあっという間。8日間も休んでいた気はしないのであるが、仲間と会ってみて、それはそれで久しぶりだと感じた。

型通りの「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いします」を人と会う度、電話で話す度に交わすのもさすがに面倒になる。日本語の退化現象で決して好きではない言葉であるが、女子高生あたりで流行ってる「あけおめ」「ことよろ」で済ませたくなってしまう。

仕事もいきなりスムーズにはいかない。資料は見つからず、仕事用の頭の回転になるまでにも、ちょっと時間がかかる。しゃべるのひとつとってもリズムが悪い。やはり、ある程度のリハビリは必要のようだ。

それにしても、全座員が無事、本年度も仕事にとりかかれたのはめでたいことである。世間では職を失う人が多いと聞くが、わが一座は、当面そういうこともなくやって行けそうだ。

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蔵王温泉スキー

2009年01月04日 | 山と温泉

<二日間とも曇っていたが、一瞬だけ青空が・・・>

本年始まって四日目の朝は夏にも泊まった蔵王温泉の「某ロッジ」で迎えた。5時半に目が覚めたので、さっそく湯に浸かりに行く。ここの湯は熱めで最初は水の助けがないと入れないのであるが、一度慣れると気持ちよく浸かれる。熱いので長湯は無理だが、湯船に出て少し休んでまた浸かる、というのを何度か繰り返すと、毛蟹ではないが、身体は真っ赤に茹で上がる。しかし、これが身体をいつまでもポカポカとさせてくれ、雪国の寒さもなんのその、なのである。

お決まりの湯上りビールを呑んで気分がよくなったところで朝飯だ。ここのご飯は美味しいので何杯でも食べてしまう。特に、これから滑りに行くのであればなおさらだ。たっぷりとご飯を食べてから、いざ出陣。昼ぐらいで切り上げて仙台に戻るので、今日は4時間券で滑った。昨日の滑りでの筋肉痛があったが、なんとか楽しめた。昨日、今日と天候は曇時々雪で標高の高い所はガスっていて視界悪し。上の写真は一瞬青空が覗いたところをすかさず撮ったもの。

思えば蔵王でスキーをするのは会社に入ってすぐに仲間と来た以来であるから、実に25年ぶりぐらいである。色々コースを滑ったが、はっきり覚えているのは「横倉の壁」だ。斜度38度コブだらけのコースだ。当時は果敢にそのコースに挑んで、転げ落ちてきた記憶があるが、今回は足慣らしということもあり、見るだけにとどめた。

25年前。一緒に行った女の子のK嬢が「横倉の壁」の途中で恐怖で動けなくなってしまった。それを助けに行ったのが小生の同期のM氏。これが元で二人は数年後めでたくゴールインとなったのだが、K嬢はスキーがうまかったので「あそこで動けなくなるはずはない」というのが、彼女の友達や我々の意見であった。助けに来てくれた男を捕まえようとのK嬢の作戦だった、と当時から疑惑がもたれていた。M氏はまんまとその罠にハマったのだった。彼らの披露宴の時に友人代表としてこのエピソードをスピーチしたことまで思い出した。

K嬢が立ちすくんでいたのはあの辺りであったか。とそんなことを懐かしく思いながら「横倉の壁」を眺めた。

昼過ぎ、ロッジに戻って着替える。お風呂にもまた入れてもらえた。いいロッジですね。また来るから、ということで、乾燥室にスキーとストックと靴を預けさせてもらった。これで、帰りも手ぶら、今度来る時も手ぶらで来れる。

15時過ぎの山形行きのバスに乗って、山形に着いたのが16時ごろ。駅から歩いて7~8分ほどの蕎麦屋「三津屋」でお決まりの板蕎麦を食べて、16:32の仙台行き鈍行に乗って帰ってきた。蔵王から仙台は気楽な距離であることを再認識した。今冬は蔵王温泉を多いに利用しようと思ったのだった。


追伸:そうそう。3日の夕食にはお決まりの山形牛が出た。右端にある肉は山形地鶏でこれも大変美味しかった。山形牛が美味しかったことは言うまでもありません。


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雪の蔵王

2009年01月03日 | 日々の記録
今日は蔵王に来ている。夏に来た時と同じロッジである。朝、蔵王温泉バスターミナルで着替えて9時には一日券を買って滑り出した。スキーをブログの話題にした記憶が無いので、ほぼ二年振りだと思う。

随分やっていなかったわけだ。リフトやロープウェイの待ち時間が無いので沢山滑れる。が、思ったよりはくたびれることもなく、3時過ぎまで滑った。

四時には宿に入って、熱めの湯に使って、お決まりの湯上がり生ビールでひとごこちついたところだ。

六時から夕食だ。本日のメニューやいかに。
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初詣

2009年01月02日 | 日々の記録

<氷川神社の山門>

氷川神社に行って来た。昨日元旦から、一日断食日を実施したので、今日は4時ごろから目が覚めてしまい、お粥作りをした。その為、朝の七時前には氷川神社に行ったのだが、お札類の販売は八時からと貼り紙がしてある。あれ?毎年そうだったっけ?と疑問を持ちながらも、しかたなし。また、出直してくることにして、お参りだけをしてきた。

正月恒例の箱根大学駅伝を見た。今年は泣ける場面は余りなかったが、古豪早稲田が昨年来上位に食い込んできており、見ごたえはあった。特に一年生の活躍が目立った。5区の東洋の一年生の柏原の走りは天晴れ。東洋初のタイトルをもぎ取る走りであった。あれを見ているとまた、走りたくなる。少なくとも、同じコースを自転車で走ってみたいと思ってしまう。

