降っているか降っていないか、わからないような糠雨です。
「ナノハ(菜の花)」が咲く頃、雨降りの天気が続く…それで、「菜種梅雨」という。子供の頃聞いたこんな言葉を覚えているのは、「変だな」と思った、そのときの「変だな」感がとても強かったからかもしれません。
好きな花は「ツバキ(椿)」と「ナノハナ」。子供の頃は、そうでした。それも、美しいからとかそういう理由ではなかったと思います。「ハッとさせられ」感が強かったものが記憶に強烈に残って、それが他を圧倒してしまったのでしょう。
山村暮鳥の「いちめんのなのはな いちめんのなのはな…かすかなむぎぶえ いちめんのなのはな…」(『風景』)ではありませんが、土手に広がる一面の「ナノハナ」が突然に目の中に飛び込んできた、それは、強烈なものでした。子供の脳裏に、はっきりと刻まれてしまったのでしょう。
それと同じように、暗い田舎道をさまよっていたとき、黒い瓦屋根の下、白い土壁に挟まれるように大きな椿の木が真っ赤な花を咲かせていたのを発見したときの驚きも同じこと。
ありふれた風景が、そのときの特別な心持ちと一体になったとき、幾層にも重なり合っていた心の襞が捲れ上がり、そこに刻印でも捺されたかのように、その映像が残ってしまう…。だから、「花」と言えば、「ツバキ」と「ナノハナ」になってしまうのかもしれません。
もちろん、美しい花は数限りなくありますし、きれいだなと感じる心もまだ持っている…みたいですし。
さて、昨日、ベトナムから七人の若者が日本へやって来ました。日付が昨日に変わってからすぐに出発し、朝の七時(日本時間)ごろに成田に着いた。迎えの学生は四人。行徳駅には、二人教員が待機し(もう一人、提携機関のベトナム人が迎えに来ていました)、荷物ともども寮まで運んだ。
もちろん、初めての飛行機で、しかも外国へ来たということもあり、疲れていたことでしょうね。しかし、ベトナム人男子学生は寮の問題(すぐに群れて大騒ぎをする)があるので、手心を加えるわけにはいきません。そのまま、すぐに学校へ連れてきてもらいます。緩めると、そのまま眠ってしまいます。
まずは、何課まで勉強してきたのかということ、漢字がどれほど書けるのかということなどを確かめていきます。『みんなの日本語Ⅰ』を終えていない学生が一人、残りは『Ⅰ』は終えています。『Ⅱ』が終わっている者が、三人。この、ベトナムの学校は、頑張っていますね(一人は違う学校です)。
ベトナムの学生は、ヒアリングもそれほどよくなく、しかも、文法がなかなか入っていきませんから、国でやったかやらなかったかで大きな差が出てしまうのです。同じような資質であっても、ベトナム語で文法の説明を聞いて来ていると、『初級』の間はそれでなんとかやっていけるものなのです。
日本では、口頭練習をくり返し、それで口慣らしをしながら、音を確かめていく。それが一番いいのです。国でそれほどやっていないと、順送りにわからないところが増えていき、最後は潰れてしまうのです。ベトナム語で文法が説明されていても、読めない(理解できない)のですから、本当にお手上げです。だって、勘に頼るしかないとしても、その基本がないわけですから。やっとわかったで、一年が過ぎる。それなのに、すぐに一時帰国などをしてしまうのですから、手に負えません。
お金もない、その上、日本語も下手なのに、なぜ帰るのか。よく判りません。ベトナムの正月に帰って、楽しかったと言って戻ってくるのです。もちろん、オケラになって。
お金がなければ帰らない、日本語がきちんとできるようになるまでは帰らない。これが、それほど裕福ではない留学生にとって一番大切なことだと思うのですが。この道理が判り、それを実行できて初めて、異国でやっていけることになるのでしょう。今年も、その話から始まりそうです。
日々是好日
「ナノハ(菜の花)」が咲く頃、雨降りの天気が続く…それで、「菜種梅雨」という。子供の頃聞いたこんな言葉を覚えているのは、「変だな」と思った、そのときの「変だな」感がとても強かったからかもしれません。
好きな花は「ツバキ(椿)」と「ナノハナ」。子供の頃は、そうでした。それも、美しいからとかそういう理由ではなかったと思います。「ハッとさせられ」感が強かったものが記憶に強烈に残って、それが他を圧倒してしまったのでしょう。
山村暮鳥の「いちめんのなのはな いちめんのなのはな…かすかなむぎぶえ いちめんのなのはな…」(『風景』)ではありませんが、土手に広がる一面の「ナノハナ」が突然に目の中に飛び込んできた、それは、強烈なものでした。子供の脳裏に、はっきりと刻まれてしまったのでしょう。
それと同じように、暗い田舎道をさまよっていたとき、黒い瓦屋根の下、白い土壁に挟まれるように大きな椿の木が真っ赤な花を咲かせていたのを発見したときの驚きも同じこと。
ありふれた風景が、そのときの特別な心持ちと一体になったとき、幾層にも重なり合っていた心の襞が捲れ上がり、そこに刻印でも捺されたかのように、その映像が残ってしまう…。だから、「花」と言えば、「ツバキ」と「ナノハナ」になってしまうのかもしれません。
もちろん、美しい花は数限りなくありますし、きれいだなと感じる心もまだ持っている…みたいですし。
さて、昨日、ベトナムから七人の若者が日本へやって来ました。日付が昨日に変わってからすぐに出発し、朝の七時(日本時間)ごろに成田に着いた。迎えの学生は四人。行徳駅には、二人教員が待機し(もう一人、提携機関のベトナム人が迎えに来ていました)、荷物ともども寮まで運んだ。
もちろん、初めての飛行機で、しかも外国へ来たということもあり、疲れていたことでしょうね。しかし、ベトナム人男子学生は寮の問題(すぐに群れて大騒ぎをする)があるので、手心を加えるわけにはいきません。そのまま、すぐに学校へ連れてきてもらいます。緩めると、そのまま眠ってしまいます。
まずは、何課まで勉強してきたのかということ、漢字がどれほど書けるのかということなどを確かめていきます。『みんなの日本語Ⅰ』を終えていない学生が一人、残りは『Ⅰ』は終えています。『Ⅱ』が終わっている者が、三人。この、ベトナムの学校は、頑張っていますね(一人は違う学校です)。
ベトナムの学生は、ヒアリングもそれほどよくなく、しかも、文法がなかなか入っていきませんから、国でやったかやらなかったかで大きな差が出てしまうのです。同じような資質であっても、ベトナム語で文法の説明を聞いて来ていると、『初級』の間はそれでなんとかやっていけるものなのです。
日本では、口頭練習をくり返し、それで口慣らしをしながら、音を確かめていく。それが一番いいのです。国でそれほどやっていないと、順送りにわからないところが増えていき、最後は潰れてしまうのです。ベトナム語で文法が説明されていても、読めない(理解できない)のですから、本当にお手上げです。だって、勘に頼るしかないとしても、その基本がないわけですから。やっとわかったで、一年が過ぎる。それなのに、すぐに一時帰国などをしてしまうのですから、手に負えません。
お金もない、その上、日本語も下手なのに、なぜ帰るのか。よく判りません。ベトナムの正月に帰って、楽しかったと言って戻ってくるのです。もちろん、オケラになって。
お金がなければ帰らない、日本語がきちんとできるようになるまでは帰らない。これが、それほど裕福ではない留学生にとって一番大切なことだと思うのですが。この道理が判り、それを実行できて初めて、異国でやっていけることになるのでしょう。今年も、その話から始まりそうです。
日々是好日