見終わってから、再び氷川神社に出かけると参拝客でごった返している。幸いお参りは済ませているので、場外で札を買って帰る。家の神棚もようやくカッコがつく。お神酒をあげて、小生も一杯呑む。

今晩は久々に夜行スキーバスなるものに乗って、蔵王温泉へと向かう。夜9時半に大宮を出発して、着くのは朝の7時半だ。現地の天気は雪のようだ。一応、スキーの道具は持って行くが、あんまり雪が降っていたり、寒かったりしたら、宿で動かぬ所存。

ともかくも、行ってきま~す。
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平成二十一年 元旦

2009年01月01日 | 日々の記録


皆様、あけましておめでとうございます。

大晦日の晩は大宮の街に繰り出したまではよかったのですが、年末連夜の呑み会で胃腸の調子もイマイチで快く酔えず。また、気温もグッと下がってきたこともあり、初詣もとりやめ、早々に(といっても23時半ごろ)家に引き上げてきました。まだ、紅白やってました。

ともかくも、本年もよろしくお願いします。

以下は平成20年の反省から平成21年をどう過ごすべきかを展望してみました。


◆平成二十年度の反省

上期6月までは順調にというか自分のペースで生活できていたのであるが、7月から仙台へ転勤し、大宮との二重生活が始まるや否や、ドタバタ渡世に突入。己のペースを取り戻せないまま、年越しとなってしまった。

その結果、昨日のブログにも書いたが、2000年から8年続いていた読書年100冊以上というノルマも達成できず(88冊止まり)、一日断食も目標年60日に対し、52日しか出来なかった。また、日常的に自転車に乗ることもできず、酒ばかり呑んで体重も増えてしまった。この辺りをどう改善するかが今後の最大課題になる。


◆で、今年。

◇読書

目標は「100冊、30000ページ以上」。この線は崩せない。仙台に居るうちに“東北”関連の本を中心に読もうと思っている。石川啄木、宮沢賢治、高橋克彦などなど。

◇健康法

一日断食は今年は週一ペースの52日以上とする。昨年よりハードルを下げるが、酒を呑む回数を今年こそ減らす。呑まない日を断食日以外に26日(二週に一回のペース)以上つくる。この時間を“知的活動”にあてる。そうすることによって読書の時間を作る。酒は「札幌のもうのまんぞう氏」が言うように“時間の無駄”の面が確かにある。また、これによって体重の制御を確実にする。

◇自転車

自転車の旅は折を見つけ実施していきたい趣味だ。今年は「おくのほそ道を走る!」にチャレンジする。ぜひ仙台に居るうちにやっておきたい。
日々どうやって乗るか?これが問題だ。仙台に居る内は通勤で使えるのだが、出張先で乗るのは難しい。休日にまとめて走るしか方法はなさそうだ。

◇野球

本年も会社と地元の2チームに参加する予定。肩や肘が使い物にならなくなるまでは「投手」をやりたいのだが、チーム事情もあり、しゃしゃり出るわけにもいかない。監督の采配に任せるしかない。

打撃。これは昨年さっぱりであったので、今年は素振りを中心とした練習で鍛えなおそうと思っている。但し、この地道な練習も生活が安定していないと続けられない。出張が多いドタバタ渡世では継続が難しい。

◇山

昨年は百名山としては「蔵王」と「岩木山」に登ったが、本格的な登山とはいいがたく、今年はもう少し山と付き合いたい。まず、1~2月はゲレンデスキーで足慣らしをしておく。これは蔵王に見つけた「ロッジ」に板と靴を預けておいて、気軽に行けるようにする。

3月~5月は仕事と野球の合間に日を選んで山スキーに何度か行きたい。7~8月は野球のオフシーズンなので“山の季節”とする。8月連休に海外旅行に行かない場合は北海道の山々を歩いてみようかと思っている。

◇海外旅行

海外旅行は「見聞を広める」「日本を外から観る」という二点でぜひ実行したい行事である。長い休みは8月盆休みと年末年始しかないが、円高でもあるし、今年も実現したい。

◇スポーツ観戦

「大宮アルディージャ」には今年こそ上位を目指して欲しい。補強も順調に進んでいるようだし。うまくいけば横浜の中沢が移籍してくれるかもしれない。

野球では第二回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が3月に行われる。ディフェンディングチャンピオンの日本としては今回も頑張って欲しいが、どうなることやら。

MLB。大補強をしたヤンキースが楽しみ。松井はヤンキースからトレードされてしまう可能性もあるが・・・。巨人は昨年、惜しくも日本一を逃したが、今年は雪辱をはたして欲しい。

◇ブログ

今年で三年目に突入。もちろん、毎日更新が基本。上記の趣味の顛末をお伝えすることになるが、本年度は特に「自転車の旅」を充実させたい。「インドを走る!partⅡ」もいくらなんでも今年は完結を目指す。また、旅先で入った温泉、呑み屋、酒や山海の珍味についても、むろんお伝えしていく。ブログは己の修練の為にも充実した内容にしたいと思っている。

◇目標管理

各々の目標進度を毎月月初にチェックし、遅滞の無きよう推進することはこれまでと変わりなく続ける。


以上、今年もがんばるぞ!

                平成二十一年 元旦  望ノ萬蔵
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